早春フランス・バスクへの旅 2003.2.20〜26
「短い旅は旅じゃない」主義の私、今までの旅はグアム、サイパンや一部のアジア都市を除いて、10日間でも短いほう、条件が許せば二週間、三週間以上というゆっくり旅行でした。
でも儲からない旅行会社を自営していて、おまけに大きくなったとはいえ子持ち、の主婦の私には、「仕事」という大義名分が無ければ、長い旅にそうそう出られるものではありません。
私の周りの元気なオバサン達・・・料金の安い冬に何度もフランスへ行っている人、短期間のパリ滞在を目いっぱい楽しんで来た人・・・ご家族はどうしているの?と訊かれそうですが、彼女たちに刺激されて、2003年冬、重い腰を上げて私も遂に、今まで避けてきた「冬の短期間旅行」を決行しました。
結果は・・・、フランスでも南の方へ行ったので、案じていた日の短さは気にならないほどに回復しており、気候も日本より暖かく、観光地はすいていて、とても楽しく充実した旅になりました。
皆さんも是非お出かけなさいよ。お奨めもかねて、今回の旅行記をここに記すものです。
===今回私が行く先として選んだのは「フレンチ・バスク」と呼ばれる、行政上は「アキテーヌ」というフランス南西端の地域です。===
2月20日(木)
飛行機の出発は22時なので、昼間は目いっぱい使いました。
機内は、私の所は四人席に二人、ギッシリのところもありましたが、混んではいませんでした。対イラク開戦真近と囁かれる中、ヨーロッパは直接影響が無いにしても、何もこんな時に旅行でもないでしょうと、お客さんは減っていると聞いていましたが、冬はすいているものですから、例年と大差あるとは思えませんでした。
私が急にバスク旅行を思い立ったのは、2月9日にバスクの人の話を聞いたからでした。冬の間にフランスへ行きたいとは思っていましたが、ポピュラーなところは大抵行ってしまったし、暖かくて、地中海沿岸以外のところで良いところは無いかしらと探していた時の事でした。
フランスとスペイン国境に跨るバスク地方、スペイン側は独立志向が強く、激しいデモや爆弾事件で時々報道されますが、フランス側は治安が良いとのこと、それならば以前から興味を持っていたバスク地方と、アンリ4世、ルイ14世、サンチアゴ・デ・コンポステラ巡礼路、三銃士とダルタニアン、ガスコーニュ等、数々のキーワードの一部を見てくるのも良いかなと考えました。
飛行機の中で放映されたフランスのニュースを見ていたら、偶然バスクの海岸が出ました。イヤフォンを着けていなかったので場所の名は分かりませんが、バスクの海岸=ビスケー湾は、最近タンカーが座礁して重油が流出していると日本でも報道されました。その海岸を清掃している場面でしたが、インタビューに応えている男性の名前が、2月9日に会ったバスクの人と同じEtcheverry!。Etで始まる名前はバスク独特のものなのですね。
2月21日(金)
シャルル・ド・ゴール空港へ着いたのは朝の4時、日本では正午に当りますが、夜明けの遅いパリはまだ空が真っ暗。空港から出る乗り継ぎ便、電車、バス等の出発までには一時間以上あり、どこで時間を潰したらよいのか、便利な夜行便のこれが一番の欠点です。
以前夜行便で来た時には、入国手続きの後、歯を磨いたり、自分が企画した団体だったので成田で出来なかった集金などをして時間を潰しましたが、今回乗り継ぎ便を利用する人たちは、成田で「コーヒー券」というのを貰っており、彼らのためにターミナルのカフェが開いていました。途中にあるセキュリティチェックは「コーヒー券」が必要で、乗り継ぎでない私は「券」が無いためにカフェに入ることも出来ないので、案内の人に交渉して「券」を貰いました。でもここで降りる人で預け荷物のある人たちは、のんびりお茶などしていたら、荷物が時間どおりに出てきて、持ち主が現れないと盗難の可能性もあるので、コーヒー券は諦めて出て行きました。私は機内持ち込みの小さなバッグだけでしたので、無料で朝食にありつけた訳です。今回の旅行ではこの後も荷物が小さいメリットをあちこちで感じました。
カフェでは「つくば」での学会に行って来たという若いフランス人女性数学者と同席になりました。コーヒーを飲みながらも数式が一杯の書類と格闘している彼女の、日本土産が可愛いキティちゃんだったのにはちょっと驚きました。周りは乗り継いで様々なところへ行く人たちで一杯、スペインだ、プロバンスだ、と行く先の話で盛り上がっていました。皆さんインターネットで入手した資料を持っていました。
カフェは6時までということで、私は入国手続きをして空港ロビーに出ました。入国のブースにはもう別の便で来た人たちが並んでいましたが、日本人と違って入国が大変な人もいるのですね、係員に質問されてなかなか動かない列が沢山。
ロビーに出て見ると、灯りのついているコーヒースタンドが一軒ありました。何時ごろからやっていたのでしょう。
以前来た時の残りのユーロしか無い私は、まず両替に行きました。
出発前からユーロが高くなり心配していたのですが、両替の窓口を見ると、随分レートが悪そう。やはりカードでのキャッシングが一番と機械に向かったのですが、ここで思わぬトラブルに見まわれました。
私はカードの暗証番号を誕生日にしており、危険なので変更するよう何度も言われたのを放っておいたら、1月末にカード会社から強制的に変更されてしまいました。新しい暗証番号はノートに書きとめて来ており、その番号を入力したのですが、画面が全く反応しないのです。再度やってみてもダメ。試しに誕生日を入力してみると画面は動いて、でも金額を入力したところで「不可」と出ました。
カードの暗証番号は三回続けて間違って入力すると全面的にキャンセルになると以前聞いた事があり、既に三回入力してしまっている、困った。こんな時の用心に、いつもはカードを二枚持ってくるのですが、急に決めて出発した今回は、やはり準備が不備で、予備のカードは忘れてしまいました。後ろには人も並んでいるので諦めて、高い現金両替の窓口へ行きました。
カード愛用の私は、現金はたった5万円しか持っていないのです。帰りの交通費や宅配便のことも考えて、なけなしの4万円を両替に出しました。返って来たのは想像を絶する小額、後で計算してみたらレートは140円以上でした。120円くらいだと思っていたので、ショック。
両替の後はトイレ。気が付くと、フランスの矢印の大半は日本と反対です。↓が前進なので、最初は戸惑いました。そして全土で統一されていることも無く、場所によっては↑が前進のところもありました。この空港は↓が前進。ドゴール空港のトイレはあんまりキレイとは言えないのですが、それでも空港駅のよりは、空港内の方が綺麗でした。
歩いている間に日本の旅行会社のブースが沢山並んでいる場所を通りました。私はフランス語で自己紹介をするとき、「旅行会社自営」を何と言うのかいつも迷うのですが、ここの看板には Agents de Voyages と書いてありました。これから利用させて貰いましょう。
飛行機は速いけれど、空港から町の中心まで、更にお金や時間がかかることがあるので、パリから目的地のアキテーヌ地方までは列車利用にしました。フランス・バカンスパス利用でドゴール空港から出るTGVを日本で予約してありました。
ボルドーまではお馴染みの駅名が並んでいますが、その先はDax,Hendayo,Irunと、あんまり聞いた事が無いですね。スペイン語と、仏西語どちらとも関係が無いというバスク語の影響でしょうか。詳しい地図が日本で手に入らなかったので、時刻表と首っ引きでも心配です。
私の今夜の宿は Pau(ポー) という所ですが、ガイドブックを参照してTGV を降りるのは Dax(ダックス) にしてありました。Dax とは今回バスクに行くに当って初めて目にする地名です。地図を見ると乗換駅には違いないけれど小さな字で書かれていて、その先 Pau まで行く列車があるのか心配になって来ました。現地に行ってますます驚くのですが、どこも列車の間隔は二時間くらいあるのです。もっと大きいバイヨンヌの駅の方が列車が多いのではないかと、ドゴール空港のTGV駅で取りあえず行く先をバイヨンヌに変更しました。
フランスの駅の様々な表示は「字が読めれば」簡単です。待合室の電光掲示板に乗車予定の列車についての詳細が出ますので、自分の予約券と照合します。
「VOIT」が車輌番号で、車輌番号によってプラットフォームに出る口が「北方向」「南方向」と別れます。
字が似ているけれど「VOIE」がプラットフォームの番号。〇〇番線という訳です。
発車時間が近くなると一応放送があります。それから指定されたホームに出るのですが、ホームは建物の「外」で、寒いこと。巨大なネットが掛けてありますが吹きさらしです。
ホームでは「REPERE」というのが乗車口の目印で、〇○輌目はREPEREの「B」という調子です。
ホームで待っていると、列車は5分くらい遅れるとのこと、そんなのは寒いホームに出る前に言ってよね。「遅れ」の表示はホームに行かないと無いのです。
「REPERE」の目印の前で忠実に待っていても、列車は日本のように目印の前にピタリと停まることはなく、何メートルもずれて停まります。でも全員が降りて、全員が乗り切るまでドアが閉まることは無いので、皆ノンビリしたものです。日本の駅と違ってホームが低いので、列車に乗るにはちょっとよじ登る感じになります。トランクなんか持っていると大変、大抵周りの人が助けてくれますが。
車内は、日本の新幹線に比べれば随分ショボイ感じです。椅子の間隔は狭いしリクライニングも出来ない、テーブルは大きすぎる、そして何より苦情が出そうなのは、椅子の向きが変ええられないことでしょう。車輌の真中に固定された大きなテーブルがあり、それに向かい合った椅子の後ろは全部同じ向き、つまり車輌の半分の席は常に進行方向を向き、もう半分は常に進行方向と反対、日本だと酔ってしまう人も出る配置のまま固定されているのです。私の隣はボルドーまで行くオバサン、隣の座席が埋まって迷惑そうでした。
ドゴール空港から南下する列車の最初の停車駅は「ユーロディズニー」前。もちろん駅名は別で Marne-la-Vallee-Chessy と言いますが、ミッキーのマークの付いた建物が沢山見えました。私は「四大ディズニーランド征服」とか言って以前ユーロディズニーに行きましたが、ここはやっぱりフランスで、他のディズニーランドとはちょっと色調が違う感じがしました。
一時間半程すると Futuroscope という名前の駅に着きます。これも初めて聞く名前の駅ですが、「未来」とか「スコープ」とか意味ありげで、駅の外を見ると超近代的なビルが建っています。未来科学都市といったところでしょうか。
そこから先 Poitiers(ポアチエ)近辺は、この沿線には珍しい岩や崖の地形です。美しい川に沿って断崖の上にも下にも家、家、家、削った岩の中に住んでいる人もあります。ポアチエの駅前も高い断崖の上に立派な建物が沢山。でも駅を過ぎると嘘のように平らになり、しばらくして少し残っていた岩も消えると、今度は一面のブドウ畑、ボルドーが近づいているのです。
ボルドーへは以前ルルドへ行った時に来ました。その頃には、排気ガスで真っ黒だったパリの街が既に随分きれいにお化粧直しされていたので、まだ真っ黒なままの印象のボルドーは、何か不気味な感じがしました。今回改めて見るボルドーの町は、相変わらず黒っぽい感じでしたね。ボルドーのことをバスクという人は無いようですが、ここから東へ行くと、三銃士で有名なダルタニヤンの故郷とされるアジャンという街があり、その辺りもバスクの気風を良く残しているといわれ、行って見たい場所ですが、そのようなことは出発直前に知ったので、今回は間に合わず、次回を期して通過。
ボルドーでは殆どの人が降りてしまい、新しく乗ってきた人ばかりでガラガラになると、途端に皆のお行儀も悪くなり、携帯電話がうるさいこと。車中で時刻表を確認するとバイヨンヌからポーへの連絡が信じられないほど悪いので、改めて検札に来た車掌さんに訊いてみました。やはりポー方面へは Dax で乗り換えるのが良いとのこと、でも待ち合わせは一時間以上あるというので、「それって連絡していないの?」と訊き返すと、「連絡って?」と怪訝な顔で聞きなおされてしまいました。みんな Dax で降りるのかしらん。
ボルドーを過ぎるとブドウ畑はすぐに消えてしまいました。代わって沿線は広大な松林になりましたが、よく見るとその殆どは整然と並んでいて、グループごとに背の高さが違う・・・、植林されているのですね。それはそれは広大な面積の植林で、それはこの後もバスク全域で見られました。
Dax へ13:15着。パリから5時間半、またまた沢山の人が降りました。ここはパリ発のサンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼路の通過点の一つであると同時に、テルムと呼ばれる温泉町でもあるのです。ローマ時代から、温泉と泥浴が風呂好きのローマ人に愛されていたとのことです。駅の前にも大きな建物、ヘルスセンターか?。列車から降りた人は何処へ行ったやら、駅前は静かなものです。
私は次の列車の時間をチェック。14:31発、本当に一時間以上!そしてその次は16:07、注意しなければ。
サンチャゴ・デ・コンポステラの巡礼路上ならば町にも何かあるはず、英文のガイドにはこの地域の考古学の中心地とも書いてありましたから、駅で観光局の場所を聞いてみました。歩くと20分以上かかるとのことでしたが、駅前には見るものも無かったので歩き始めました。
駅を出て大通りにさしかかると、左Daxと書いてあります。おかしいな、右へ行くように言われたのに・・・、後で分かったのですが、Daxの町はDaxとSaint-Paul-Les-Dax(サンポールレダックス)の二つがあり、かなり大きく、駅で教えてくれた観光局はサンポールのものでした。何しろ一時間強しか無いので(さっきは一時間もと思ったのに)、急げ急げ!
大通りには「温泉」と付記した、しょぼいホテルが何軒も。途中にはセブン・イレブンならぬ「8時・8時」という果物屋もありました。
あまり活気のない、でも上品な町でした。マクドナルドの大看板にがっくりさせられながら観光局を尋ね当てると、何と12時〜14時まで休憩中。う〜っ、待っていて列車に間に合うかしら。
仕方なく、裏手の市庁舎へ。小さな町なのに、美しい公園に面して、歴史ありげな立派な建物が建っていました。後でガイドブックを見たら、昔の石造りの住居を利用したものとのことでした。
来る途中に「11世紀の教会」という看板があったことを思いだし、暇つぶしに行ってみることにしました。公園の中に建つロマネスク様式の教会は外側の装飾が美しい。内部はガイド付きツアーありとのことですが、それは4月から10月の間だけで、今は閉まっていました。この教会は、何処を見ても「教会」と書いてあるだけで、名無しのゴンベー。サンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼路上らしいロマネスク教会だけれど、Daxのガイドに書いてある4世紀のSainte-Marie-Cathedralとは違うものらしい。
2時になったので観光局へ。フランスの面白いところは、こんな田舎の、滅多に人が来ないような観光局でも、キレイに髪をセットしたスーツ姿のオバサマが応対していること。この町のガイドブックを下さいと言ったら怪訝な顔をしていたけれど、サンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼路上で、しかも列車の乗り換え地点にあるのならば、もう少し売り出せば良いのに。
教会のことをもう少し詳しく訊きたかったけれど、列車に乗り遅れると、今晩中に宿に着けないかも知れないので、パス。パンフレットをいくつか貰って駅へ向かいました。
サンチャゴ・デ・コンポステラの巡礼路を解説した書物のいくつかには、パリからの巡礼路がここDaxを通ると書いてあるのですが、町の中には結局それらしいものは何もありませんでしたねぇ。日本では参考になる資料は全く手に入らず、現地では時間が短く、貰ったパンフレットを見ても何が何だかよく分かりませんが、町は相当大きいようです。
駅から離れた所に湖があって、そのそばには立派なホテル、カジノもあるようで、町中には徒歩での散策コース、郊外にはサイクリングコースも整備されている様子。さっき列車から降りた沢山の人達はそちらに行ったのでしょう。
駅ではさっき応対してくれた係員が待ちかまえていて、私が手に持っているパンフレットを見てにっこり。
14:25ごろ、長い長いTGVが到着。前半分がパリ行き、後ろ半分が私の向かう方面Tarbe行き。パリから出てきた身としては、出発点と目的地がひとつの列車、という何とも奇妙な印象でした。
日本では在来線と新幹線の軌道幅が違うために、東海道・山陽新幹線などは在来線とは別の線路を走っていますが、全路線が広軌のフランスでは、TGVがかなり田舎でも走っていることを、今回田舎を旅行して知りました。
田舎ではTGVを除くと、もっと列車の間隔が開く、ということも。
列車は定刻14:31にDaxを出発。次の目的地はOrthez(オルテーズ)、フランス王アンリ4世の母親で、フランスの初期プロテスタント領主ジャンヌ・ダルブレが生まれた町です。
私が今回の目的地にバスクを選んだ理由の一つ、それはブルボン王朝の創始者アンリ4世が、Pauで生まれたと知ったことでした。
私はフランスの歴史の中でも、ロワール河近辺のお城が主な舞台になる、バロワ王朝と呼ばれる時代に一番興味があります。ルネッサンス時代から始まり、カトリーヌ・ド・メジチを中心とするイタリア色の濃い時代ですが、その王朝に次いで現れるブルボン王朝の最初の王アンリ4世が、フランスの西南端、時にはスペイン領にもなる地域の生まれと知って、何故?と思ったものでした。
フランスでは王様に何人の庶子がいようとも、カトリック教会で正式に結婚式を挙げた王妃との間に生まれた男子以外には王位継承権が無かったので、何度も家系が断絶するということが起きたのですね。本当に王妃の腹から生まれたことを確認するために、公開出産という非人道的なことも行われていました。
男系が絶える度に、家系を遡って継承者を探すことが行われ、アンリ4世は、バロワ王朝の王様が皆若くして亡くなったために王位が転がり込んできた訳ですが、フランス王になる前は「ナバル王」と呼ばれていました。そのナバルが、バクスの一部なのです。
アンリ4世は、プロテスタントの信仰を認める「ナントの勅令」を出したことで知られていますが、自身はカトリックとプロテスタント両派の間を終生揺れ動いた人です。彼の生まれた地域はフランスの中でも一番プロテスタント色が強く、それは彼の母親ジャンヌ・ダルブレの指導によるものでした。
Orthezには彼女の生家があり、そしてお馴染みサンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼路のルピュイ、ヴェズレイの二つのルートが合流する地でもあるのです。
Orthez駅前は並木が美しい静かな場所ですが、町はかなり大きく、私は何度も道に迷いそうになりました。
ジャンヌ・ダルブレはアンリ4世の母であるよりはフランス・プロテスタント史上重要な人物で、その生家は、現在は一階が観光局、二、三階が「プロテスタント博物館」になっています。
彼女は宗教改革でフランスに絶大な影響を及ぼしたジャン・カルバンと同時代の人で、その影響を受けてプロテスタントに改宗したものですが、当時の領民は領主と同じ宗教でいる義務があったために、ナバル国民全部が自動的にプロテスタントになりました。
「ナバル王国」と呼ばれていますが、国としては半分独立しているような、スペインのような、フランスのような曖昧な立場でしたので、カトリックが主流のフランスでは宗教戦争に巻き込まれ、アンリ4世が「ナントの勅令」を出したのも、彼がプロテスタントの中心地の出身であることが大きかった訳です。
ナントの勅令は後に廃止されたり、ナバル王国自体もフランスに正式に統合されるために、フランスの国教であるカトリック国になったりで、この地のプロテスタントは様々な苦難に遭うのですが、博物館にはその歴史が展示されています。
禁教になったために国外に脱出したり、国内に留まった人達は隠れて礼拝を行ったり、用具を様々な方法で隠したり、残虐な処罰を受けたりと、日本の隠れキリシタンと同じようだったんですね。ポルトガルでも、隠れてユダヤ教を信仰していた人達の話を聞いたのを思い出し、全員がキリスト教徒のように思っていたヨーロッパにも、様々な宗教的な苦しみがあったことを思い知らされました。
館自体は、女王の生家ではなく隠居所、プロテスタントの隠れ家としての意味が大きいようでした。
館内はフランス語のガイド・ツアーで、英語は説明の紙が置かれていました。日本の観光客は滅多に来ないとのことで、日本語の説明紙はありませんでしたので、帰国後、訳して送ってあげました。
博物館を出てしばらく行くと巡礼路らしいロマネスク教会がありました。13〜14世紀に建てられたSt Pierre(サン・ピエール)教会で、宗教戦争時には破壊されたり建て直されたり、その後19世紀になって拡張整備されたということです。
教会前の広場からは丘の上に飾りの無い四角いだけの塔が見えます。まわりは城跡ということですが、ここは先史時代に既に要塞があり、その上に建てられたとのこと、なかなか面白そうな場所ですが、冬の間は閉鎖。
塔は19世紀中頃までは近所の人達が自宅の建材に石を持っていってしまい、もうすこしで完全に破壊されてしまうところだったようで、今残っているのはオリジナルの3分の1の高さとのことです。
市庁舎の辺りは広々、堂々としていて、この町が昔から近隣でも有力な市場町であったこと、一時地域の首都であったことを伺わせます。
サンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼路は川を渡った反対側、バートルミュー教会の広場を含む「出発」と呼ばれる地域を通っており、近くには有名な13〜14世紀の「古橋」や、中世に巡礼達の宿だった場所がレストランとして残っているようですが、今回は列車の時間の関係でパス。駅がかなり離れているのが難点の町でした。
17:08発の列車に乗るべく再び駅へ。何しろこれの次は18:38なのですから。
Pau(ポー)は賑やかな駅でした。
今までの駅は乗降客を全部数えることが出来そうでしたが、ホームで待っている人の数の多さに驚きました。
ジャンヌ・ダルブレがOrthezに創設し、アンリ4世がポーへ移動した大学が今もある学生の町ということもあるのでしょう。
また19世紀にはヨーロッパ初めてのゴルフ場が出来たこともあって、国際的な都市になったとのことです。
特にイギリス人が沢山やって来て、先ほど通ったOrthezなどは、プロテスタントである彼らに大いに助けられたところがあるようです。
駅の前には川が流れていて、岸辺の並木が如何にもフランス風。
駅前広場と大通りを越えた向かいは、高〜い崖になっていて、その上には沢山のホテルが並んで、いかにもリゾートという雰囲気です。
崖の上までは無料のケーブルカーが通っているので荷物があっても高さは苦になりませんが、安ホテルは大きなホテルの裏側で、あんまり近くはないので、ケーブルカー乗り場に隣接してある小さなホテルがお薦めかもしれません。
でも日曜日には完全に閉まっていました、シーズンオフのせいかしらん。崖に面した高級ホテルに行くには、何もケーブルカーで直接昇らなくても、裏側にはなだらかな大きな町が広がっていて、タクシーもバスも使えるようでした。
私は小さな荷物一つでしたからケーブルカーを利用。
このケーブルカー、車体の前後にはここで生まれたアンリ4世の紋章が誇らしげに付いており、手動なのに三枚の扉が一度に開くという優れものです。
昇った所は大きなテラス、そこからホテル街の前はプロムナードになっていて、遠くにピレネー山脈がよく見えること、絶景でした。
こちらは汗をかくくらいの暖かさですが、ピレネーは雪で真っ白、相当深そうで、巡礼達はあの山を越えていったのかと、その大変さが思いやられました。こんなに雪の深い時期に行く人はいないでしょうが。
私の宿は崖に面していない、小さな宿でした。
明日朝食をどうするかと訊かれ、食事時間が8時からだと聞いてびっくりしました。スペイン国境に近いので、食事時間がスペイン並(遅い)と聞いてはいましたが・・・、シーズンオフということもあるのでしょう。明日は早いので朝食はパス。長い長い一日でした。
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