フランス・シャンパーニュ 2003.Apr.28〜May 6

今回の旅は、アジア中が SARS 騒動に揺れている最中の出発になりました。
中国に行ったことのある人、特に中国があまり好きでない人ならば、香港、台湾、中国本土にだけ何故このように SARS が蔓延して止まらないのか、ある程度想像できるのではないでしょうか。

週刊誌に報じられている通りの防疫体制であれば日本も心配ですが、潔癖症の人が多い日本では、あのような事態はありえないと思います。

でも皆、心配なのですね。イラク戦争に次いでの騒ぎに、飛行機は、関係ないヨーロッパ線までがガラガラ、ゴールデンウィークだというのに、航空運賃は冬なみの底値になりました。
一年中で一番ヨーロッパがきれいな5月、それを逃す手は無いと、私は出かけることにしました。

4月28日
成田から遠い神奈川県の我が家ですから、朝いちの電車で出発しました。
車内には、それでもスーツケースを持った海外組らしい人たちがちらほら見え、東京から成田へ向かう電車の中はやはり賑やかなものでした。
でも空港駅のパスポートチェック、人が少なくてショック、出発ロビーも普段より人が少なく、更にショックを受けました。

SARS について日本で一番危険なのは成田空港と聞いていましたので、ほとんど小学校の給食当番以来のマスク姿で空港入りしましたが、「危ないのは到着ロビーよ」の声、なるほど。

KLM・オランダ航空のカウンターはノースウェストと一緒。搭乗受付が始まると、あ〜ら、長蛇の列。アメリカへ行く人は復活したのね、松井・イチローかしら、なんてノンキなことを言っていましたが、アメリカ便の大半は夕方発、こんな早朝にいるわけが無いでしょう。

並んでいる大勢の全てが私と同じ飛行機と知ってショック。値段の高かった4月27日まではガラガラだったそうですが、安くなった28,29日は、命と値段を天秤にかけて、値段を選んだ人がこんなにいるんですね。お客さんに充分告知出来なかった、旅行業者としての自分を、深く反省しました。

アムスまで同行の二人が、最終目的地ミラノに住む息子のために用意した、見るも恐ろしい大量の米・味噌・蕎麦などの荷物の整理に手間取ってチェックインが後のほうになった私たちは、既に席を選ぶ余裕も無し、私は三列席の真中という最悪の場所でした。

ミラノ行きの2人の機内持ち込み手荷物でも更に大トラブル。機内持ち込みは一つだけ、とKLは非常に厳しいいのですね、これが。
既に大幅に重量オーバーしている、スーツケースにはとても入らない諸々の入った大きな手荷物の上に、やはり息子に渡すパソコン、そして自分の手荷物とハンドバッグ、まあ持っていくほうも持っていくほうですが、オランダ航空も譲らない。
結局、パソコンは例外として認めてもらえましたが、その他は一つと言われ、ハンドバッグまで押し込んだ手荷物は満杯で蓋が閉まらなくなりました。

そんなことをしていたら、免税店を覗く時間も無く、飛行機のドアを閉めると予告された時間になりました。これも厳しいのですね。
以前カナダへ行く時、遅くなったお客様と一緒に売店でウロウロしていたら係員が探しに来て、後ろから押されるように走って、私たちが機内に入るなり、ドアが閉まり飛行機が走り出したことがありました。
遅れると本当に閉めて出発してしまう会社もありますし、遅れの原因を作った、と問責されることもあり、こういうところは、「なあなあ」で暮らしている日本の日常生活ではとても割り切れず、既に外国の第一歩という感じです。
イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア等、新教・アングロサクソン系の国は大体において規則に厳しく、ドイツ、オランダなどの国々も同様と感じます。日常生活ではごく常識的な日本の人達が、以上のような国々の厳しさに中々対応できないのが、添乗時の悩みの一つです。

ゲートには既に人が一杯。満員のせいで、決めた時間より少しは遅く搭乗が始まりました。
ここでも係員が、荷物の数と大きさを改めてチェック、厳しい。
そんな中で目を引くのが、かなり上手なカタコトの日本語を話す外国人女性の一団。あの厳しいチェックインカウンターをどうすり抜けて来たのか、1人1人が手荷物の他に大きな動物の縫いぐるみを抱えていて、係員と揉めています。

そんなことはどうでも良いワと、先に機内に入ったのですが、何と彼女たちは私の前三人と後ろの三人席。ちょっと遅れて入ってきて、荷物を入れたり出したり席を替わったり、席につく前も後も、あまり聞きなれない言葉で大騒ぎ。そして席に就くなり物も言わずにシートをグーッと後ろに倒すので、不意打ちを食ってこちらはビックリ。余りのマナーの悪さに、ヨーロッパでも中央より東の国?、と想像したら、後で「当り」と判りました。

私は三人席の真中。窓際にはちょっと陰気な白人のお兄さん、通路側は30歳くらいの女性、団体でスペインへ行くとのことでした。戦争にSARSというこの騒動の中、40人ものグループだというのでビックリ。安いから、と言っていましたが、ここにも命より旅行が大事な人達がいました。

KL862は、ほぼ定刻の 10:25に出発しました。離陸するとすぐに、また前の席がグーッ、見るともう熟睡していました。
しばらくすると食事。おかずは和洋選べるということで「洋」を選択、隣り合わせの三人とも「洋」だったのですが、窓際の兄さんが何か言いた気、なるほど蓋を開けてみると中にはご飯が一杯なのです。
カレー、またはハヤシライスという感じのメインに、小さい巻き寿司がついて、でも他所を覗いてみると、「和」はゴマのかかったご飯のよう、結局黙って食べていました。
9.11以来、乗っ取り事件を警戒して大部分の機内では金属製のナイフがプラスチックに変わったのに、ここでは未だに全部が金属製。自己主張というか、簡単には真似をしないのですね。でも配膳時にビニール手袋をしているのは SARS予防でしょうか。

食事のときは注意したらやっとシートを立ててくれた前の席のお姉さん、映画が始まっても窓のシールドが開けっ放し。隣の兄さんが気にするので聞いてみたら、女性達も彼もルーマニアの人、でも連れではなく彼は日本人の妻になっている従姉妹の家に遊びに来たとのこと、二ヶ月も滞在したとか。ルーマニアあたりからもそんなノンキな観光旅行に来る人がいるのかと偏見を反省しながら驚きました。
女性たちはカタコトながら日本語で話が通じるのだからかなりの長期滞在と見えました。
KLはルーマニアへ行くには便利な路線と聞いていましたが、こんなに乗っているとは驚きでした。

映画が終わると夜食?になりましたが、カップラーメン又はアイスクリーム、という選択肢が妙。

アムス到着予定は現地時間で 15:10 だが、少し早めに着きます、とアナウンスがありましたが、車輪まで出した後、滑走路の上で着陸直前に急上昇して、機内は騒然となりました。滑走路上に障害物があったらしいのですが、オランダ語、英語、日本語の順にアナウンスなので、反応が時間差で面白かったですね。本当の大事故の時には、この言葉の時間差、結構問題だと思いました。
再着陸には30分も要し、折角の時間短縮はパァになりましたが、上空からチューリップの絨毯が何枚か見られ、喜んだ人も多かったようです。

到着後はシェンゲン条約により、オランダ以外の大部分の国へ行く人もここで入国審査ですが、アムスの空港はスタンプも押してくれません。先ほどのルーマニアなどは、アムスは通過点でブカレストで入国審査がありますが、審査の有無はゲートを分けることでうまく区別されているようです。

空港にはお店が一杯。それをかき分け搭乗口を目指すのですが、アムスのスキポール空港は、新しいタイプの空港ビルの建築ブーム最初のもので、水平移動だけでうまく設計されていますが移動距離はかなりのもの、ミラノ行きとはここで別れました。

入国審査、手荷物・身体検査の後、パリ行きのゲイトへ行きました。何しろ全財産(オーバー!、機内持ち込み手荷物だけの旅)を持っているので、面積の広い身障者用のトイレに入ろうと探しましたが、ゲート近くのトイレは階段の下。「身障者用はずっと手前にあります」との表示、なるほど全部水平移動の空港なのですから車椅子でも移動は難しくなく、そうであれば全部のトイレを身障者用に整備しなくても良いのですね。

もう人が沢山集まっているゲートにはテレビが置いてあって、天気予報を放映していました。あんまり上天気は期待出来そうもありません。
パリへ行く機内は満員でした。多種多様な人が乗っている中で、私の隣は韓国の娘さん、パリに住む従姉妹の家に寄宿して休暇を楽しんだそうで、明日は帰国とのことでした。

最初彼女は私に日本語で話し掛けてきました。スムーズな日本語でしたが、何処のものともしれない微かな訛りに「(日本の)何処から来たの?」と訊いたところ、韓国の大学で日本語を勉強中とのこと、それなら非常に上手と驚きました。
沢山話している内に日本語では足りなくなって最後は英語に変わったのですが、英語も上手でした。すぐ隣の国の人なのに、外国で英語で話すなんて・・・、私も少しくらいハングルを勉強しなければね。

パリでは私の嫌いな第一ターミナルへ着きました。ここは円形の斬新なデザインで、最初に出来たときにはさすがフランスと大層評判になった建物ですが、新しい第二ターミナルが出来ると、エアフランスの発着もそちらに移ってしまい、免税店もショボイのだけが残り、交通の便も第二ターミナルには劣り、日本の成田空港の第一、第二ターミナルよりも大きな格差がつきました。
スターアライアンス加盟の航空会社がここを使っているのは知っていたのですが、KL/NWも使っているのですね。次にパリへ来る時には、第一ターミナルへ着く航空会社は使わないようにと発着航空会社名をメモしてきましたが、そんなことより値段差のほうがやっぱり重要かもしれませんね。どうせ免税店では何も買わないのですから。

第一ターミナルからはシャトルバスで第二空港「駅」へ行き、そこからRERという近郊列車で市内へ行きます。
シャトルバスに乗って発車を待っていると、ドヤドヤと大勢の中国人が乗ってきました。中国のどの地域から来たのかは分かりませんが、このSARS蔓延のご時世にありがたくない同乗者です。
大きな声で話し(唾を飛ばし)、何が不安なのか運転手にしきりに話しに来るので、運転席の真後ろに座った私も気が気ではありません。マスクは奥深くしまってしまったので、顔をそむけていました。
RERの車内では彼らは見当たりませんでしたね。切符を買うのに手間取っていましたから、次の列車だったかも知れません。
RERは日本の成田エクスプレスのように、第二、第一ターミナルに停車した後、ほとんど停まらずにパリ市内まで走ります。泥棒が多くて有名な路線で、私も以前、パリ市内から空港へ向かう車中で小さなスーツケースを盗られました。
今回は北駅で降りましたが、初めて個人旅行できたときには乗り換えて地下鉄に乗る方法が分からず、大きな荷物を持ったままレアール駅で悪戦苦闘したのを思い出します。

今回の宿は北駅の真ん前。北駅周辺は日本で言うとかつての上野駅周辺のような、あんまり優雅とは言えない地区です。アラブ人が多く、出発直前にも駅のすぐ裏で起こったアラブ人同士の凄惨なリンチ事件が日本の週刊誌に報じられていました。
私は明日利用する東駅まで、たった5分だというので着後すぐに歩いて下見に行きましたが、アラブ独特の、男ばかりの集団があちこちにたむろしていて、ちょっと恐い思いをし、近くても地下鉄を利用すれば良かったと思いました。 東駅

明日は東駅からトロワへ向けて出発の予定ですから、東駅では時刻表を入手。ユーロスターの乗り入れを機に大改装なってモダンになった北駅と違い、東駅は古色蒼然たるたたずまい、何と鉄の塀と門まであるのですね。終電の後は閉めるのかしら? 駅舎にはホテルもついています。

時刻表を宿まで持ち帰って、じっくり見てビックリ。日本で見たトーマスクックの時刻表が信じられなくて、わざわざ時刻表を確認に行ったのですが、パリからトロワまで、所要時間は1時間半程なのですが、間隔が凄い。7:14の次は9:45、その次は13:15、15:15・・・。時刻表無しではとても行かれません。
以前パリからオンフルールへ行った時、同行の人が「一時間に三本くらい」と言ったのを信じて時刻表も見ずに駅に行ったら、三時間に一本しか無くて酷い目に遭ったのを思い出しました。
辺鄙な田舎なら兎も角、パリから、行く先も結構有名な町なのに。東京近郊で、頻繁に来る私鉄を愛用している私は、時刻表など見もしないで駅に行ってしまいますが、ここでは時計と時刻表が必携です。
トロワで一泊の後はランスへ行く予定で、ここもパリから近く、しかもトロワとは同じ環状(車)線上なのですが、二都市を繋ぐ列車の便は無く、それでも列車を利用するならば一度パリまで戻って同じ東駅から再度乗るしか方法が無いらしい。時刻表を見たらパリへ戻って、同じ東駅で4時間ぐらい待たなければならず、一日仕事になりそう。ままよ、明日は明日の風が吹く、先のことはトロワで考えましょう。

4月29日
7:14の列車に乗ると8:40着でちょっと早すぎる、9:45の列車だと11:11着で遅すぎる、迷った末にやはり7:14の列車に乗ることにして宿を出発。6:30には完全に夜明けなので明るいけれど、東駅までの5分間、人気が無いのが却って不気味でした。

切符の自動販売機を使わない場合は、窓口で前の人がどんなに時間がかかっても待つしかないので、随分早めに行ってみたら、さすが大ターミナル駅、そして珍しくお客が少なく、あっという間に切符は買えました。
トロワの駅名は、Troyes と綴るので、拙い(つたない)フランス語で数字の3=troisとは区別して発音したら、アッサリ「同じだよ」と直されました。

出発20分前にはプラットホームの番号が表示され、停車する駅名も出ました。ホームに行ってみると、なんと長い列車!。
終着駅はスイスの Basel のはずですが、どの車輌にも Bale と書いてあるだけです。フランスの列車は途中で切り離しや連結が頻繁に行われ、同じ列車に乗ったつもりでも途中から違う路線を走るなんてことがあるので、車輌ごとの行く先表示を確認しないと絶対に乗れないのですが、Basel の表示を探している内に、その長い列車の一番前まで来てしまいました。
そういえば、フランス語とスイスの(多分)ドイツ語では、同じ町でも表示が違ったような気がして、元気に、やはり一番前まで来ていたオジイサンに訊いてみると、果たして Bale とは Basel のことでした。
やっと安心して車輌の中へ。フランスの列車はバリアフリーなんて何のその、ホームが低いので乗る(登る)のは大変です。困っている人には誰でも手を貸してくれますけれどね。また、二等車輌でも指定席があるので、窓の上に指定席を示す紙切れが貼ってないところを探して座ります。フランス人だって行く先が心配な人はあるようで、私に尋ねる人もありました。 高さが随分違う二階建て

出発すると間もなく右手に大きなお城のような建物、まだパリの市中のようです。次に来たときには行ってみよう、と駅名をメモ。さすがにパリは市街地が大きいけれど、それでも20分もすると一面の畑になりました。

トロワの駅には定刻の8:40着。予約しておいた宿は駅のまん前でしたが、いくら何でもチェックインには早すぎます。荷物を預けていると、同じ列車で到着したらしい人が他にも沢山荷物を置いていきました。列車の本数が少ないのですから、早く来る人も多いのでしょう、「チェックインはまだ」を連発していました。

ホテルの斜め前には観光局があり、早速中へ入りました。日本ではほとんど地図らしい物が手に入らなかったので、地図をもらい、ついでに明日ランスへ行くバスはあるかと訊いてみました。「勿論」とにっこり手渡された時刻表、でも早朝6:30発の次は11:30発、平日でもその二本だけ、休日は全休だそうです。
地図を片手に早速町の探訪に出かけました。 猫の路西側の入り口と郵便屋さん

トロワの町はフランスの中でも伝統的な木組の建物が最も良く保存されている町のひとつと聞いていましたが、駅から5分も行けば、全部が木組の建物といえる旧市街に着きます。
花の季節5月といえどもパリの北側はまだ目覚めていないらしく、町の大半の見所は10時からなので、まずは外側からの観光です。3、4階もの建物が、前に後ろに、右に左にそれぞれ傾いて通路を隔てて建ち、「猫の路」なんて標識の貼ってある小道はなるほど猫の好きそうは猥雑な感じのする場所、よほど猫が多いのか、猫の看板も目に付きます。 猫の路東側の入り口

シャンパン製造で知られるシャンパーニュ地方の南端に当るこの町は、旧市街がシャンパンの栓の形をしているのが売り物で、駅は栓の一番下に当り、栓の頂までは15分くらいでしょうか。町を縦断して、まず栓の上のほうからスタートです。

大聖堂 St Pierre et St Paul の起源は随分古いもののようですが、はっきり修復の記録が残るのは9世紀末から。大聖堂は13世紀のローマ法王ウルバヌスWを出したトロワらしい立派なものですが、フランス大革命時に破壊されたとかで外壁の彫刻部分は無く、しかも排気ガスで黒く汚れていて、現在は昔日の勢いを失っていると言われるトロワの町を象徴しているようでした。 内部のステンドグラス

それでもバスに乗った観光団体がいくつか来ていました。ステンドグラスも破壊の跡を残しているとのことでしたが、内部は立派でした。

大聖堂の前には由緒ありげな古いワイナリー、隣には素晴らしい彫刻の収蔵で知られる市立美術館がありますが、残念ながら火曜日は休館。ガイドブックには水曜日無料、とだけ書かれていましたが、休館日の情報の方が大切ですよねぇ。 ワイナリー

大聖堂のすぐそばには、この町で一番有名なホテル Le Champ des Oiseaux(ル・シャン・デ・ゾワゾ) があります。 Le Champ des Oiseaux雨どいも風情がありますオーナーが朽ち果てそうな建物を買い取って、中世そのままの雰囲気を残して改装したもので、なるほど素晴らしい建物でしたが短期の1人旅には無用の存在、見学だけさせて戴きました。

ワインのコルクの形をした街の栓の首にあたる部分には運河が流れており、いかにもフランスらしく花が一杯に飾られています。運河沿いにはルネッサンス風の県庁が目立つ以外は、ほとんどが古い木組みの建物で、湿気が少なくて木が腐ったりはしないのでしょう、日本の民家では考えられないような高層建築もありました。中庭、バルコニー、外壁、柱などには意匠を凝らした個性的な装飾が施され、やはりフランスだなと感じ入りました。

続いて栓の下側の聖ウルバン教会へ。トロワ出身の法王ウルバヌスWと非常に関係の深い教会です。
フランス革命は王制打倒と同時に一種の宗教革命でもあったということで、フランス中の宗教的な建物や彫刻は随分破壊されたのですが、この町では沢山ある小さな教会は難を逃れ、この教会は主祭壇のみごとな装飾が残っていることで知られています。
私には、らい病だったという 聖Roch の像と、ぎっしり彫刻された洗礼盤が魅力的、またステンドグラスも豪華でした。ワインの産地らしく、聖母マリアとブドウ、という像もありました。




市庁舎前の広場そこから少し行くと市庁舎前の広場にでますが、ここは木組みの町トロワを象徴するような、視界一杯に木組みの家があり、その全部が現役で使われています。広場の一角はレストランのテラスとしてテーブルや椅子にパラソルが華やか、夏の夜は更にムード満点のようでした。

トロワの町はカナダのモントリオールと関係が深く、市庁舎の壁にはモントリオール市の設立に協力したことへの感謝状のプレートが貼られています。またモントリオールのノートルダム寺院(内部が青いので有名)を設立し、現法王によって聖人に序せられたマルゲリータという女性もトロワの出身だそうです。

更に下ってくると、聖ヨハネ教会の前に、観光案内所がありますが、この建物も立派な木組みのものでした。何箇所かあるこの町の観光局はどこも大変親切で感心しました。また手渡された小さなガイド本も非常に良く出来ていて、短い観光にも充分役に立ちました。うっかりフランス語版を受け取ってしまい、文字が小さいのが少々難点で、すぐには充分に読めませんでしたが、英語版もあるはずです。

観光局の前にある聖ヨハネ教会は修理中のため入れませんでしたが、壁には「サンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼路」の標識が貼ってあり、勿論パリより北から行く人だっているわけですから不思議はないのですが、ちょっと驚きました。
この後行ったシャンパーニュ地方のあちこちの教会にもこの標識が貼ってありました。
観光局近辺の旧市街は歩行者天国になっていて、人気の少ない朝方には本当に中世の雰囲気が味わえました。

次は聖マドレーヌ教会です。ここはちょっと通り過ぎてしまいそうな、現在の入り口は細い道に面しています。大革命時に全土でほとんど破壊し尽くされてしまった「高欄」が残っているとのことで、「高欄」って何だろうという興味を持って行ってみると、火炎模様のゴシックの橋のようなものが教会内部の真中にありました。「石で出来たレース」と形容されるほどギッシリ彫刻がされていて、排気ガスに当らない分きれい?、でもいかにも古そうでした。絶滅危惧種と言うだけあって、なるほどフランスでは沢山の教会を訪れた私も初めて見るものでした。

この教会には12世紀の教会改革に大きな力のあったシトー教会を建てた聖ロベールの像がありました。シトー派というのはブルゴーニュが本拠と思っていましたが、ここはブルゴーニュと目と鼻の先、先ほどの聖ウルバン教会にも、関係の深い聖ベルナールの像がありました。

トロワには「10の教会の町」と言われるほど沢山の(10以上ありそうでした)教会があり、観光局の壁には、それぞれの中に置かれている彫刻のポスターが貼られていました。その中には可愛い天使が微笑んでいるものがあり、場所を聞いて行ってみることにしました。
観光局がくれたガイド本には、街中の見るべき木組みの家のリストも付いており、それらを見ながら歩いたのですが、またまた、その個性的な多様性に感心するばかりでした。路も相当入り組んでいて、途中で出合ったフランス人夫婦は迷子になっていたので、地図を見せて助けてあげました。

可愛い天使像があるのは聖パンタレオンという教会で、(伝説上の)ユダヤ教会の跡に建てられたポーランド人たちの教会とのことです。大革命時には破壊から逃れるために沢山の彫像の避難所として使われ、今も16世紀のトロワの彫刻美術館の体をなしているとのことですが、観光客の姿も見当たらず、索漠とした内部に、臆病な私は、感じるはずも無い霊感に怯えて早々に退散しました。

この町は中世期、ユダヤの学問の中心地だったということで、現在も欧州ヘブライ研究センターがあるとのこと、もう少し駅寄りにはユダヤ教の教会もありましたが、この辺りは教会にも昼休みがあり、聖マドレーヌ教会には二度行くはめになりましたが、ユダヤ教会は時間調整できず割愛しました。

この続きはこちら
この旅行記の最初へ戻る
ホームページの最初へ戻る