ニューヨーク・市内と近郊 2003.07.7 - 14(2)


集会の日、人前で意見を発表するなど慎ましい女性のすることでない、と躾られてきたエリザベス達は、司会をする術も知らず、その部分は男性に任さざるを得なかったそうです。
賛同した男性の中には、解放奴隷出身で新聞社を経営するダグラスなども含まれていたため、彼の書き物を通じて、この運動が広く知られるようになったとのことです。 ヴェズレー教会

私たちが最初に訪れたのは、集会が開かれた ヴェズレー派の教会に隣接した博物館でした。メールで何度も交信したデイビッドが出迎えてくれ、早速教会の中で説明を受けました。 ヴェズレー教会
教会の建物は、今では屋根と壁の一部だけになっていますが、元々質素を旨とする宗派の建物ですから、当時と大きな差は無いようです。当時、集会が持てるような広い場所はここしかなかったのです。

続いて、車に乗ってエリザベスが住んでいた家に行きました。広大な庭に、子供が沢山いたにしては案外小さな家でしたが、現在改修中で、お勝手などは、まだ復元されていないとのことでした。女中(奴隷?)がいたようですが、大勢の子供の世話をしながら、衣料品や食品の手作りも上手で、主婦としても一流だったことが窺われます。四ヶ国語が使えたとのことで、彼女が使った辞書も置かれていました。 エリザベスの家の前で

夫は、彼女が子供を放って活動に走るのに賛成ではなかったので、華々しく打ち上げた運動の広がりの中、彼女は集会にメッセージを送るなど、象徴的な存在でいることも多かったようです。
家の側には小さな湖も見え、子供の養育には素晴らしい環境ですが、車も自由に使えない時代に、こんな辺鄙なところに住まわされて、活動もままならぬ彼女のあせりが、感じられるようでした。

続いて、権利宣言の草稿が書かれたマクリントック家へ。こちらは隣町ウォータールーにあります。
夫婦揃ってクエーカー教徒で、エリザベスの精神的な支えでもあった人たちの家ですが、アメリカでもこれら「女性の権利運動」の史跡を見直す動きが盛んになったのは、最初の集会から150年を経た1998年以降のこととかで、それまではエリザベスの家も、ここマクリントックの家も、民間人の住居として使われていたそうです。
マクリントックの家は、国のものになって間が無いということで改装中、本来は未公開ですが、出発前にデイビッドに頼んでおいたので、特別に見せてもらうことが出来ました。
最初のお茶会が持たれたのはハントという家で、これもウォータールーにありますが、今は全く関係ない人が住んでいるため、中に入ることは出来ません。 エリザベスとスーザン対面の図

最後に、車で最初の博物館へ戻りました。ロビーには、関連した人物の立像があり、しばしエリザベス、マクリントック夫妻やダグラスと記念撮影、二階には当時から現在に至る、女性の権利運動に関する展示がされています。
ロビーの脇には関連品を並べた売店があり、同行した人たちは運動に関心の強い人たちばかりでしたので、随分買い込んだようです。

復路には、ロンドンで同じように会議から締め出され、それ以来心の友だったスーザンと、エリザベスがウォータールーで再会したのを記念する像があり、しばし写真タイム。背後に独特の形をした教会のある、川べりのこの場所は、独立記念日には、花火でひときわ美しいとのことでした。

ヴェズレー教会と博物館、エリザベスの家などは、国立の史跡に指定されており、周りには Women's Hall of Fame と言って、アメリカの歴史上有名な女性の写真を展示した、やはり国立の博物館やら、Women's Products などという、女性を特化したNGOっぽい店などが並んでいます。ここに来れば女性の歴史が全部分かる、というところでしょうか。

Women's Rights National Historical Park の見学には、思いがけず時間がかかってしまいました。昼食に良いと薦められていた場所までは約一時間くらいかかるということで、空腹を抱えて車に乗りました。 
フィンガーレイク地域は、氷河の削り跡として、指で引っ掻いたような細い湖が11個並んでいる場所です。北へ行けばナイアガラやオンタリオ湖などを経てカナダになりますが、ニューヨーク州北部からナイアガラにかけた全域が果物の生育に適していて、特に最近はワインの産地として売り出しています。フィンガーレイク地域にも数え切れないほどのワイナリーがあり、ワインと一緒に食事が楽しめるレストランも沢山あります。

食事は、そのどこでも良かったのですが、行く前にホテルや博物館からお薦めだった、ワグナーワイナリーへ行くことにしました。
雨は降りませんでしたが、午後からは上天気とは言えず、下がってきた黒雲に気を取られながら走りますが、不思議なことに、周りにはリンゴや桃など、他の果物の畑ばかりで、ブドウ畑はあまり見えませんでした。果物畑も、ナイアガラ地区の広大な畑に較べると、小規模と感じました。
やっとチラリとブドウ畑が見えて、ワグナーワイナリーへ到着です。

建物の前には、白鳥が浮かぶ小さな池があり、さすがに廻りはブドウ畑でした。 ワイナリーのレストランから湖を望む
車の運転手も博物館のガイドと同じデイビッドという名前でしたが、私が事前に知らせておいた希望スケジュールに沿って、彼は次々と訪問先に電話を入れておいてくれ、このワイナリーでも、オーナーが笑顔で出迎えてくれました。

まず食事。レストランは湖を望む大テラス。もう大半の人は食事を終わっていましたが、少々サービスがのろく、私たちも時間をかけて選び、食べたので、随分長時間になってしまいました。でも、おいしい食事にワイン、そして湖を望む素晴らしい景色、これくらいの時間はかけたいものだと思います。

続いてワイナリーへ。先ほどのオーナーが、自ら案内してくれました。試飲したワインはどれも好評でしたが、ナイアガラと同じく、ここも最近の売り物は甘いアイスワインでした。

売店も充実していて、ここでは随分時間を食いました。ワインの他、栓やら、オープナーなどのワイン関連グッズ、ワインをモチーフにしたピンバッジ、テーブルウェアなど、センスの良いものが一杯で、買わないと言っていた人まで夢中になっていました。

帰ろうとしたら、日本人は珍しいということで、オーナーが、先ほど一番人気だったワインを一本呉れました。ワインは余り買わなかったので恐縮しましたが、ありがたく戴いてホテルに戻りました。
夕食の時、ワインの持込は可能かと、地元のワインを沢山置いているレストランですから恐る恐る聞いてみましたら、「ノープロブレム!」、持ち込み料も取らずに、白ワインだからとクーラーは出してくれるわ、開けてくれるわ、グラスも冷やしてくれるわ、またまた恐縮してしまいました。

五日目:7月11日 ニューヨークまでは遠いので、朝食後間もなくホテルを出ました。
デイビッドの車でシラキュースの駅へ。来る時には気が付きませんでしたが、シラキュースの駅は、列車だけでなく、長距離バス・グレイハウンドの発着所にもなっていて、そちらにも大勢の人が待っていました。

フィンガーレイク地域の南はペンシルバニア州にもかかっていますが、この地域はアーミッシュの里でもあるのですね。カナダのトロント近郊からペンシルバニア、オハイオにかけて、景色が美しい農業地域は、アーミッシュ居住区の特徴でもあるのです。
今回の訪問はフィンガーレイク地域の北だけだったので、南部に多いという彼らには会えないと諦めていたら、シラキュースの駅で、服装からすぐ分かるアーミッシュの老夫婦に遭遇しました。写真を撮られる事が死ぬほど嫌い、という彼らですから、黙って凝視、私はトイレの入り口でぶつかりそうになりましたが、日本人より慎ましやかに、先を譲られました。

電気、電話、自家用車などの文明の利器を拒否して、自分たちだけのコミュニティーを守っていると言われるアーミッシュは、成人に達し、一般社会とアーミッシュ社会のどちらを選ぶか尋ねられると、若者は俗世よりはアーミッシュの世界を選ぶと聞いていますが、今もそうなのでしょうか?
雪の降りしきる中、質素な黒服を着て、徒歩や小さな馬車で帰っていった、礼拝後の彼らを見た、冬のカナダを思い出しました。今も「厳しい方」を選ぶ、彼らの強い意志の力、宗教の及ぼす力の大きさを再認識しました。

帰りの列車も遅れました。車社会と言われるアメリカでは列車の整備は遅れているのでしょうか、おざなりにされているのでしょうか、事故も多いと聞いていましたが、遅延は日常茶飯事のようです。途中では車内停電もあり、カフェも長い間閉鎖になりました。
帰りはニューヨークへ向かうので、車内は様々な人で混雑していました。座れない人もいる中、席を取ったままカフェーカーへ行ったきりの人もあり、そこへ平気で座ってしまう人もありました。

ペン駅の外では係員が出て、タクシーの割り込みや、怪しげな物売りを規制していました。こんな様子を見ていると、ニューヨークが以前に較べて安全になったと言われるのも実感するのですが、列車やバスの中、そして建物の中の電灯が、相変わらず日本に比べて暗いように感じました。もう少し明るいと、もう少し安心して過ごせるのに。

私たちが日本へ帰国後、ニューヨークでは大停電が起こりましたが、原因はシステムの老化とか。日本のように、新しい良いものが出れば、壊れていなくても明るい蛍光灯にジャンジャン取り替えることはなく、配線の大元から電灯に至るまで、案外古いものを大切に地道に使っている彼らを再認識しました。時代の最先端を行く国というイメージの中で、依然として古き良き時代に住んでいる人が多いよう、そんなことを実感した旅でした。 

いったん宿に帰り、まだ明るかったのでブロードウェイへバレエの衣装を買いに出ました。モダン・ダンス全盛の今、バレエ衣装にはあまり力が入っていないような気もしましたが、綺麗な色の一枚を含め、結構な買い物になりました。

六日目:7月12日同行者は全員帰国。用事の無い私は、料金が五千円も違うので、明日帰国。 国連内にて国連内にて

午前中は国連へ行ってみました。今日は土曜なので会議は休みですが、土産物屋は開いているのです。

が、厳重なボディチェックを通って店に行っても、目当てのアメリカ地図付きのテーブルマットは見当たらず。土産物にも流行があるのでしょうか、店内の様相が前回来た時とすっかり変わっていました。

仕方なく、宿のオーナーに聞いた「国連ブランド」のチョコと、郵便局で記念切手を買って外へ出ました。 ボリバーの騎馬像

宿への復路、宝石店街を通りましたが、ここは休みのためゴーストタウン状態。外国の繁華街は週末はゴーストタウン状態の所が多いけれど、ニューヨークでもそうなのですね。やはり新教の国、ということでしょう。
途中の露店でお目当てのテーブルマットは手に入ったので、土産物一切合財を手に、セントラルパークが見える道を通って宿へ戻ることにしました。街中には観光局の小さなブースがあちこちに出ていて、おのぼりさんが不自由しないように、よく配慮されています。 タレント?

日本の夏は涼しかったけれど、ニューヨークは暑くて、公園の池の周りには人が沢山いました。強い日差しが当って、涼んでいると言うよりは日向ぼっこに見えました。公園の入り口には何故か、ボリビアの独立の英雄の大きな立像、何かの記念日なのでしょうか、花が一杯飾ってありました。

向かいのホテルの前では、何やらカッコイイ兄さんが、CMの撮影でしょうか、車の上で喚いているところを撮影していました。外タレに弱い私には誰だか分かりませんでしたが、ちょっと素敵な人でした。

道を閉鎖してフリーマーケット宿に戻る途中、先日とは違う道をまたまた封鎖して、今度はフリーマーケットが開かれていました。
アメリカの蚤の市にはロクな物が無いので(よく、こんなものを出すねと思います)道を素通りしましたが、ここにも警官がパトロール、でも彼もとても楽しそうなのが良いですね。
ブロードウェイから5分も掛からない場所です。東京の何処ならこんなことが出来るかしらと思いながら、一度宿へ戻りました。

午後からはミュージカル。先日小耳に挟んだ「ジプシー」を見ることにしました。切符は案外簡単に買えたのですが、座席は超満員でした。以前ニューヨークでは別のミュージカルを見たことがあるのですが、その時の劇場より大分小さく感じました。同じ道には沢山の劇場があり、そのどれもが盛況とは、あんまり興味のない私にはちょっと驚異ですが。

ジプシーは有名なミュージカル女優ジプシーローズの母親の物語、娘を強引に売り出し、最後には娘に捨てられる様が描かれていますが、最初には、おしゃまを絵に描いたような、沢山の子役が出てきます。この辺りは言葉もよく聞き取れませんでした。
ママは登場から大拍手で迎えられます。ちょっと歌舞伎のように大向こうから声も掛かります。そんなことが自然に感じられる、割に小さい劇場でしたが、日本のように値段が高くないのが良いですね。観ている人が気取っていないのも。

終わって外に出てみると、隣の劇場との間の広場が、人で埋め尽くされて、犬・ネコの里親募集運動が繰り広げられていました。これまた、日本とはずいぶん違う雰囲気で、「私を養子にして」と書いたゼッケンを着けた大きな犬が歩き回っていたり、自分の犬や猫を連れてきてご対面させていたり、資金調達のために笑ってしまうような下らない物(高い)を売っていたり、芋の子状態で実に明るいので感心しました。 馬糞!

劇場からの帰り道、騎馬警官に沢山会いました。みんな親切。大都会ニューヨークの「ど真ん中」に「馬糞」(右写真の右下)が落ちている図、私は好きです。

今回の旅、ニューヨークの街中も案外田舎っぽい、というのが発見でした。

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