カンボジア:遺跡と悲惨な生活 04 〜 09 May, 2005 (2)
5月7日(金)昨日は日没観光、今朝は日の出を見るということで、早朝アンコ−ルワットへ。懐中電灯が必要な暗さだからさすがに土産物売りは少ないが、観光客は沢山、西塔門の内側にはもう座る場所も少ないくらい。座ってはいけない遺跡の石の破片もあるらしいが、既に座っている人のマネをして散らばっている石の上に座る。こういう時に気になる犬のフン、カンボジアには犬が少なくて、フンも少ない。人間だって生きていくのが大変なのだから飼い犬という余裕は無く、ノラ犬も食糧が少ないので数は少ないとのこと。

生憎お天気がイマイチで、日の出は見えませんでしたが、古代を感じさせる静寂の中で遺跡を眺められたのは良かったと思いました。
ホテルへ戻って朝食。隣がオールドマーケットということで、朝食をそこで食べた、と言う人もありましたが、好奇心旺盛な私も、そこまでの勇気は無し。食後ホテルの向かいの公園を散策。睡蓮が美しい。川の向こう側は農家らしく、牛を使って耕作をしているのが見られます。
今日は昨日の二大遺跡を取り囲むその他の遺跡観光。ほんの数年前までは銃を持ったゲリラが出現することもあったということですが、今は大丈夫のよう。
まずは東洋のモナリザと呼ばれる女神テヴァダーの浮き彫りが美しいバンテアスレイ遺跡へ。ここは彫刻が細かく鮮やかに残っており、巨大なアンコールワットやアンコールトムより私には印象的でした。建物全体が鎖で規制されており、眼目の女神像に近付くことは出来なくなっていました。
例の如く昼休みの後、今度はタ・プローム遺跡へ。ここはアンコール遺跡群が南方独特の樹木に破壊されてきた様子を展示すべく、遺跡が破壊されるままに保存されている場所で、なるほど樹木の力にただ感嘆。
映画の撮影にも使われた場所があり、皆は騒いでいました。
この後、未完成のまま放置されたためにアンコールの建築方法を見て取ることが出来るというタケウ遺跡、王の沐浴のための池(広大!!!!! この時期、水無し)とされるスラスラン遺跡を巡るのですが、それらへ行く途中にも右に左に多数の遺跡があり、西洋人の個人旅行者と思われる人達が三々五々、散策していました。また、こんな奥地にも集落があることに驚かされました。古代を知る人達か? 内戦の時はどうしていたのでしょう。
5月8日(土)午前中はオプショナルでしたが、全員参加でトンレサップ湖へ。これは今回の旅一番の悲惨な体験になりました。
湖への道はシェムリアップの町から30分余のデコボコ。畑と荒地が入り混じった地域を走っていると途中に検問所があります。内戦が終わったとはいえ、人々の移動は未だに厳しく管理されているとのこと。何と言ってもタイやベトナムが陸続きで、しかもこちらの方が圧倒的に国力が弱いのですから、心中穏やかではないでしょう。
道沿いには細い木の枝に椰子の葉を葺いた小さな小屋が沢山並んでいます。雨季と乾季では面積が変わるトンレサップ湖ですから簡単に移築? 出来るようにと、文字通りの簡易住宅ですが、網代壁にペンキで書かれている文字は住所表示だそう、こんな所にも手紙が届くということでしょうか。家を支えている枝の余りの細さに、よくその上で安心して暮らせるものだと感心してしまいます。

所々に井戸が見えますが、これは外国の援助によって掘られたもので、やっと安定した水が確保できると言われていますが、日本人が飲めば即下痢という恐ろしい水、それでも頭などを洗っている人を見かけました。
トンレサップ湖は雨季と乾季では湖の面積が何倍も違うとのこと、私たちが行った5月は乾季の最後で水が一番濃縮されている時期だったのでしょうが、それでも・・・。
写真で見た湖は一応「水色」をしていましたが、現実に見ると、この時期はまるでドブ。岸辺には沢山の掘っ立て小屋が建ち、大人も子供も物売りと物乞い。足元にはゴミが一杯。水辺の地面はぬかるんで黄色くなっています。そんな中に架けられた頼りない板橋を伝って船に乗り込む、この「水郷」で「クルーズ」だというのです。25ドル也。

真っ茶色の水しぶきを浴びながら戯れる子供たちを見て、まず胸が悪くなった所へ、乗った船のスクリューが舞い上げる泥水に、ホント、もう帰りたくなりました。ハンカチで即席マスクをしている人もいます。そんな水の上でボートに様々なものを乗せて売っています、勿論食料品も。しばらく行くと名物らしい「豚小屋」があります。水の上に浮いているのです。ということはフンは?、いや家畜だけでないでしょう、人間だってトイレは水上なのですから。湖面の殆どは赤潮に覆われています。観光客用に公衆トイレもありましたが、トイレの取材が趣味の私も恐れてパス。この湖で養殖? もうカンボジアでは絶対にナマズは食べない!
それでも、個々の人達は船の上で犬や猫を飼っている、自分固有のペットを持てるということは、いくらか生活水準が高いんだそうな!!!
ほうほうのテイでシェムリアップに戻り昼食。午後はまずオールドマーケットへ行きました。と言っても、私に取ってはホテルの隣。何度か行った同じ店で値切りながら買い物です。
驚いたことに、同じ物の値段が2,3倍どころでない差。象模様の袋付きの可愛い箸セットは、立派な店構えの土産店ではここの六倍、椰子糖という黒砂糖に似たものは、ここでは5個で2ドル、土産物屋では一個3ドル、空港では一個1ドルでした。スカーフやテーブルクロスは、商売するのではと疑うほど沢山買った人もありました。とにかく安い。
食事に行った人がいるとはいえ、鳥インフルエンザが噂される今日、肉が置いてあるところは遠回り、あまりに残酷で正視に堪えないというのもありましたが、臭気が感じられないのがホントに不思議。
この後、安い土産だけでは・・・、と言う人達のために、NGO経営という少々高級な土産物店へ。高級、といっても他国に較べれば安いものですが、絹製品と銀製品が主に売られており、値切りは不可。品物はとても良いもので、皆さん、「自分用」といって買われていました。
再度バスに乗って、最後の観光場所ロリュオス遺跡へ。アンコールより古い遺跡群とのことだが、それなりに傷みも激しい感じ。
まずはロレイへ。もう建物の態をなしていないが、四つの祠堂があり、その壁に彫られた金剛力士像が有名。境内には僧院があり、低くなった所で坊さんたちが水浴び? ヒンズー教だというが、仏教とどこが違うのだろう。
次は聖なる牛を祭ったと言うプリア・コー。こちらも崩壊が甚だしく、聖なる牛も欠けている。
最後はバコン。花に囲まれた広い境内にはしつこい土産物売りもおらず、静かなもの。またまた急勾配の石段を登ると頂上近くには大きな象の像。こんな大きな像をどうやって乗せたのでしょう。
ロリュオス遺跡群からの戻り道は、シェムリアップの退社時間と重なったらしく、向かい側から、もの凄い数の自転車がやってくるのが見えました。かつては中国・北京での自転車通勤・通学が有名でしたが、今ではここカンボジア。若いのに、人気で高価だというTOYOTAに乗っている家族も少しは見かけましたが、殆どの人は自転車なのでしょう。中国同様、今後の発展に期待大というところでしょう。
夕食の後、最後に宿へ戻って、夜の出発に備えて荷造りと休養。土産は少ししか買わなかったし、持ってきた水は飲んでしまったので、荷物は軽々。絹の安いスカーフをもう少し買えばよかったかしらん。
空港へ向かう途中、市内の一番良い場所にある立派な建物がシアヌーク国王の別荘、と聞いてちょっと?。このような貧しい国では貧富の差は仕方ないのだろうけれど、一方は地面を這いまわりながら物乞い、一方は病気治療と称してずっと外国滞在、教育が行き届いた暁にはひと波乱、免れないのでは。殿下の日頃のきらびやかな衣装が印象的なだけに、貧しい人々の煮しめたような服が気になりました。
空港では、先ほどNGOの店で見たカンボジアの特産品、通常の免税品に加えて、遺跡関係の立派な本が沢山あり、ここを訪れる人達の文化度の高さを思い知らされるような気がしました。バーに椰子糖があることを知って大勢が買いました。
日本人ばかりが直行便で日本に行くのだから出国も簡単と思っていましたが、荷物検査が案外厳重。文化財の価値に無知な住民から貴重な遺物などを買って国外に持ち出す人がいるためとかで、アララ、今回も居たみたいです。脇で荷物を全部出さされている人が。随分厳しく調べられていました。
花が好き、と言って花を抜いてきてしまう人と同じ、文化財を私有してどうするんでしょうね。
帰りの機内は来る時と同じで、少々狭い。でも6時間余の夜間飛行ならばと私はトイレにも行かずに眠ってしまいました。夕食は既に済ましているので食事は到着前の簡単な朝食だけ、なかなか頭のよい時間配分です。
以前からの宿願だったカンボジア旅行。貧しい人々の悲惨な生活に心が痛んだけれど、多分一生に一度の良い思い出にもなりました。
海に囲まれて外国の影響が極端に少ない日本に住んでいては到底思い及ばない、隣接する国々の影響と恐怖。中国、タイ、ベトナムの影響があんなに感じられる、自分たちの伝統を形造るものが全部侵略の結果だとしたら、複雑ですね。
カンボジアでは日本のボランティアが山繭(自然のままで緑色の糸を吐く)の生育に力を入れているとのことで前々から興味がありましたが、今度もしや訪ねる機会があれば、是非もう少し涼しい時に、トンレサップ湖ももう少し美しい時にしたいと思うものであります。
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