フランス・シャンパーニュ 2003.Apr.28〜May 6(2)
さて、ホテルへ戻ってみると何やら駅前が騒然としています。パトカー、白バイ、大勢の警官が駅を囲んでいるのです。駅前のバス停で明日の時刻を確認したいと思いましたが、今はダメと警官に強く押し返されました。車も駅前へは進入禁止。見ていると制服警官以外に、私服(Tシャツ!)に「鉄道警察」と書いた腕章をした人もいます。その辺りの住人なのでしょう、緊張の中にも周りの人と話しながら笑いも漏れます。警官と抱き合って挨拶している人もいました。
爆弾情報があったらしい、とのことですが、電車が二本通過した後、何だかわからないうちに警官は次第に数が減り、群集は解散になりました。
チェックイン後、再び街に出ました。大通りから駅への入り口には、ロータリーに大きな石像が立っています。それに沢山の三色旗がなびいて綺麗なこと。旧市街から路一本隔てた場所、市バスのターミナルのような所に行くと、その前にある大きな広場には真新しい花輪が供えられています。戦士たちの慰霊碑です。
大昔から国内、近隣国と、近代では二度の世界大戦に巻き込まれたヨーロッパの国々、その何処に行っても感心するのは、戦死者たちの慰霊碑が今も人々の生活の中に現役として生きていることです。特にフランスの5月は、ナチス・ドイツ軍の占領に心身共に苦しんだ第二次大戦が終わった時期であり、慰霊碑は文字通り花束で埋まります。
いやでも、時々日本の各地で遭遇する「忠魂碑」の寂しい有りようと比較してしまいます。日本の若い人たちの中には、日本がアメリカと戦争をしたことも知らない人がいるなどと聞くにつけ、ヨーロッパのこの美しい慰霊碑は、若い人たちによってどのように受け継がれていくのだろうと考えました。
バスターミナルの近くには市場もあります。フランス中みんな似通った建物で、中もあまり変わり映えしませんが、チーズ、ワイン売り場などには地方独特の物が見られます。この時期は「白アスパラガス」が沢山出ていました。郊外へ行けばスーパーもあるのでしょうが、この市場で果物や肉を量り売りで買っているオバアチャン、迷い迷いですから時間もかかるのですが、良い風景ですね。
4月30日
一日にたった二本しかないバスに乗るのですから心配で、早起きしてホテルの窓からバス停を睨んでいました。一本目は6時30分ですが、6時15分にはバスが来ましたので一安心。お客はたった3人でした。
今日は朝から大雨。私が乗るバスは11時30分なので、それまでの間、もう一度町を見て、と考えていたのですが、余りにも凄い雨にウンザリして、しばらく部屋で様子を見ることにしました。
テレビをつけると、日本の朝と同じようにニュースの中で季節の情報、今朝は市場にレポーターが行っていました。日本と同じようにスタジオのキャスターと市場のレポーターが掛け合いで季節の野菜を紹介するのですが、日本と非常に違うのは、2人とも真面目でない(?)こと。レポーターは真面目な顔をしながら野菜や果物を食べるまねをしたり、市場の人とふざけたり、スタジオのキャスターはリキの入ったレポーターのしぐさを茶化したり、いなしたり、最後には2人が口笛を合奏、とまあ日本ではあまり考えられない様子でした。
世界ニュースではさすがに SARS のことが報道されていましたが、やはり遠い、別世界の出来事という印象でした。
大きく取り上げられていたのはイスラエル・パレスチナ問題で、ヨーロッパの人にとっては、やはりイスラム・イラクより大きな問題なのでしょう。
また、ローマ法王のスペイン訪問が大きく取り上げられていたのも印象的でした。法王にとってスペインは居心地の良い国の第一のようで、車で進む法王の行列の周りを大勢の信者が走って従う様子や、集会に老若10万単位の人が集まったなどという報道がされていましたが、それを大々的に報道するフランスも、やはり人々の心の基盤はキリスト教であると再認識しました。ちなみに帰国後日本の新聞を見ましたが、法王の動静は小さな記事が一つでした。
次は天気予報。こんな大雨とは予報してなかったようで、日本と同じく可愛いお姉さんの予報士が謝っていました。今日から後も上天気とは言えず、時々雨が予想されるとのことでした。
雨は中々止みません。荷物が重くなるのでガイドブックを買うのは程ほどに使用と思っていたのですが、退屈なので駅前の観光局へ出かけました。
教会のガイドブックを買って外に出ると、思いがけず日本の女性が追いかけてきました。
トロワは豊なフランドル地方とイタリアを結んで、ローマ時代から交通の要衝、商業の中心地として栄えた町ですが、羅針盤が発明され船での交易が盛んになるにつれて衰え、今ではシャンパン以外に見るべき産業が無いのですが、ガイドブックによれば、18、19世紀に盛んだったリボンやレース、帽子などの手工芸工業がフランス有数のプレタポルテ(高級既製服)工場に変わり、近郊にはブランド品のアウトレットセンターが出来て人気を集め、パリから大勢買いに来るとのことでした。
私を追ってきた女性も、アウトレットセンターに行くためにパリから日帰りでやってきたとのこと、観光局で教えてもらったバスを待っている所でした。
こんなに電車の便の悪い所までブランド品を買いに来る人がいるのに私は驚き、その女性は、ここまで来てアウトレットセンターに行かない私に驚いていましたが、この町の旧市街は素晴らしいから、待っている間に少しでも見ていらっしゃいと、聖マドレーヌ教会を曲がる所まで教えてあげました。
女性は二人連れで、今晩はパリでサッカー観戦とのことでした。私が今日ランスへ行くと言いましたら、ランスへは去年行った、一番良い宿に泊まったと、宿の領収書を見せてくれました。こういう風に個人旅行を楽しむ人がだんだん増えているのですね。
ランス行きのバスは定刻の大分前に来て待っていました。数人の旅行客の他に地元のお年寄りが何人か乗りましたが、運転手とは顔なじみらしく、走行中ずっと話していました。一番前の席は運転手の私物、孫のおもちゃが載っていて、潰れるからと、私が隙間に手荷物を押し込もうとしたら必死の形相で見張っていました。
ランスへ行くバスはトロワからは二本だけですが、途中のシャロンという町からは夕方遅くにもう一本出ているとのことで、そこにも寄る事にしました。
道中は畑の中の小さな集落に点々と停まって行くのですが、この不便なバスに乗り降りする人が頻繁にいるので驚きました。途中には12世紀の教会もありました。
Shalons-en-Champagne(シャロンアンシャンパーニュ) の町の入り口には古びた風車、駅は町外れの寂しい所にあるので、観光客は皆、旧市街のバス停で降りました。目の前にある教会の大きいこと、ビックリしました。シャンパーニュ地方の教会はどれもとても大きいのですね。
この町はこの地方の行政の中心地ということで、なるほど人々に田舎のノンビリさが欠けていると感じるのは私の偏見でしょうか。車が沢山走っていて、バスはチンチン・バスでした。中心の広場にはアラブ人の露店が並んでいる所を見ると、人口も多いのでしょう。
トロワの観光局であらかじめ地図を貰って来たのですが、最初に見た教会のあまりの大きさに度肝を抜かれて、しばらく呆然としていました。気を取り直して、まずは観光局へ。
この町にはトロワほど沢山の木組みの家は無いけれど、観光局は立派な木組。だれでもがしっかり休むお昼休み中らしいので、仕方なく、入場時間に制限の無い、屋外の観光から始める事にしました。
マリーアントワネットがフランスに嫁いでくる途中通ったということで、町はずれには歓迎のために造った門があります。そのときは大歓迎だったのですね。皮肉なことに、革命時、逃亡を図った国王夫妻が捕縛されたのは、ここから25kmの所ということです。
門の側には「城」という名の建物があって、婚礼などのパーティーに使われているようでした。門の中も外も、周りは官庁街という趣で、ルネサンス風の建物に混じって近代的なものも見られました。
続いて St Alpin教会へ。修理中で入れないとのことでしたが、ここも大革命時に破損されたとかで、外観の痛みようは酷いものでした。
この町のサンテチエンヌ大聖堂はシャンパーニュ地方でも屈指のものとのことで行ってみました。ここは他の教会と違い正面はギリシャ神殿のような列柱になっていますが、その大きいこと、階層になって区切られていない分、尚更大きく見えるのでしょうが、たまげました。内部はここも修理中とのことで、案内が居ないと入れない・・・、探したのですが見当たりませんでした。外部の傷み方も相当なもの、壊れた所から雨が入るのでしょう、苔ともカビともいえないものが一杯で、ますます破損が酷くなりそうです。これも大革命の置き土産とのことです。
グルグル外を廻りながらもがいていたら、正面の方で何やら旗や太鼓を持ったオジさんたちが集まっています。日本人の知り合いがいるという中の1人が話し掛けて来ました。
まず、「日本人なのに何故マスクをしていないのか」と言うので、「SARS が流行っているのは中国で、日本とは別の国」と言ったのですが、分かったかしら。
今度は私が、何をしているのかと尋ねると、今日はナポレオン三世の時代にメキシコであった戦争の、何やら記念日なのだそうです。スペインの統治力が衰えて治安が安定しなかった当時のメキシコへ、ナポレオン三世の提案でハプスブルグ王家の次男(最後の皇帝フランツヨーゼフの弟で領国が無かった)を王として送ったけれど、反乱軍に囚われて王妃共々殺された、という話は歴史で読んだ記憶がありますが、こんな所からも出兵していたのでしょうか。
おじさんは私がカメラを持っているのを見ると喜んで、歩き出しても盛んにポーズを取り、私も立ち去り難いことになってしまいました。新聞記者のような人が1人来ていましたが、それ以外にはカメラを持っている人も無く、こんな記念すべき日にもカメラを持ってこないのかと、驚きました。あちらにすれば、やはりカメラを持っている日本人、と思ったかもしれません。
見ていると、乗って来たらしい消防自動車が放置されていたり、バラバラ遅刻する人がいたり、何ともノンキなことですが、全員が揃うのを待っている間に、雲行きが怪しくなり、一番年長らしい老人がヨタヨタ歩きながら花束を供える頃には、嵐のような強風と土砂降りになってしまいました。オジサンはその雨にもめげず、持っている旗の写真を撮るように私に要求、強風で傘もさせず、お陰で私は全身ずぶ濡れになってしまいました。
喫茶店らしきものも見当たらないので、雨宿りに再び観光局へ。ここで呉れたガイド本はトロワと同じ形式で、同じく大変簡潔にポイントを押さえてあり、役に立ちました。雨が小止みになったので外へ出て昼食にしましたが、この店では日本から来たのならばSARS は大丈夫でしょうね、と確認されました。
次はバス停そばのノートルダム教会。サンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼路の表示がしてりますが、外壁の損傷は更に酷く、石像の頭も大半が取れていました。内部はステンドグラスが美しいのですが、誰もいないので少々恐ろしくなりました。
ランス行きのバスは17:30発。到着は8時過ぎですが、夜は9時過ぎまで昼間と同じ明るさですから、あまり不安はありません。
やってきたバスの運転手はやはり自分の荷物で最前列の席を占領、ラジオを聞きながら鼻歌交じりの運転の最中も、美人の運転する自家用車には必ずちょっかいを出すという、日本では考えられない態度でした。考えられないと言えば、フロントガラスに大きなひびが入ったまま、というのも日本では考えられませんが、ヨーロッパではよく見ます。このバスもそうでした。
一日に何本もないこのバスを通学に使っている人たちもいるのですね。「テクノシティー」ともいう停留所がありましたが、周りには工場・研究所と思しき建物が沢山。その一角にある学校は工業高校のようでしたが、そこからランス行きには沢山の生徒が乗りました。休日はバスも学校も休みです。
途中の沿線は菜の花が満開で美しいこと。カメラを出して夢中で撮っている私を運転手は不思議そうに見ていました。
ランスには郊外に小さな小さな空港があるのですが、最近は日本と同じく地方発の飛行機が流行っているらしく、何と「ランス空港発ロンドン行き片道9.99ユーロ(\1300くらい)から、毎日運行」というビラが出回っていました。行く先はロンドンでもヒースロー国際空港ではなく、スタンステッドというローカル空港ですが。
ランスの市内に入ると、名物のシャンペンの会社が並んでいます。
普通ワイナリーと言うと、見渡す限りのブドウ畑の中にシャトー、という田舎風景を思い起こしますが、ここでは市のかなり内部までブドウ畑が食い込んで、しかも畑が豪邸風の高い塀に囲まれているので、中がチラリと見えたときには驚きました。
シャンペンはワインの中でも高級品ということでしょうか、ワイナリーもちょっと格が違う立派なたたずまいです。
町の真中に来て、大聖堂前で大半の人はバスから降りました。これまた豪壮な大建築で、明日が楽しみです。
私の宿は駅の真横の Hotel Ibis 、安くて清潔で足の便が良く、このチェーンを愛用しています。
5月1日
フランス中を巡るうちにフランスの歴史に興味を持ち、団体旅行の折には参加者に王の系図を配ることにしている私にとって、歴代国王が王と認められるために必ず訪れたランスという町は、ある種の最終目的地と言えないこともありません。その憧れのランスの町の第一日、それが5月1日とは、ちょっとガッカリでした。
日本では一部の人しか関心を持っていないメーデー、これがフランスでは国を挙げての祭日なのですね。以前、初めてモンサンミシェルへ行ったのは4月30日で、明日は教会の観光が出来ないと聞いて仰天したものでした。
モンサンミシェルでは5月1日に本当に教会が閉まっただけでなく、バスも殆ど運休でタクシー利用(至近駅?まで二時間歩いた人もありました)、列車も一本逃したので7時間後、という目に遭いました。稼ぎ時の祭日に何故休むの?とタクシーの運転手に訊いたら、人が休んでいる日に何故働かなければならないの?と反対に訊き返されてしまいました。
フランスに何度も行くうちに日・祭日にも何度も遭遇し、パリ以外の場所では休日には何も出来ないことを、今では納得しています。
休日には全く走らない路線もあるのですから移動は困難、外観だけでも観光するのが無難かな、という訳ですが、短い日程の関係でそれが肝心のランスに当ってしまいました。
早く出て行っても仕方ないので、まずテレビ。相変わらずローマ法王とイスラエルです。SARS の報道もカナダが入ったり、ミラノでも一人出て、少しは身近に感じているようです。トルコで大地震、アルゼンチンでは大洪水との報道でした。
今日充分に観光が出来ないならば、明日アミアンへ向けて出発する時間も重要なので、まずホテルのフロントに訊いてみました。駅前旅館なのに、電車なんて利用しないのでしょう、アミアン行きの列車なんてあったっけ、という感じで、時刻表など勿論置いてありません。
仕方なく駅へ行ってみると、ジャ〜ン、ありましたが、一日二本、11:13 と 17:29 でした。鈍行で二時間半の行程で、遅い方は到着が夜の8時、まだ明るいのでこちらに決めました。
ランスの近くには Oger という可愛い町があると聞いたので、時間があったら行って見たいと思っていましたが、この調子では車が無ければとても無理ですね。こちらの人には人気の場所のようで、日本出発前に問い合わせてみたら、Oger の宿の殆どは満員でした。
休日の市内観光はまず入場時間に関係ないものから、ということでホテルでもらった地図を頼りに駅から左へ歩いて Porte de Mars(マルスの門) へ。ローマ帝国で最大と言われる凱旋門です。
駅からの路は大きな公園沿いでマロニエの花盛り、とても綺麗なのですが休日なので恐ろしいような無人。公園の中の遊園地まで休み、休日に乗らずにいつ乗るのでしょう? 門の周りは車の往来は激しいけれど人影はまばら、5月1日はメーデーであると同時にスズランの花をプレゼントする日なので、見える人影はスズラン売りだけです。自分で摘んできたのでしょう、家族連れや子供の姿が目に付きます。結構しつこい。
ゴーストタウンを町の中心へ向かいます。まずは市庁舎、建物の上部にあるルイ13世の像は大革命で破壊されたものを19世紀になって再設置したそうです。ここでは大勢のデモ隊に遭遇しました。フランスは今失業率の高いのが悩みなのですね。色々なグループがデモ行進をしていましたが、フランスらしいな、と思ったのは、子供の他に犬までがスローガンを書いたTシャツを着ているところでした。
しばらく歩くと、「洗礼者ヨハネの生家」という立派な建物が現れました。洗礼者ヨハネとはキリストに洗礼を施した人、つまり中東に2000年前に生きた人でですから、そんな人の生家がこんな所に、しかも近代的な建物で、おかしいな、と思いました。詳しいことは分かりませんが、この人は17世紀の人で、キリスト教の一つの派を創立した後世の人のようで、町の中あちこちに彼に因んだ場所がありました。
やっとランスのノートルダム大聖堂とのご対面が叶いました。
12世紀から700年に亘って、フランスの歴代王はランスで戴冠式を行わないと正当な王と認められなかったということで、有名なのは百年戦争の折り、数多いる王の候補者を出し抜いて、ジャンヌダルクに伴われたシャルル7世が戴冠したということでしょう。何だか旗取り競争みたいですが、大聖堂の正面にはジャンヌダルクの像もありました。ジャンヌダルクはフランスの北部で活躍した人で、トロワの大聖堂にも、立ち寄ったというプレートと像がありました。
ローマ軍を打ち破ったフランク王クローヴィスが戴冠した 498年の 1500年後を記念して、1998年ローマ法王がランスで記念のミサを行って、政教分離の見地から物議をかもしたりもしましたが、25人もの王が戴冠した大聖堂はフランスの象徴とも見なされ、第二次大戦中はドイツ軍の集中攻撃を受け、壊滅的は被害を受けたそうです。ドイツに近いということもあるでしょう。
その瓦礫の中からクローヴィス王の洗礼堂が発見されたとのこと、この教会も古い建物の上に建てられているのですね。修理中の他、発掘中の場所が沢山見られました。
内部は静かなもので、有名なシャガール作のステンドグラスもゆっくり鑑賞できました。シャガールはロシアに生まれユダヤ人社会で育ったとのこと、独特の美しい色ガラスは13世紀の手法で作られているそうです。赤・青・緑の美しさ、感動的でした。
大聖堂の正面には最近ヨーロッパの何処の観光地でも見られるミニトレインがいました。所要時間がたった30分とのことで、市内全部を廻れるのかしらと疑いながら乗ったら、やはり大聖堂の周りだけ、というインチキでした。
この車で廻ったところには3世紀のクリプト(地下礼拝堂)がありましたが、これは夏のみ公開で残念、県庁広場にはルイ15世の像がありました。
休日なので諦めていたのですがランスの観光局は11時に開きました。本物なのか否か、建物は石造りの遺跡の体、やはりおのぼりさんが多く、中は瞬く間に満員になりました。
シャンパン工場を見学する人が多く、それは休日でも開いているようでした。マルスの門や水道橋などの古代の建物、道路や住居を造るためには町の地下から切り出した石灰岩が使われ、その切り出し跡を利用して地下に造られた何kmにもわたるシャンパンの貯蔵庫を見学、試飲も楽しめるとのことでしたが、アルコールに弱い私はパス、試飲と買い物だけならば大聖堂の前にもシャンパン屋がありました。
ランスにある4つの世界遺産の内、休日も入れるのは大聖堂とサンレミ教会だけなので、午後はサンレミ教会に行ってみました。
サンレミという人はこの地方の大司教でしたが、戴冠に先立つ496年、異教から改宗するクローヴィスに(天使から授かった聖油を使って!)洗礼を施した人で、国王に従ってフランス自体がそれ以後キリスト教国になったという、フランスの歴史にとっての重要人物です。
またこの教会は、日本の有名な画家・藤田嗣治画伯がカトリック教徒に改宗するきっかけとなった教会でもあります。
教会は町の中央からは大分離れた場所にあり、最初歩いていった私は、途中、休日のゴーストタウンで人気は少ないし、居るのは曰く(いわく)ありげな人ばかりに見えて、ちょっと恐ろしい思いをしました。
こんな町の真中にもシャンパン工場があり、何とマキシムの看板が出ていました。休日でしたが、韓国人らしいグループが入っていました。
サンレミ教会は、バジリカと呼ばれるローマ時代の古い建築様式で建てられた教会で、明かり窓が少なく、藤田画伯が霊感を受けたと言われるのも頷ける、暗い感じの教会です。内部の中央には彫刻で飾られたサンレミの棺がありました。紀元500年頃の遺体が入っているのですね。ローマ法王がクローヴィスの洗礼1500年を祝ってミサを行い、藤田画伯がカトリックの洗礼を受けた場所でもあります。
ランスの町には「市内回り」のようなバスが走っており、教会脇のバス停からは左右どちらの方向行きに乗っても、駅に着くようです。

再び大聖堂まで戻り、近くにあって気になったお菓子屋さんを覗いてみました。
ランス名物として紹介されていたのはサクサクしたピンクのお菓子。とても綺麗でおいしかったので沢山買いましたが、紙の箱しか無く、粉が出て、持ち帰るのが大変でした。このお菓子を作るには、小麦粉ではなくピンクの粉を使うのだそうですが、ピンクの色は何処から来るのか、訊いてみましたが確たる返事はありませんでした。
ランスはまたシャンパンの中心地ですから、シャンパンに因んだお菓子も沢山有り、右の写真のものは、シャンパンの栓の形に作られたチョコが、ビンの形をした容器に納められているものです。

歩きつかれて駅まで戻ってくると、まだ鈴蘭を売っています。可愛い女の子に声を掛けられ、ついに一つ買いましたら、ホテルでも女性客にだけ、鈴蘭をくれました。鈴蘭だけでは寂しいと思ったのでしょうか、この日売っていた花束は大体バラと一緒になっていました。
5月2日
一日たった二本しか無いアミアン行きの遅い方に乗ることにしたので、夕方までランス観光です。休日で見られなかった場所が多く、ランスの町は案外広いので、忙しそうです。
市内だけで4つも世界遺産のあるランスの町では、パリに於けるカルトミュゼ(共通券)のように主要な6つの博物館の入場券を一枚にして売っています。通用は一ヵ月、美術館、終戦調印記念館、プラネタリウムなども含んで全部で3ユーロですから安いものです。
ただし、この地域の観光シーズンは5月かららしく、それ以前は開いていないところが多いので注意が必要です。
まずは大聖堂隣のトー宮殿へ。ここは共通券不参加。昔は司教館だったここも世界遺産の一つで、戴冠の儀式に関わる遺物や、古い彫刻などが納められています。入場者は少なく、所々で所員らしい人がおしゃべりしているのが目立つぐらいでした。出口の近くには売店がありますが、ここは充実、というか、私のように歴史や建築に興味のある人にはありがたい、この地方とフランス一般的の関係書物、中世に関するものなどが沢山ありました。
続いてサンレミの博物館へ。ここは開場が午後二時で、早く着いたので再度教会に入ろうとしたら、こちらも二時までは昼休み、お天気が良いので教会広場でノンビリ昼食にしました。
二時前になると沢山の車が門内へ入って行くのですが、それが館員でした。ここも入場者は少なく、二時前からダラダラと入場を許していました。内部にはサンレミの業績を示す沢山のフランドル製のタペストリーが飾られ、ここランスも随分昔からフランドルとローマの通行路だったことが知られます。目玉のクローヴィスの洗礼を描いたタペストリーは少々色落ちが激しいけれど、古さを考えれば仕方ないでしょう。
考古学的な展示物も有り、皆静かに見ていましたが、突然社会見学らしい小学生が現れ、どこでも同じですね、先生の注意する声と生徒の喧騒で騒々しくなりましたので、入れ違いに外に出ました。

一度駅前のホテルに戻り、駅で列車の時間を再確認し、念のために切符も買ってしまい、今度は藤田画伯の礼拝堂へ向かいました。フジタ礼拝堂の名前はバス停もあり知られていますが、ホテルのお姉さんに聞いても距離はイマイチはっきりしません。昨日最初に行った Porte de Mars の先らしい、と歩いていると、右側にシャンパン工場の一つマム社が見えてきました。
藤田画伯は、ここの社長の厚遇を受け、敷地内のマリアさまに捧げる小さなロマネスクの教会に、壁画とステンドフラスを制作したとのことです。教会のたたずまい、前庭にある可愛らしい像、何とも心温まる雰囲気でした。
日傘が欲しいような上天気でしたが、この頃から急に空が曇り始め、ポツポツと雨も落ちてきました。ランスはヨーロッパでの第二次大戦に終止符を打つ、ドイツ降伏条約が調印された場所で、駅の裏手には調印式が行われた建物があるのですが、遠景のみでパス、駅へ戻りました。
ランスの駅前には私がこの旅で一度だけ見た「万能」自動販売機があります。普通の自動販売機で売られている飲み物、スナックの他にトイレットペーパーからテレホンカードなどまでが一台の機械で売られていました。そして面白かったのは電子レンジ機能も備えていて、商品によっては暖めて出てくるようになっていたことでした。あまり利用している人は見ませんでした。
私が海外の自動販売機でで一番不便だと思うことは、冷たい清涼飲料だけで、日本のように暖かいお茶やコーヒーが無いことです。冷たい缶のコーヒーなども見かけないので、私のようにジュースを余り飲まないけれど味の無い水も苦手、という人には困ります。コーヒーや紅茶は入れてすぐに飲むものだというわけでしょうが、味の濃いコーヒーしか見つからないときなど、滅多に利用しない日本の自動販売機が恋しくなります。
ホテルへ戻って、預けてあった荷物をピックアップ。駅に行くと列車は始発で30分以上前に来ていました。
何と私に途中駅を確認するフランス人がいたのですね。駅の名前は Laon といって発音が非常に難しく、「Laon へ行きますか?」という早口のフランス語が聞き取れない私は何度も訊きなおし、相手も懲りずに何度も訊くので、堪り兼ねて側の人が答えてくれました。
列車の発車直前、先ほどから怪しかった空から突然の大雨。周りが真っ暗になるようなもの凄い雨で、最後に乗った人たちはずぶ濡れでした。
ランスからアミアンへの途中、Laon は大きな町でした。操車場も兼ねているのか、線路が一杯でTGVも来るようでした。さっきの人は私にウィンクをして降りていきました。
他の大半の駅は過疎を絵にかいたような小さな集落で、踏み切り小屋以外には何も見えず、こんな所に停まる必要があるのかしらと思う所もありました。ロマネスクの教会や切り出した材木の他は一面の青麦畑と菜の花、所々には牛、馬、羊の牧場も見えます。小麦の積み出しの頃には少しは賑やかになるのでしょうか、多くの駅の、沢山の引込み線の先には巨大な製粉工場がありましたが、どれも錆付いて、使われていないように見えました。ドイツに近いこともあるのでしょう、教会の形も様々です。先日バスクで見たのとは違う種類ですが、植林はここでも盛んです。
線路の周りに、綺麗な川や池のようなものがたくさん見えてきて、アミアン着です。
アミアンでは駅前のホテルが満員だったため、街中のメルキュールになりました。町の中心部は駅からかなり距離があるので、それは良かったのですが、前もってもらった地図では距離感が全く掴めず、駅からどう行けば良いのか分からなかったので、ホテルまではタクシーを利用しました。
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