フランス・シャンパーニュ 2003.Apr.28〜May 6(3)


5月3日
私の泊まった Mercure にはドライバー用の地図しか無かったのですが、ホテルの前は車が停まれないほどの小さな路、朝起きてみたら周り中がパトカーなのでビックリしましたが、警察署の真ん前なのですね。ここではパトカーも路上駐車でした。
まずはフランスで一番大きいという大聖堂を目指して出発です。ホテルのある場所から見ると、大聖堂は丘の上に当るらしく、方向は簡単に分かりました。 UFO?

この町についてもガイドブックは簡単なものしかありませんでしたので、まずは観光局へ。 潜水艦
この町はフランスの有名な作家ジュール・ベルヌが活躍したことで知られており、彼の空想科学小説に因んで、観光局の前には潜水艦、上空にはUFOらしきものが浮かんでいました。また、町自体がドイツ軍との激戦の舞台となったこともあり、戦跡観光ツアーのようなものが沢山出ていました。第二次大戦だけではなく、第一次大戦でも猛攻撃を受けているのです。観光シーズンにはいつも催行されているようですが、5月7日のドイツ軍降伏の日が近いこともあって、観光客が沢山いました。フランスに取っては開放された嬉しい記念日ですから、お客が集まるのも当然かと思いつつ、この日をドイツはどう迎えるのだろう、日本には戦跡ツアーなんて無いなぁ、負けたからかしら、なんて色々なことを考えました。
フランス語だけでは各国から来る観光客に対応できないということでしょうか、珍しく「イギリスの歴史学者と行く、戦場ツアー」というビラもありました。

アミアンの町の観光は、フランスで一番大きいゴシックの大聖堂、美しい湿地帯、川べりにレストランが立ち並ぶサン・ルー地区、そしてジュールベルヌ関係という四つになります。

まずは観光局からすぐのノートルダム大聖堂へ。
ヨーロッパの教会といえば、石造りのためもあり、完成まで何百年もかかることが珍しくありませんが、ここはフランス最大でありながら、13世紀にわずか68年間で完成したのだそうです。最初から最大のものを造ることを目指したために、敷地を確保するために様々な建物をどかせたと書いてありました。パリのノートルダム寺院の2倍の大きさとのこと、なるほど大変大きいのですが、シャロン、ランスなどで大きいのを見慣れて?しまったせいか、そんなに感激はありませんでした。
先にも出たようにアミアンは戦災が酷かったのですが、爆撃に備えて教会の内部を砂袋で埋め尽くした写真が、今でも町で売られています。 最後の晩餐ノアの箱舟

この教会内部で一番印象的なのは、樫の木に様々な彫刻が施された内陣席です。16世紀に彫られたと言う聖書の場面が、手すりや椅子の下にまでギッシリで、中にはノアの箱舟のように、聖書に無関心な人でも知っている場面もありました。ここは午前中は閉まっていますが、午後二時からは無料で入場できます。
内陣席の外側にも彫刻が一杯施されています。普通はキリストの生涯を描いたものが多いのですが、ここでは洗礼者ヨハネの生涯が描かれています。その理由は、この教会の中にヨハネの頭蓋骨が保存されているからなのです!! ほ〜んとなんでしょうかね。ガイドブックには、第四回の十字軍の際、修道僧がコンスタンチノーブルから持ち帰ったもので、歴史学者、科学者からも認定されているとのことですが、ヨハネといえばサロメの願いによって生きたまま首を切られたことで有名な人、その首はその後何処に保存されていたのでしょうね。
ライトアップ 建てられてから時間が経っている教会なので、現在は、一部づつ立ち入り禁止にして修復工事をしているとのことで、ちょうど今、ヨハネの頭蓋骨が保存されている部分が修理中とかで本物は見られませんでした。毎年6月24日にはそれを捧げて行列が行われるそうです。
ライトアップ 教会中央の床には白と黒の大理石で造られた平面迷路が埋め込まれています。信仰への道のりとかいう説明でよく意味が分からなかったのですが、延ばすと全長234mあるこれを辿ることによって、信仰が成就する?、早い話がその迷路を辿れば巡礼路を通ったと同じご利益があるようでした。日本のどこかのお寺にもありましたね。

現在のゴシック建築物の外観は石がそのまま剥き出しになっていますが、中世の頃の教会は石の上に塗装がしてあったらしく、古い教会の内部に一部彩色の跡が残っているものもありますが、華やかなものだったようです。アミアンでは教会の西側外壁を昔のような鮮やかな極彩色に復元しようと言う試みがされており、6月15日から9月30日と、12月15日から1月6日までの夜間、プロジェクターで光を当てています。最新技術で、彫刻のそれぞれの部分に異なった色の光が当てられ、石に直接塗ったように見えるようです。 巡礼宿
昔ロワール河の古城巡りをした時、日光東照宮を思い起こさせる絢爛たる装飾が施された古城が沢山あって、人間の心理はどこも同じと驚いたものですが、アミアンでのライトアップの写真を見ると、けばけばしく塗られたインド・ヒンズー寺院を思わせるものがあり、ここでも、人間の心の行きつく所は同じと感じ入りました。
物見高い私にはピッタリのイベントかもしれませんが、寺院の荘厳な雰囲気も好きなので、私にはちょっと馴染めないでしょう。でも、準備をしている所を是非見たいものです。

この地もまたサンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼路にあたるとのことで、外に巡礼宿がありました。 Hortillonnages

次の見ものは、駅の北東にある広大な湿地帯です。ランスからアミアンへ電車で近付いた時に目にした、美しい川・運河・池が広がる地域ですが、大きな町に近接して、このような場所があるのは驚きです。大聖堂から歩いても15分くらいでしょう。

2000年以上も前から沼地だったこの場所では、元々自然環境を守ろうとする人たちの活動が活発でしたが、21世紀末になってバイパス建設計画が持ち上がり、その影響を心配する気運から、1975年にはこの湿地帯を守ろうとする団体が生まれました。


乗り場乗り場 アミアンを基点に300ヘクタールという広い地域にまたがって運河で囲まれた農地が広がります。湿地帯と言っても Hortillonnages(オルティヨナージュ)という呼び名は「野菜栽培用に開拓された沼沢地」を表し、運河の水位の調整にはドック(水門)が設けられていたり、定期的に土手の修理が行われたり、自然環境を守るための人手がかなり加えられています。
午後二時からは底の浅いボートでの地域内遊覧クルーズが催されており、私も参加してみました。

花盛り巣篭もり 環境保護団体が運営するボートは蓄電池式。定員12人づつを乗せて静かに進み始めます。周りは花盛り、静かな水面には雛を連れた水鳥が沢山、何も知らない雛たちがボートに寄って来ます。卵を温めている姿もありました。

ここに菜園を持つ人たちは勿論ここの趣旨を充分に理解している人達なのでしょうが、移動手段はボートだけ、使用する肥料に制限がある、土手のメンテナンスが大変、畑も放っておいてはいけないなど責任ある使用が義務付けられているために、負担になって手放す人もあるらしく、切符売り場には「売り不動産」の広告もありました。


ボートでやって来ました庭の飾り 充分に能力があれば理想的な菜園が使えるわけで、庭に様々な装飾をしている人、一休みしてお茶を飲んでいる人、読書・編物、一家でバーベキューをしている人もありました。

ここで造られた野菜類は、オーガニックフードの最高級品として珍重されているとの聞きました。

遠くに微かに車の音が聞こえる他は、ボートがかき分ける水音だけ、そんな一時間のフィナーレは花々の向こうに見える大聖堂の遠景でした。 大聖堂遠景

Hortillonnages とサンルー地区は運河で繋がっています。緩やかな流れの上を学生が漕ぐカヌーが滑っていきます。岸辺には「青少年ボートスクール」という建物もあり、流れの緩やかな、底の浅いこの運河で、思う存分練習できる環境を羨ましく思いました。
サンルー地区とはサン・ルーという教会を中心として中世には織物業の中心地として栄えた地区だそうですが、現在では運河に沿って小さな家が立ち並び、カフェやレストランの沢山ある賑やかな地域です。

レストラン街の手前まで来ると何やら大騒ぎの声が聞こえます。進んでいくと、運河にに張った細いロープに沿って二隻のボートが両岸から進み、すれ違いざま相手の大将を棒で突き落とす、騎馬戦のボート版をしていました。



ボート版・騎馬戦ボート版・騎馬戦 運河を挟んでレストランと対岸の一帯はアミアンの大学町で、校舎の他に学食や寮の建物が続いていました。そこの学生たちのお祭りなのでしょう。陸上でも他の学生たちが橋の欄干上を歩いたり、ぶら下がり競争をしたり、まさに若さを発散していました。カフェやレストランのお客も大声援でした。
ここのレストランのいくつかは、先ほどのHortillonnagesで作られた野菜を使っていることを、店頭に表示していました。
サンルー地区にある大学はピカルディ・ジュールベルヌ大学と呼ばれ、科学が中心のようですが、建物は斬新なデザインで新しいもののようです。私の宿からサンルー地区のレストランまで行くには、ずっとこの大学に沿って歩くことになるのですが、日本の大学の周辺に較べて、余りに簡素というか清潔で、これならば学業に集中できるなぁと感じました。安食堂や文具店も娯楽施設も見当たりませんでしたが、それらのものは学内で間に合うのでしょう。外ではスポーツくらいしかすることが無いこんな場所で学生生活を送るのと、日本のような喧騒に紛れて学ぶのと、同じ年数でも、心身に与える影響は随分違うでしょうね。 サン・ルー地区の家並み

5月4日
アミアンからパリへの列車は、今までの路線とは比べものにならないくらい沢山出ています。と言っても今日は日曜日ですので要注意。午前中は9:13発一本だけ!です。午後は10本ありました。
昨日は大聖堂近くの旧市街ばかり観光しましたので、今日は町の中央部を通って、ゆっくり駅へ向かうことにしました。 エコ・カー

町の中央部は広い範囲が歩行者天国になっているため、足の弱い人に配慮してか、小さな電気自動車がいくつも走っていました。走る距離も短いのでしょうが、値段がたった0.5ユーロでした。日曜日は、これも台数が激減します。 ご苦労さん

アミアンも今まで立ち寄った町と同じように、古くから栄えた町でした。ドイツやベルギーに近いこの付近は、ローマ時代には交通の要衝でしたし、その後のフランク王国では中心地に近いのです。
ローマ時代に町の中心地だったところ(フォーラム)が現在もアミアン一番の繁華街になっており、レストランや商店が密集しています。日曜日には大勢の人が散策しており、古代ローマの賑わいもかくや、というところです。現在の地図に被せるように、古代の町の地図を描いたプレートが立っており、それには円形競技場なども描かれていました。何箇所かでは地中に今も残る古代の石積みが見られるように、ガラスで被ってありました。
そこまで古くなくても、充分オバケが出そうな苔むした教会なども、町の真中にありました。 大時計・UFO・大聖堂

昨日の観光局の近くには、立派な大時計がありますが、これは新しく、市長さんだった人が2000年に、引退記念に自分の本業である時計を寄付したものだそうです。
長らく栄えた町を証明するように、建物はどれも立派で、昔は金持ちの個人住宅だったけれど今は通商産業省のオフィスになっている!、という建物は、玄関に素晴らしいステンドグラスが貼られ、庭も夢のような美しさでした。
今までの町と一番違うのは、日曜日の人出の多いことです。他の町はゴーストタウンでしたもの。 屋外ギャラリー

駅に向かう歩行者天国には屋外ギャラリーが並び、テントの中にはいろいろな画風の絵が沢山展示してあり、皆が様々に品定めしていました。

日曜なので閉まっているようでしたが、最後にジュールベルヌ関係の場所にも行ってみることにしました。
彼は私が去年行ったフランス西部の町ナントの出身ですが、奥さんの故郷であるアミアンで活動期の大半を過ごし、彼の有名な作品「80日間世界一周」「海底探検記」などは皆ここで書かれたようです。

ジュールベルヌの家 アミアンも他のヨーロッパの古い町の例に違わず、昔は城壁に囲まれていましたが、1850年代にパリへ通じる市の門(パリ門)を廃してその外側(西側)に新市街として高級住宅街が出来、そこはフランス王アンリWに因んでアンリビルと名付けられました。既に名士で市会議員も努めていたジュールベルヌはここに住んだことで、この地区の発展に大いに寄与したそうです。彼の家は博物館になっており、その前に住んでいた別の家にもプレートが貼ってありました。 元・個人の家!

駅の前には背の高い細長いビルが建っていまう。最初に見たときには何処かの教会の塔かと思いましたが、近寄ってみると、新しいもので何と中華料理店だったようですが、今は潰れたのか、閉店中でした。駅の良い目印ではあります。
アミアンの駅は現在新築工事中ですが、完成後には随分大きくなるようです。 左チュイル、右マカロン

アミアンで名物のお菓子は何でしょう、と観光局のお姉さんに聞いたら、チュイルとマカロン、と教えながら舌なめずりをしていました。
なるほど、とてもおいしいものでした。

日本で読んだアミアンのガイドブックには「アミアンは決して綺麗な町とは言えない」というくだりがあり、私は余程汚いのだろうと恐れていました。ガイドブックにそんなことを書くものではありませんね。
美しい湿地帯、サンルー地区の水辺、今回の旅でアミアンは一番美しい場所でした。 全てを飲み込む下水の口
ただ、今回の地方だけでなくフランス全土に言えることですが、犬の糞だけは、もう少し何とかして欲しいですね。
こちらの犬は躾が良いので、綱を付けずに散歩している人をよく見かけます。私にはそれは、糞をしている所を自分が見ないで済むための工夫のように見受けられます。アミアンの歩行者天国でも、可愛いスコッチテリアが道の真中で用足し、飼い主は、と見るとちょっと先を振り向きもしないで歩いているのですね。
最近は飼い主の責任も問われるようになり、道には処理用のビニール袋が置いてありますが、一朝一夕には直らないでしょうね。相変わらず、水で流すための大きな下水穴が目に付きます。こんな不潔が伝染病の原因なのよ、と言ってあげたい気分です。

午前中は一本しか列車が無かったのに昼は12:13に急行,12:18に鈍行と二本続けて出ます。その後は15:08。急ぐ旅でもなし、沿線に興味があったので12:18の鈍行にしました。約2時間の行程です。

駅を出るとすぐ湿地帯に入りました。昨日のHortillonnagesは広さ300ヘクタールで、近隣のいくつかの村に跨っているとのことですから、しばらくは水の美しい地域を通過しました。続いて菜の花畑。沿線の殆どが菜の花とエニシダで真っ黄色でした。
パリへ向かって行くのですから、大きな駅も乗降客もだんだん増えてきましたが、大部分は一掴みほどの家が集まる村落の連続でした。
パリへ近付くと、再び森が増えてきます。それを通り抜けると突然密集した人家の中にひときわ高くサクレクール寺院が見えて、北駅着です。

私は今まで治安上の観点から、パリの北部にはあまり行かないようにしていました。今回、北駅は空港からのアクセスの点ではパリの中で一番便利であると再確認しましたが、安全面ではやはりちょっと問題があるように感じました。
今回パリでは何の予定も無かったので、まず北駅近辺の宿について調べてみました。
北駅は東京の上野駅のような場所ですから、駅前には宿が沢山あります。私が泊まったのは、友達が利用していて便利、という宿で、なるほど駅の真ん前で安かったのですが、仕事としてお客さんを連れてくるにはちょっと問題あり、という感じでした。
外出して夕方戻ってみると、旧共産圏からの観光バスが到着して大騒ぎしていました。土産が多いこと、騒がしいことなど私たちとちっとも変わらないのですが、多分あの人たちとの同宿は問題があるでしょう。
ただし宿泊代金は、この交通の便を考えると破格の安さです。

沢山並んでいる他の宿はいくらくらいなのか、目に付く何軒かに入ってみました。
A.日本人の客がすごく多い、と自慢げなフロントのオジサンは、会話は勿論、ひらがなまで書けました。良さそう。
B.今回泊まった宿と同じ程度で、近くにカフェが沢山あるので、朝食は出さないと聞きビックリ。割り切り方が凄いですね。パンフレット無し。
C.1850年建造の歴史的ビルの中にあるとのことですが、安い宿の場合は時に古さ=汚さの時もあるので要注意。
D.ひとつだけ高級そうなホテルに行ってみました。安心、という感じですが、値段は他のホテルの2〜3倍でした。でも長期滞在の場合は、気分的にゆったり出来て、ここが良いかもしれません。

日本人の場合は荷物が大きいのが問題です。見学した安いホテルの中には、トランクが入らないかもしれない小さなエレベーターのところもありました。ドアの殆どは手動です。田舎の安い宿ではエレベーターの無いところもあるのです。
朝食は大抵別料金ですが、規模の小さな宿では、出るのはせいぜいパンと飲み物程度です。 ノートルダム大聖堂内での反戦コンサート

北駅付近の宿のことは一応分かったので、街中へ行ってみることにしました。
地下鉄の入り口へ行ってみると、メトロの切符の色が変わっていました。古いのも使えるという事ですが、それでなくてもメトロの切符を使った(使用済みの切符を渡して、出口でつかえたところを狙う)盗難が多いのに、危ないことです。
パリの街はいつものことながら混んでいますね。でも、ノートルダム前広場の「芋の子を洗う」ような混雑の中、今回はさすがに日本人が少なくて驚きました。

ノートルダム寺院は、中も外も、平和運動で盛り上がっていました。中央の説教段ではギターを持った若い人たちがスピーチを交えながら反戦歌を歌っています。見守る人たちも心なしか若い人が多いように感じますが、若くない人たちも概ね好意的な反応でした。世界有数の権威ある教会ですが、こういう活動に中を使わせるという懐の広さに感心します。
外の広場にはテントが沢山設置されて、ここでもコンサートの他、皆で平和を話し合いましょうというカフェ、反戦グッズの土産物屋、それぞれに人が一杯で身動きも不自由なくらいです。
貰ったプログラムを見ると、ノートルダムが全面的に後援しているようで、夜間の催しや寺宝のご開帳もあるようです。
キリストの磔に使われた十字架の切れっ端など、処刑に関係のある遺物、ノートルダムにも結構あるのですね。

ふと思いついて教会の左手を見ると、塔に登る順番待ちの列が今日はいつもより短いみたいなので、並んでみることにしました。もう何度パリに来たか分かりませんが、ノートルダムの塔はいつも長い行列で、パスしていましたから。今日の列が短いのは日本人が少ないから? ノンキな警官たち
暑い中、並んでいると突然大勢の警官と何台もの黒塗りの車が来て、気が付くとノートルダムの正面の大扉が開いています。どこかの国のVIPのご来訪のようですが、広場の群集からは特別待遇に一斉にブーイング。
VIPは大勢の護衛に囲まれて中へ入っていきましたが、中は普段と随分違う雰囲気でしたから、面食らったでしょうね。
VIPは中々出てこず、人で一杯の広場、唯でさえ狭い周りの路は、警備車の他に大型バスやタクシー、マイカー、歩行者にゴミの収集車まで来て大騒ぎ、でもそんな中でパトカーに乗った警官同士で抱き合って挨拶したり、私服らしい人と握手したり、和やかなものです。でもVIPが誰なのかは、教えてくれませんでした。
VIPは裏口からでも出たのでしょう、しばらくすると黒塗りの車は空のまま、警備車を従えて去って行きました。 怪獣の像

さて、塔の列は少しずつしか進みません。石造りの塔なのに、それとも石造りだから?、入場者の重量制限があるとかで、人数を区切って入れます。その入り口にいるオジサン、中から合図があると人数を数えて入れるだけが仕事ですから、側に彼女を座らせて、ずっとおしゃべり。暇つぶし用の分厚い本も置いてありました。以前はすぐ近くのサンシャペルの入り口で働いていたとかで、「お待ちください」とか簡単な日本語を話せると自慢していました。
待っている列には別の係員がパンフレットを配りに来ます。ちゃんと日本語のもあります。
やっと順番が来て中に入ると、狭い階段ばかりです。
最初のフロアは売店。ここで、前のグループとの時間調整をします。前が混んでいる時はここで待たされます。
後はまた狭い階段ばかり。途中で息が切れても、下から元気な子供たちが来るので止まることも出来ません。私の前の男性はスペイン語で一段、二段、と数えていましたが、だんだん声が小さくなって、最後は息も絶え絶えでした。
展望台に出ると、写真でよく見る怪獣の像が目の前に、その先にはパリのパノラマが広がります。ノートルダム寺院が出来る前、ここには別の教会があったそうで、広場に残るその礎石跡は塔に昇るとよく見えるのですが、本日は広場が満員で無理でした。大きな鐘を見た後、更に塔の屋上へ行くのですが、ここも人数制限(19人)をしているので、合図があるまで昇れません。 塔の屋上からノートルダムの屋根塔の屋上からノートルダムの屋根

屋上にはさすがに危険防止の金網が張ってありますが、更に見張りの青年がいます。途中の係員も若い人が多かったのですが、ここで何時間いるのでしょう、ご苦労なことです。
待っている人がいるので、屋上での滞在時間は5分と言われました。一周には充分な時間です。景色も途中の展望台で充分かなと、私は思いましたが、違うのは展望台は前面だけ、ここは360度ということでしょう。
混んでいるのに人数制限となると、入れる人が限られてしまうのではと思いますが、お陰で中はガラガラ、ゆっくり見られます。時間に余裕の無い人は来なくて良いということなのでしょう。
帰りは心臓にも余裕があったので数えてみましたら、約300段ありました。 可愛い人形劇可愛い人形劇
下に下りてまずアイス。広場では様々な人が様々な催しを楽しんでいましたが、私はその中の人形劇が気に入りました。キリストの誕生やマリア様の昇天など聖書にまつわる話を可愛いお人形で表現するのですが、観客のほとんどが大人でも皆一生懸命見ていました。
全部コンピューター制御というのですが、操り人形の動きは一見非常に原始的で、最初は手動かと思いました。
ノートルダムの前の広場には、古代の教会跡が見られる地下遺跡や、フランス中の距離の基準となる「ゼロ地点」、日本橋のような標識もあるのですが、大混雑の本日はパス。

ホテルへ帰ろうとセーヌ河畔を歩いていると、なにやら人だかりがしています。ここは、シェークスピアカンパニーという古本屋なのですが、オーナーが有名な人なのですね。でもまだ生きているのかしら。 可愛い人形劇ShakespeareCompany

ホテルへ戻って窓から外を見ると、正面はフランス国鉄の建物ですが、カーテンはズタズタ、窓もガラスが汚れていて、ちょっと呆れました。窓が開いているのですから誰かいるのでしょうが、人気が感じられません。
北駅はガラス張りの新しい駅舎も出来ましたが、中央にある大時計は何と1時間も進んだまま、私が着いた日からそうでした。

5月5日
空港へは、来た時と全く反対に戻りました。
空港ではSARSが危険だなぁ、なんて考えながらロビーを歩いていたら、向こうから厳重なマスクをした中国人らしい家族連れ、びっくりしてこちらが逃げ出しました。
旅行中、アジア系の顔は疑われているかも、と感じることが何度かありましたが、まさか「私は日本人です、日本と中国は違う国です」なんて看板を下げて歩くわけにもいきません。
マスクをしたあの中国人家族のヨーロッパ滞在は、さぞ不快だろうと同情してしまいました。フランス語ではSRASと言うのですね。

出発が大分遅れたため、ロビーには人が一杯になりました。到着便が遅れたのが原因ですが、放送がフランス語でしかなかったため、日本人だけでなく大勢の人がカウンターに詰め寄っていました。私の隣に座って待っていたインドの青年もフランス語がダメで話し掛けてきたのですが、アメリカに留学していたとか、珍しく癖の無い美しい英語を話していました。
ここでのチェックインは厳重で、大きなベルトははずして別に検査、ブーツは全員脱がされていました。
待ち時間が長くなると、一箇所に集まってタバコを吸う人が出てきました。集まっている場所が「禁煙」のシールが貼ってある真下だったのも驚きでしたが、吸っている人が全部日本の若者だったのに絶望しました。 ポストイット

アムスの空港では、往路別れた二人が元気に待っていました。イタリア・クレモナでは展示してあったバイオリンの名器ストラデバリウスでの即興の演奏会に遭遇したそうな、私へのお土産はバイオリン模様の「ポストイット」でした。

アムステルダムの空港は考えてみると随分昔からあるように思えますが、古さを感じさせない、近代的で清潔な空港です。お店もブランド品の他、チューリップなど球根を売る店、「うさこちゃん」でおなじみのミッフィーちゃんグッズ、ダイヤモンドも売っています。
そしてこのたび知人から教えてもらったのですが、空港内には美術館もあるようです。時間つぶしにはもってこいですが、私が今持っている空港ガイドには載っていません。次に行く機会があったら探してみますが、機会のある方からの情報も、お待ちしています。
乗り継ぎまで随分長時間待つこともあるのですが、4人以上ならば簡単な市内ガイドツアーもあります。空港近くにも見所は沢山ありますから、ご利用されてはいかがでしょう。
再び満員の飛行機に乗り帰路につきました。

5月6日
成田へは定刻着。飛行機から降りる前に大勢の人がマスクを着けましたので、私も。考えてみれば、どこから帰ってきたか分からない人が大勢すれ違うここが一番危険かもしれません。
入国審査官は、そう考えると気の毒ですね。カラス天狗のような厳重なマスクをしていましたが、入国者はマスクを取って見せるのですから、必ず息がかかるのです。
出てきた到着ロビーも、ゴールデンウィークの翌日にしては閑散としたものです。自宅へ向かうバス、時には満員のこともあるのですが、今回はたった2人でした。マスクを取って乗ってしまいましたが、あの人、どこから帰国したんでしょうね。

帰国後しばらくは心配していましたが、SARSの潜伏期間は通り過ぎたようです。

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