カンボジア:遺跡と悲惨な生活 04 〜 09 May, 2005
二度と行かないと決めていた東南アジアなのに、「アンコールワット」の魅力に惹かれて、ついついお誘いに乗ってしまいました。
その結果は・・・、人々の余りにも悲惨な生活環境が目に焼き付いて、やはり後悔しています。
今回の旅は、カンボジア航空を一機借りきった、ある会社の研修旅行でした。
その「カンボジア航空」というのが随分気になりましたが、私のお客様の中にも行ってみたいという人が多いカンボジア、後学のためにと申し込んだのです。
改めてガイドブックの注意書きを読んでみると、結構怖い国・・・。ポルポトで有名な内戦のお陰で国中のエリートが殺されたことは広く知られていますが、お医者さんもほとんど殺されてしまったため、東南アジアの中でも医療水準は極端な低さ、そしてマラリアをはじめとする恐ろしい病気を媒介する蚊、その他の害虫やバイ菌には事欠かない国、いったん病気になると、現地の病院ではほとんど対処出来ないと書いてあるではありませんか !!!
でもまあ、またとないチャンスでもあります。エィッ !!! 虫さされの薬と大量の生水を持って出発。
5月4日(火)貸切のためチェックインは第二ターミナルの端、5日間の旅ですが手荷物だけの人から大型トランクの人まで、荷物が様々なのが面白い。私は2リットル入りの水とウーロン茶を入れ、普段はサンダル履きなので別にウォーキングシューズを入れたので、5日間にしてはやや大き目の荷物、それでもスーツケースの半分は空。満杯になるほどのお土産があるかしら。
成田では有力でない航空会社の駐機場はターミナルから遠いと相場が決まっているので、バスで随分行くのかと思ったら案外な近さ。カンボジア航空と大きく書いてあるけれど、ちょっとタイの色合いが濃いようです。
機内は左右三席づつで約40列、つまり240人ほどの人数ですが座席の間隔の狭いこと、座るとひざ頭がほとんど前の席についてしまうので、通路側以外はトイレに行くのが大変、特に窓際の人はドン詰まり状態で身動きもならず、これは悪評。万一事故にでもなったらどうするのかと、ちょっと心配でした。
最初から機内食はカンボジア料理かしらと半分は恐れていたら、意外や「幕の内弁当」でした。乗務員は全員現地の人で、機内放送はおぼつかない日本語、お給仕の人達も決まった話しか通じず。機長さんは西洋人でした。
飛行時間6時間余、到着したプノンペン空港は周りに赤土が丸出しの、でも建物などは立派な空港でした。
私は様子が分からなかったのでカンボジアのビザを日本で取りましたが、現地空港でも取る事が出来るとのこと、空港建物内で最初に行き着く場所がビザオフィスです。そこで書類に記入してお金を払えばOK、他の人が入国審査で並んで滞っている間に取れるので、今の所はこれでも問題無いでしょう。突然規則が変わる、という恐怖はありますが。
入国審査は「最近コンピューターを導入したので時間がかかるのをご諒承下さい」とブースに張り紙がしてありましたが、全くの手作業が行われていること、更にその確認をコンピューターでしているらしいことが、超スローモーな進み具合で分かりました。
荷物を受け取って外に出ると、やはり蒸し暑いこと。出迎えのガイドやバスの運転手の他に、何をしているのか分からない人が大勢屯しているのが、やはりアジア。
担当のガイドに導かれてバスに乗るなり、「アッ、蚊がいる」との声。そしてその声とほとんど同時に感じた瞼の鋭い痛み。何と私は虫除けを塗る間も無く、到着早々に刺されてしまいました。
来る前に聞いていた恐ろしい蚊の恐怖。帰国後間もなく次の予定があるのに、どうしよう。急いで持参のタイガーバームを塗りました。
でもタイガーバームは効いたのかどうか、ちょっと分かりません。毒?は体内に広がりませんでしたが、刺された場所は旅行中ずっと堅く腫れて、ある朝には目が開かなくなってしまいました。途中で更に刺された「ほほ」も、タイガーバームのせい?で、堅くなってしまいました。
私はタイガーバームが合わない体質なのか、それとも薬自体が古かったか。何しろ何時入手したか覚えていないほど古いのですから。
バスは日本で言う大型「マイクロバス」、二人分の座席が一枚の椅子になったもので、クッションが悪い上に道路がデコボコなので、乗り心地は良くありませんでした。しっかり冷房が効いていて快適、でもその騒音は大変なもの、車体が小さいので荷物は別の車で移動となりました。
ホテルは警戒していたにしてはマアマアの立派な物、プノンペンの町の中心部にありました。夕食までの間に早速外に出て見ましたが、暑いッ。道は相当汚い。店も何となく不潔に思えて、買い物をする気にはなれませんでした。

東南アジアの国々の例に漏れず、水は日本人には到底飲めませんから、部屋には飲料水のビンが二本、約3リットルが毎日支給されました。でも警戒心旺盛な私は、それも飲まず、持参のミネラルウォーターを飲料、歯磨きにし、支給された水はコップの洗浄にしか使いませんでした。でも同じことですね。
5月5日(水)夜中にもの凄いスコールがあったようですが、朝は快晴。昨日のバスに乗ってプノンペンの市内観光に出発。若い可愛い娘さんがガイドでした。

まず王宮へ。入場料の他、ビデオ、写真を撮る人は別料金、それでも撮って良いのは庭ばかりで、王宮の中を撮ってはいけない・・・、ヘン。
即位殿と呼ばれる建物には、シアヌーク殿下が幼くして即位した時に使われた椅子がそのまま保存されています。内部は式典などに現在も使われているとのこと。殿下は今どこにと聞くと、ガイドさんは病気療養のため北京と答えたけれど、アンコールのガイドさんはプノンペンの王宮と言ってました。まあ皆、余り関心を持っていないということでしょう。
建物は仏教風と説明がありましたが日本とは随分違い、柱を支えているのは「ガルーダ」という神様の像。インドネシア航空のニックネームもガルーダなので同じ神様らしいけれど、男神と女神があることをはじめて知りました。
即位殿の隣は宝庫。歴代王の遺物、衣装が飾られています。ちょっと中国風? カンボジア女性の色鮮やかな盛装も飾られていますが、面白いことに曜日によって色が違うとのこと。いつ頃から七曜を使うようになったのでしょうか。インドのサリーよりは随分厚手だが、長い布を巻きつけ銀の装飾ベルトで押さえてモンペのようなズボンにするのを、何人かが実際に着せてもらいました。
そんな建物群の中に一つだけフランス風の建物、ナポレオン三世の王妃からの贈り物とか。フランスの植民地だったことは知っていましたが、侵入してくる両隣の強国シャム(タイ)とベトナムの脅威から逃れるために、カンボジアの方からフランスへ接近していったようです。
広い庭には大きな木が沢山あり、中の一本は「日本ではサイカチと呼ばれている」と説明がありましたが、初めて見るものでした。
続いて隣にある「銀寺」へ。庭の周りを囲う壁(塀の内側)には壁画が一杯。これは「ラーマーヤナ」を題材にしたもの、ということはヒンズー教? カンボジアの歴代王朝は様々な宗教を信仰してきたとのことで、アンコール遺跡にも様々な様式が知られていますが、どれにも詳しくないので、この後も混乱。
まずは「図書館」と呼ばれる建物へ。ガイドブックの記述に較べると随分規模が小さく感じますが、中には木の葉に書かれた仏典があります。「木の葉」とはいえ、もう何百年も前の物だとのこと、信じられない気持ちで触らせてもらいました。
部屋の中央には聖牛ナンディの像。私達の、敬意を払わぬお参り?は却って失礼かも。
銀寺 Silver Pagoda は内部の床一面に銀板を敷き詰めてあるとのことですが、現実には一部分を除いて上からカバーがしてあって、全貌は見られません。
内部には宝石で飾られた王冠やらエメラルドの仏像などがあり豪華なものですが、何となく輝きが失せてほこりっぽい感じ。
銀寺の背後に廻って一休み。ここにはアンコールワットの模型があり、行かないうちに記念撮影。小さな売店があり、アイスクリームを買う勇気ある人もいましが、大抵は缶飲料で我慢。ちゃんと冷えている。私はそれも恐ろしくて、持参のぬるいお茶を飲みました。
王家式典の館と呼ばれる屋根と柱だけの建物(と言っても、とても豪華)を見ながら外へ。こんな場所でも全員がトイレに行くのは驚き、全員旅行業者なのに。
国立博物館はクメールの彫像コレクションとしては最大と言われていますが、一般的に「おすすめ」とされているものとカンボジア人の評価は違うのか、私達の若いガイドさんは、どれも「分け隔てなく」解説。こちらはガイドブックを片手に、あれが有名らしい、などと言いながらついて歩きました。
次はプノンペン発祥の地とも言えるワットプノン寺へ。先が細くなった屋根のこの寺はビルマ式だそうです。寺は石段を登った丘の上にあるのですが下の公園には象も見られ、バスを降りる前は期待したのですが・・・、もの凄い勢いで駆け寄る物乞い、物売りに辟易。
カンボジアは長く続いた内戦と放置された地雷、戦後の国内の混乱から、身障者が非常に多い国。私が子供の頃、街頭で物乞いする姿を見かけた日本の傷痍軍人は傷を大きな包帯で包んでいましたが、暑いためかここでは切断された肢や腕がほぼ剥き出しのまま。病気が原因なのか、手や足が信じられない方向に曲がったままの人も多く、それらの人々が、金持ち観光客の到来とばかりにどっと寄ってくるのです。目のやり場に困りながら早々に階段を上ると、その途中にも。
寺に入ってほっとしながら内部を拝観。黄金の仏像を始め沢山の像が安置され、そのそれぞれには様々なお供物が供えられていますが、そのお供物の色鮮やかなこと。寺の内部は仏陀の生涯を描いた壁画で飾られていますが、内部の雰囲気は、私が知っている少々寂れた京都の寺を思い起こさせるものでした。
寺院の裏手に行くと、寺の創始者? ペン夫人の像。極彩色の像にはこれまた極彩色の衣装やアクセサリーが掛けられており、インドのお寺・仏像を思い出させます。
再び降りた下の公園には、今度は物売り。如露の先のような形の「ハス」の実を売っており、食べられるのだそうです。
最後にセントラルマーケットへ。
バスを降りるなり物売りに囲まれます。手に手に持って売っているのは何とカラフルな「ハンモック」。暑いカンボジアでは最適の寝具でしょうが、吊るす所も無い日本人には無理。
無数のテント露店に囲まれた中央市場は外観は意外な近代建築。中は・・・、床は土のまま。中央部にはギッシリ宝石?を売るガラスケース。本物かも、と思われる小さなものから、本物ではありえない大きさのガラス玉までが、裸石や加工品となって並んでいます。こんなに沢山、誰か買うのかしらん。仕入れの資金は?
中央から伸びた建物の翼部分には肉屋。「鳥インフルエンザ」の危険があるため恐る恐る通過しましたが、冷房も無い場所に、大きく切った肉が一杯。意外に悪臭がしないのが不思議でした。
外に出ると、テント露店の大半は衣料品と食品店。食料品にはちょっと手が出ませんでしたが、カンボジア特産という絹製品は皆懸命に値切って、随分買いました。美しい色のスカーフ、模様が美しい巻きスカート、テーブルクロスというところが主要製品ですが、何しろもの凄い量が置いてあり、安いとはいえ、仕入れにどれくらいかかるのだろうと気になりました。
この後も様々な場面でカンボジアの貧しさを痛感しましたが、それにしては商店から物売りに至るまで、持っている品物の数は驚くほど膨大なものでした。果物屋にしても、あの内幾つが今晩中に売れるのだろうと心配してしまいました。
街頭には日本の宝くじ販売ボックスのような木製のブースがあり、これは名刺屋だとのこと、でも見渡した限りでは名刺が必要そうなビジネスマンは皆無、路上での商いとは別の世界に住んでいるように見受けました。ボックスの数も異常に多いので、誰がそんなに名刺を注文するのだろうと疑問に思いました。
観光後は空港へ。昨日と同じ飛行機でいよいよアンコールワットのあるシュエムリアップへ向かいます。
貸切飛行機なので、チェックインは簡単。一応荷物をレントゲンに通しますが、通過した荷物には日本の荷造りのようなビニール紐を機械でしっかり固定します。ハサミもスーツケースに入れてしまっているので、後で開けるのが大変でした。
到着したシュエムリアップ空港はプノンペンより整備は整っている感じですが、飛行機からはタラップで地上へ降り、歩いて空港ビルへ行きます。幼い頃よく行った羽田空港の初期の姿に良く似ていました。
荷物渡しは完全「手動」。飛行機から降ろしたスーツケース類が小さなカートで運ばれて来、係員が台に載せます。荷物を乗せる台はただの板なので、荷物の来た人から前に出て引き取る、というわけです。
空港から市内へ向かう道路は未舗装ですが、立ち並ぶホテルはどれも非常に立派。生水の恐怖以外は、日本のホテルより余ほど豪華。が、私の泊まったホテルはオールドマーケットのすぐ隣の、カンボジア風。少々オツル感じで、フロントも充分には英語が通じませんでした。ま、寝心地に不足は無し。
5月6日(木)いよいよアンコールワット観光。
シェムリアップの町は昔から魚介類の産地として有名だったということですが、アンコールワットを始めとする沢山の遺跡群の中心に位置し、現在では遺跡めぐりの拠点としての方が知られています。
シェムリアップにはアンコールワット以外にも沢山の遺跡があるのですが、代表的なものは勿論アンコールワットとアンコールトム。この他にタ・プロム(建築物が熱帯の樹木によって破壊されている様子が見られる)、タ・ケウ(建築途中で放棄されたため、建築方法が分かる)、スラスラン、ロリュオス遺跡、バンテアスレイ遺跡などの特徴的な遺跡が知られおり、これらを巡るバスのルート周辺には、これ以外にも様々な遺跡が点在しています。
またアンコールワットは西向きに建てられているために午前中は逆光になるとのことで、一日の観光は通常アンコールトムから始まるとのこと、全くの予備知識無しで来ては、やはり時間の無駄も多いだろうと思われますが、実は私のお仲人さんはカンボジアを中心とする地域の非常に詳細な旅行記を発表していて、それを読んだ上に「地球の歩き方」で詳しい写真を見てしまった私は、何だかもうこれ以上見る必要が無い感じ。何も知らずに来て、重要な物を見落とすのも口惜しいけれど、どれが重要なのか、あまりに詳細に知ってしまって見に来るのは、また感動が少ないかもしれません。
遺跡を巡るには、入場パスが必要で、案外高く一日US$20.00、私たちは三日間でUS$40.00、複数日の場合は写真も必要、予算ギリギリで来るバックパッカー達に取っては結構な支出になることでしょう。軽装の西洋人を沢山見かけましたが、彼らの泊まっているのは高級ホテルが多く、本当の安宿に泊まっているのは案外日本人だけなのではないか? スラムのような裏道に日本語の看板が多かったので、そんな印象も受けました。パウチッコになったパスを首からかけてバスへ。
市内から遺跡に向かってはたくさんのバスが走っていますが道はほとんど未舗装、でもだんだん文明?に冒されつつあるのでしょう、あちこちで巨大建築が進行中でした。
自動車の数は案外多く、街灯が少ない割にはヘッドライトを点けない車が多いので、交通事故が多いそうです。信号も数えるほどしかありませんが、日本より進んで?いるのは、待ち時間がカウントダウン式に表示されていることでしょうか。
バスの他に輪タクのようなものも多く、西洋人が優雅にウチワを使いながら乗っている、彼らに取ってアフリカもアジアも一緒なのでしょう。恒例に従ってまずアンコールトムへ向かうのですがアンコールワットの西門前を通って行くので、その時にはバスの中でひとしきり興奮。
アンコールトムの入り口には神々と阿修羅達が神蛇ナーガを引き合う、という綱引きのような像列があり、これは天地創造に関係あると説明されています。日本にも西洋にも天地創造にまつわる神話があり、どこの国の人に取っても自分たちの出自というのは神秘的なものなのだなあと感慨。
アンコールトムは仏教寺院ということで、とにかく仏頭の多い場所。
アンコールの遺跡は密林に埋もれていたものがフランス人探検家アンリ・ムオによって発見されたとのことですが、現在は密林の存在が全く感じられないほど整備されています。しかし発見された当時は南方独特の成長の早い大木が石積みの隙間に根を張り建物を崩していたとのこと、その後にも原住民の遺跡の価値に対する無知や、ポルポトに代表される内戦、初期の修復に当った人達の無知のために、遺跡の大部分は「崩壊」したまま公開されています。私が好きな西洋のロマネスクやゴシック建築の古い建物が未だに現役なのと較べ、なんとも気の毒な気がします。
四面に仏頭を戴いた南大門を通り、中央部のバイヨン寺院へ。
ゴシック建築のように大きな空間を支える工夫がされていないために、寺院内部は狭い空間に分かれており、レリーフで埋まった回廊も狭く、屋根・天井もほとんど落ちています。デコボコの床と階段に気を取られながら進むと、いつの間にやら頂上と思しき場所へ到達、右も左も、目の届く限りの場所に仏頭(観世音菩薩だそうな)が見られる不思議な空間。
周りの象のテラス、ライ王のテラスなどを見学、ギッシリ彫られた壁面の彫刻は見事なまま残されていますが、テラス上は彫刻類がほとんど原型を留めないほどに摩滅?していて悲惨。
写真も沢山撮りましたが、ガイドブックの立派な写真を見てしまった目には、少々見劣りがするかも。
トム観光の後は、再びシェムリアップへ戻ってまず昼食。日本人が経営している土産物屋兼レストランということで、カンボジア料理も日本人の口に合うよう調理されていましたが、何故か皆には悪評。鍋ものだったので熱くて参りましたが、私は美味しく戴きました。
この後、長時間の昼休み。この日は気温41度だったとか、日陰が殆ど無くとにかく暑いので、カンボジアでは一日中観光なんてもっての他、毎日観光時間より長そうな休憩時間が取られました。

午後はいよいよアンコールワット観光、今度はヒンズー寺院です。朝と同じ道をデコボコ進行。発見時にはジャングルに覆われていたというが、遺跡の周りは樹木が全く無いほどに刈り取られ、芝生の緑が美しい。雨季に入る直前ということで少ないが、それでも環濠には水があり、その向こうにアンコールワットの遺跡が見えます。

遺跡への参道を辿ると、距離によって塔の数が違って見えるとのこと。その仕掛けの基になっている西塔門を越えると、塀の内部はなだらかな芝生。左右に壊れかかった経蔵。参道は半分がきれいになって歩きやすいが、後の半分は放置されているように見えます。が、綺麗にしてみたら思いがけず水はけが悪く、昔の人の知恵を思い知らされて左半分は直さないことにしたとか、修復は修理か復元かという難しさでしょう。
参道の途中には馬が繋がれていて、乗馬姿で写真を撮ることも出来ます。また土産物屋もあり、プノンペンで見た絹のスカーフの他に絵葉書等を売っていました。ジャングルを切り開いた後の樹木は、下枝を払われたからか、ネギボウズのようなものが多く、それが異様に背が高く伸びているのが印象的でした。

壁画の説明を聞きながら内部へ入りましたが、ガイドブックと旅行記の読みすぎで、どれも新鮮な驚きが無く残念でした。中央祠堂で噂に聞いていた急勾配の階段に遭遇、信じられないような勾配の上に、各石段の奥行きが異常に浅く、見るからに危険そう。でも随分磨り減っている所を見ると、みんな登ったのでしょう、信心の証明かしらん。今日も大勢の人が取り付いている、みんな観光客みたいだけれど。
好奇心旺盛な私だもの、逃すわけにはいきません。行きはよいよい・・・、登りながらふと、降りる時はどうするのだろうとちょっと気になりました。
案の定、下りも同じ急勾配、でもここには手すりというか命綱というか、掴まる物があるのですが、その代わり、一箇所しかないそこに、登ってきた人全員が長蛇の列。若いガイドが掴まりもせずヒョイヒョイと降りて行きます。無理しないでね、こちらの心臓が破裂しそう。
またまた一度宿へ戻って再度出直し、夕焼け鑑賞。高い建物なんてまるで無いのだから、太陽はどこから見ても、広大な原野の果ての地平線に沈んでいくのですが、一番人気というプノン・バケン山へ。
山の麓には同じ目的の観光バスが数え切れないほど来ていて、その殆どが日本人。その観光客目当ての土産物屋が細長く連なって延びている、その椰子屋根の上には背の高い木が並ぶ、電気は全く無いので既に薄暗くなった広場を土産物を売る子供たちが走り回っていました。
山頂へは歩いても行かれるのですが、ここでは象のタクシーも売りもの、途中沢山の象に抜かれました。象とすれ違う、ちょっとしたスリルです。
頂上直前にはアンコールワットの全景が木の間隠れに見えます。山頂にはヒンズー寺院だという遺跡がありますが、ここもまた例の「超」急勾配の階段。寺院の高い所、視界の良い所には既に満員の人。暑かった一日の疲れを癒すように、のんびり屯しています。美しい夕焼けでした。
続いて夕食は民族舞踊を鑑賞しながらのディナーショー。屋外だと言うのでどんなに暑いかと心配しましたが、湿気は少ないようで案外快適。
舞台は若い踊り子による庶民的な寸劇風の歌と踊り、きらびやかな衣装を纏った昔の王宮の踊りの二種類が交互に出されましたが、宮廷の踊りはポルポトによって優秀な踊り子と教師の殆どが粛清されたのを微かな記憶を頼りに復元した物とのこと。手の甲の方へ三日月のように曲がる指の神秘的な動きと踊り子の美しさに魅了され、私に取っては今回の旅行で何より印象的な時間になりました。
宿に帰ると「ヤモリ」のお出迎え。超高級ホテルにも居たし、昼間レストランにも沢山いました。
この続き
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