香の強いダマスクローズブルガリア・バラ祭り 3 - 8 June,2004 (1)香の強いダマスクローズ

写真を指すと説明が出ます。

バラの谷で催されるバラ祭りを見に、ブルガリアへ行ってきました。
今回は続けてイギリスへ行くので、BA(英国航空)利用、ロンドン経由となりました。

6月3日(木)7:30 相模大野立体駐車場から成田空港行きの高速バスで出発。予想より少し早く9:30には成田空港へ到着。

成田での両替でも銀行毎にレートが違うとのことで、郵便局も含めチェック。今回は三井住友が一番レートが良かったが、それでもユーロが @\138.28、ポンドが @\212.70 と高く、ビ〜ックリ。この先ロンドンではもっと高くて仰天するのだが。結局カード決済が一番レートが良いことを再認識。でもこれは使用時にレートが決まっていないので不安。

座席は七分くらいの混みよう。せっかく早めにロンドンに着いたけれど、駐機場が満員!で待たされる。
ロンドンのポンドのレートは @\220.80 ! 。高い !。

今晩はロンドン泊まり。ロンドン名物の屋根の高い黒いタクシーには、4人分の荷物を乗せても余裕あり。座席も5人分。空港ホテル、とはいうものの、近いようで随分走って £15.00。早くも物価高を実感。

ホテルは空港〜ロンドン市内を結ぶ鉄道駅のすぐ近くなので、荷物が小さければ列車でも行かれる。早速探訪に出かける。空港バスもホテルの前に停まる。駅の近くのスーパーで、今晩のオカズ購入。安いかな、と思うものも消費税が外税で、結構高い。ホテルのそばには小さな商店も沢山ある。
スーパーの駐車場には野生種らしい、一重のピンクのバラが沢山。商店街、住宅地にもバラを始め色とりどりの花が植えられている、さすがガーデニングの国。

6月4日(金)今朝のタクシーは遅刻してきた上に料金も昨日より高い。なんて物価高だ。
到着したヒースロー空港国際ターミナルの混みようには仰天。ま、世界有数のターミナルだもの。搭乗にはバスで随分走った。
機内は9割方の混みよう。バラ祭りの人はどれほど居るのだろう。

ソフィア空港の飛行船ソフィア行きのフライトは、少なくとも日本往復便よりはサービスが良い。しっかりしたランチが出、飲み物も何度も出る。
二時間の時差、所要約3時間でブルガリア・ソフィア空港へ到着。ただ今大工事中。EUに入ったことだし、沢山の観光客を当てこんでの工事なのだろう。遠くに飛行船が駐機しているのが見える。

ソフィアの空港は、やはりバラ祭りのせいか凄い混雑。荷物が出てくるターンテーブルは二つしか無いので、次々到着する飛行機の対応が追いつかない。同じターンテーブルから何機分もの荷物が混ざって出てくる。その荷物の大きいこと。

外に出ると、冬から何度となくメールのやり取りをして来た、現地ランド会社のスベトラーナが待っていた。自分の写真をメールで送ったと言うが、私たちは一日早く出てきたので見なかった。まあ、お互いに相手を認識しあって、早速迎えのミニ・バスへ。

空港から市の中心までは15分ほど。舗装してあるけれどデコボコな道が、ここが旧共産圏の国であることを思い出させる。途中、見える建物をスベトラーナが説明、アパートのデザインが素っ気無いところにも共産圏の名残。
両側に鷲が乗った大きな門が「市の門」、国賓を迎えたり様々な歓迎行事が行われるとのこと。トルコの圧政から解放してくれたロシア軍を称える大きな像などもあった。そのロシアからも離れて、今度はEUに加盟したわけだ。
国立のソフィア大学の基礎は、事業で成功した事業家兄弟の私的な寄付から始まったそうで、正門の両側にその像、スベトラーナもここで英語を学んだとのこと。

しばらく行くと広大な公園の中に、またしても兄弟の像。こちらはスラブ諸国で使われているキリル文字を発明した何とか兄弟だと言う。キリル文字はここブルガリアで発明されたとのことで、キリル文字には何故ギリシャ文字が入っているのか今まで謎だったが、ブルガリアで発明されたと言うなら、ギリシャの隣国だものと納得。
帰国して調べてみると、でもキリル文字を発明したとされているのはギリシャ人宣教師キュリロスという人というのが定説。ブルガリアで作られたことだけは確からしいが。キリル文字が国際的に認知されたのは、聖書の普及に効果ありと認められたからとのこと。

私達のホテルは賑やかな町の真ん真ん中。やはり祭りの影響かお客も多く、しかもフロントは一人しかいないので事務処理が渋滞。
フロントの男性はよほど写真を撮ろうかと思うほどプレスリーにそっくり、しかも口を開けて少々間抜けな感じが、本当に良く似ている。仕事も外見通りのろい上に、本当に様々な人が様々な用事で彼のところに来る。鍵の出し入れだけでも待っている間に何人来ただろう。掃除のおじさん、おばさんからポーター、運転手に至るまで、それらにかまけて、私用・公用の長電話もあって、一番手間の掛かる外国人のチェックインはどんどん後に廻される。これには私達のガイドがソフィアのプロでないことも影響していることが後で分かったが。

受付にはパスポートを預ける、相変わらずの共産圏スタイル。まあ無くす可能性が無いだけでもいいか。市内観光の時間が無くなってしまうので、荷物は任せて、まず両替へ。

来る前には米ドル万能と聞いていたが、EUに加盟した現在、外貨はユーロが基軸となったとのこと、しかも町中ではやはり現地の通貨が必要とのことで、レバという現地通貨に換えたわけだが、ホテル前に沢山並んでいる両替屋も様々。とても入れないような怪しげな店もある。ガイドに教えられるままに一軒の店へ。ユーロだけでなく、米ドルも、日本円もOKだった。1ユーロ=1.9レバ、1ドル=1.59レバで、1レバは約70円見当。

ホテルと両替屋は大通り一つを挟んだ向かい合わせだが、信号が無く、交通量が激しく、道を渡るのは命がけ。ヨーロッパに多いロータリーは、車の侵入にはきちんと優先順序が守られ、やたらな信号機も不要で良いと思っていたが、それは紳士のマナーが守られる国の郊外でのこと。交通量の多いここでは車が我勝ちに飛び込んできて、危ないことこの上なし。

連れの希望もあって、まずはソフィア郊外ヴィトシャ山麓にある世界遺産ボヤナ教会へ。大混雑の市内を抜けて南西へ約20分。途中には旧共産圏時代の幹部の広大な邸宅が並ぶ。共産国は究極の身分社会、とはよく言われることだが、市内の味も素っ気も無いアパートに較べ、深い森に囲まれた幹部の住宅街は現在、博物館などに転用されていると聞けば、その壮大さが分かるというもの。

ボヤナ教会庭園の入り口キップ売り場近くの森でボヤナ教会は鬱蒼とした森林の奥にある。夕方になったせいもあり辺りは森独特の暗さに包まれ、もう閉まってしまったかと一瞬ドキッ。
入り口を入ってしばらくの場所に入場券売り場の小さな建物がある。スベトラーナが入っていったので外で待っていると、日本人が沢山通る。後で聞いたら、今日だけで大型バスに乗った日本人観光客が何組も来たとのこと。驚き。

スベトラーナがなかなか戻ってこないので小屋に入っていくと、中ではキップ売りともいえないバアちゃん達がストーブにあたりながら手仕事とおしゃべりの真っ最中。ボヤナ寺院はガイドツアーのみで、そのたった一人のガイドが戻ってこなければ皆何の用事も無いわけ。

ボヤナ教会正面教会側面やっとおじいさんガイドが戻って来、出発。ガイドは手に大きな鍵を持っているが、内部は人いきれでフレスコ画が傷むといけないので説明を外で、ということで、まず教会の側面へ。
11世紀に時のブルガリア王によって建てられたレンガ造りの小さな教会が、13世紀に増築されたことが、外壁の材質の違いでよく分かる。19世紀にも再増築されたが、フレスコ画は11,13世紀の内部だけ。上の階と下の階にはそれぞれ守護神が別、とかさんざん説明の後、記念撮影までしてから、10分だけ、ともったいぶって、やっと内部へご案内。地獄の番人のような大きな鍵を持っている。

教会自体は小さなもので、世界遺産だというフレスコ画は修理中だったが、傷みが相当激しく、肝心の「最後の晩餐」の場面も消えかかっている。説明はしっかりしていたが、熱が入れば10分の制限時間も関係無しに我が物顔で内部を案内して廻るガイドに、文化財の価値がどれほど解っているのだろう、このような扱われ方で良いのだろうかと疑問が湧いた。内部には他にも沢山のフレスコ画が一杯に描かれている。





ガイドのおじさんと記念撮影古さが偲ばれる壁面キップ小屋に戻ると、室内の暖房がありがたいほどの夕寒。もうお客も絶えたのに、先ほどのバアちゃん達が楽しく談笑、ちょっとショボイけれどガイドブックらしきものがあるので購入。ここは現地通貨のみ通用。

同じ道をソフィアへ戻ると、平地のこちらはまだ明るいので、市内のアレクサンドル・ネフスキー寺院へ。5000人収容できるという巨大な寺院。外側は金色のドームとモザイク画が特徴的、内部は大理石や宝石で埋め尽くされて超豪華だが、何しろ大きいのに圧倒される。

寺院内部ネフスキー寺院ブルガリアの宗教はブルガリア正教といって、ロシア正教とは少し違うようだが、その違いは寺院建築に顕著に表れているらしい、私にはよく分からないが。
ネフスキーという人は13世紀の有名なロシア軍人で、この教会の建物は、市内に沢山あるブルガリア正教寺院とは違い、ロシア教会風に建てられているとのこと。ロシアの教会と言えばモスクワ・赤の広場の聖ワシリー寺院のようなアラビアンナイト風のネギボウズ建築を思い浮かべるが、そういえばクレムリン内の寺院はどれもここのネフスキー寺院と同じような建て方だ。金色に輝くイコンも「らしい」が、屋根のキンピカ・ドームはちょっと地味。予算の関係か。



キュウリとヨーグルトのサラダ一度宿に戻ってから夕食に再出発。信号が少なく、車がスピードを出すのでホント恐ろしい。地元の人で一杯の、ちょっと高級そうなレストランへ。
ブルガリアはヨーグルトで有名で、キュウリをヨーグルトで和えたサラダが有名で、この夜も出たが、料理のレパートリーは少ない。ま、日本のように何でもあって美味しい国から来ては、不満が出るのは当たり前だが。この先、同じような料理が何度も出て、食事の面では少々不満な旅だった。

3人は宿へ戻って就寝。私は深夜にオーストリア航空で到着する4人を迎えにスベトラーナと再度空港へ。時差ぼけに疲労で、眠くて参った。
4人は元気で無事到着。遅いので空港に人は少なく、荷物もスムーズに出る。
フロントの要領が悪いのは、担当者が変わっても相変わらず。でも無事にお部屋へ。
自分の部屋へ行ってみると、ツインのベッドが、横でなく縦に並んでおり、初めてモスクワへ行った時のショボいベッドを思い出す。 セントニコラス教会

6月5日(土)朝食は一応コンチネンタル。品数が少ないが仕方がない。テーブルにバラが豪華に飾ってあり、皆大喜び。

ペトカ教会夜到着した人の両替を済ませて、早速バラ祭りの町カザンラクへ向けて出発。運転手の名前はスウェート、スベトラーナの男性型とのこと。帰りにソフィア市内観光の時間が取れそうも無いので、バスで簡単に市内を廻る。
昨日見たネフスキー寺院の他、ロシア風のネギボウズ建築のセントニコラス教会、キリスト教弾圧時代の半地下ペトカ教会などを車窓観光、昔の宮殿が今では博物館になっている。





衛兵の交代国会議事堂を通りかかると丁度衛兵が交代中。ブルガリア正教の坊さん車のスピードを落としてもらって大撮影会。すぐそばをブルガリア正教の坊さんが通り、更に大騒ぎ。

そのままカザンラクへ向かう。途中のガソリンスタンドは西洋並みに整えられており、とっくに自由資本の波がここまで来ていることを知る。でも沿道はのどかなもので、花々が美しい。





沿道のケシの花ここブルガリアの女性の地位について詳しいことは知らないが、途中で通ったパザルディークという町は、トルコとの交易の中心地ということもあり目覚めも早かったのだろう、反トルコの民族運動が始動したこの地域の中でも、ウーマンリブの運動で知られているところだそうだ。

「バラの谷」とはどんな所だろうと思っていたが、「谷」の規模はとても大きく、私たちから見れば、確かにはるか両側に山らしいものが見えるが、山々は遠くて「バラの平原」という感じ。
バラの女王途中で「あれがバラの畑」と言われ見ると、沢山の葉の間にピンクの小さ目の花が咲き、ハマナスに良く似た風景、気候的にも同じような感じがする。

カザンラクの町へ入り、まず市の中心の昼食場所へ。曇りがちの天気で寒くなったところへ、ヨーグルトとキュウリの冷スープが出て、少々がっかり。
が、次の瞬間、去年のバラの女王が挨拶に出てきて、皆大喜び。一緒に記念撮影。この後、祭りの中心地となるカザンラク・ホテルや、すぐ近くにあるデパート、土産物やなどを探訪。物価が安いのでビックリだが、良い物はやはり高い、当たり前だが。ここで香水などバラ関連のものの他、民族音楽のCDなども買う。
バラ祭りの当日は人が一杯なので、先に買い物したのは良かった。私は皆と別れてスベトラーナのオフィスへ。以前はカザンラク・ホテルの中にあったのだが、現在はホテル前の広場を見下ろすビルの中、会社が隆盛になったということか。

ショッピングしている間に、だんだん天気が悪くなって、ついにバケツをひっくり返したような土砂降りに。バスに戻りホテルのそばにあるトラキア人の墓へ。石段から雨が滝のように流れるが、駐車場には観光バスが何台もいる。

ここカザンラクから南の地方はトラキア平原と呼ばれ、ブルガリアの先住民族トラキア人が住んでいたところとして有名で、あちこちに土盛の墓らしき物が点在する。カザンラクの墓は第二次大戦中に防空壕を作ろうと掘り返した際に発見されたもので、紀元前3〜4世紀のものとか、世界遺産に指定されている。
さすがに土砂降りでも沢山の観光客、内部は非常に狭いので順番待ち。ラスコーの洞窟と同じく、観光客の人いきれが内部の壁画を傷めるとて、私たちが入るのは精巧に作られたレプリカ。それはそうだろう、余りの小ささにビックリ、これでは数人入れば息が充満してしまう。が、私には、これが奈良の大仏やモンサンミシェルなどの巨大建造物と同列に評価されていることが納得出来ない。世界遺産は多すぎる、という指摘があるそうだが、規模・文化価値などを考慮して、ランク付けも必要ではないかと思う。また価値のあるものには、それなりの管理介入も必要だろう。

外は相変わらずの大雨。道を濁流が流れていて、明日のバラ摘みが心配。

今日のホテルはバラ祭りが行われる市の中心からはちょっと離れている、新しい建物。ホテルを囲む塀の外側は驚くほど沢山の車で、小さなバスも身動きできない。
ホテルに着くと、民族衣裳を着た少年少女が、大きなパンと香草を持ってお出迎え。以前ロシアの宇宙飛行船に乗った日本人が、着陸時にパンで歓迎されたのを思い出す。





踊り手達と民族衣装この夜はカザンラクの市民会館のようなところで、民族ダンスのレッスンがあるとのこと、まずは中高生くらいの子供たちの踊りを見る。
裕福とはいえない国ブルガリアで子供たちの憧れは、海外公演もある民族舞踊の踊り手とのこと、途中のインタビューでも上手になって海外へ行きたいと答える子供が沢山いた。そういう希望を持ってダンスのレッスンをしているわけだ。
続いて見物人にもレッスン。私たちも舞台に上がって踊ったが、日本人が多いこと、ちょっと驚きだった。
最後に、大人が着る民族衣裳を見せてもらってお開きになった。

夕食は郊外のレストランでのディナーショー。ちょっと狭い場所だが、妖しい魅力的なダンサー達が繰り広げる踊りに魅了された。雨が激しくて明朝が心配。

6月6日(日)カザンラクの市街地私たちが泊まったホテルは多分自由化とバラ祭りを当て込んで、外国からの観光客のために新しく建てられた物だろう、モダンで綺麗。朝食場所は本館から芝生の庭を隔てたレストラン。建物の壁にはブルガリアの伝説を題材にした壁画が描かれている。雨が上がった芝生には可愛い陶器の置物が幾つも置かれ、高台にあるロビーからはカザンラクの市街地が一望の気持ちよさだった。








ちょっと早起きして、今朝はバラ摘み。早朝の露が降りている時間が良いのだそうだ。

まずは車に乗ってバラ畑へ。昨夜の大雨で畑がぬかるんでいるので、全員に靴を包むビニール袋が配られる。今日は上天気で良かった。
来る時にも見たが、日本で普通「バラ」といって珍重される大輪ではなく、茂った葉の中にピンクの小さな花が見え隠れしている。




近付くと何やら音楽が聞こえる。バラを摘みながら農民たちが演奏しているようだ。民族衣裳を着た農民たちが既に畑に出ている。

近付く私たちを可愛い子供たちがバラの首飾りで歓迎。日本人が多いので驚く。私達のツアーを引き受けた会社は日本と随分取引があるとのことで、今回も沢山の日本旅行者を獲得したらしい。それでなくても物価が安いブルガリアには年金生活者が日本から沢山やって来て、カザンラクには日本人村まであるという。年金生活者の情報収集力と勇気に脱帽。

花は自由に採って良いとのことだが、案外小さくて中々良いのが見当たらない。人が多いので、道路近くは採り尽くされている。あっちだこっちだと日本語が飛び交っている。
そんな人々の間にいつの間にか僧服の司祭さんたちが混じっている。とても愛想の良い司祭さん達で、気軽に写真撮影にも応じでくれたが、実はバラ祭りを祝福に訪れた高位の坊さんらしく、政府関係者と思しき背広組みのお付きにパトカーの護衛付き。でも、招待されたとかいうイタリア人神父さんも混じって楽しそうだった。
今日はバラの谷至る所で祝福を与えなければならぬとて、お水で会場を祝福した後、和やかにお帰りになった。次が控えているのだろう。

祭りの後は、摘まれたバラの花びら処理工場へ。ビール工場のような蒸留釜のそばには花びらが入った袋が山積みになっており、私達の到着を待ってそれを釜の中に入れる。

ここで採られるバラはダマスク・ローズと呼ばれる、昔シリアから移入された特別香りが強い種類で、単純に香水として使われるだけでなく、世界中の香水メーカーに輸出され、バラ以外の他の香りもこれを混ぜることによって香りが安定するという効果があるとのことだ。

工場の庭には勿論、売店があり、香水、ジャムの他、ブルガリアの民芸品なども売られている。またバラ以外の香水の嗅ぎ分けコンテストのようなことも行われていた。
ここにはまた、昔の香水製造装置が展示してあり、蒸留した液体から浮かび上がるローズオイルを実際に取り出す作業も行われていた。この作業を担当するお腹の出たオジサンは日本にしばらく居たことがあるとかで、少し話をしたが、最近はどこにでも日本滞在の経験のある人が多く、これも驚き。
今日だけ賑やかで戸惑う馬

外に出ると、バスの停まっているすぐ前に、馬が1頭繋がれている。いつもは長閑な田舎道が、今日は大勢の人で賑わい、馬も戸惑っているだろう。馬を見て騒ぐ私達の前を、更に馬車が通過する。観光客にはバスが当たり前でも、ブルガリアの田舎での交通機関は、依然として馬車が主力であるらしいことは、この後も度々目撃する。

バラ摘みのあとはバラ祭りの本番、カザンラク・ホテル前の広場で行われるパレード見物のために市内へ戻る。

バラ祭りのネオン

バラ祭りの行われるホテル前の広場には、それぞれのバラ畑でバラ摘みを済ませたであろう団体客の他、個人の外国人観光客やブルガリアの人達がだんだんに集まり始めている。広場へ通じる道は人で一杯で、私はここで初めて、ブルガリアもヨーロッパの一つの国であると認識するような、ヨーロッパの祭りの日独特の雰囲気を感じた。広場ではこれから約半日掛けて要人の挨拶やバラの女王の決定、地方・部族毎の踊りの披露などが行われるのだが、とても真ん中には行かれそうも無いので、入場口に近い道路へ向かい、そこで待機。

私達の目の前は出発準備中のグループが出たり入ったり。中には幼稚園児のような小さい子のグループもあり、始まる前から喧嘩したり泣いたりで、ママたちも大汗。
やがて本番開始らしく、真面目な顔をした大人が動き出す。

海が国境線になっている日本と違い、東西南北から異民族が侵入したり、占領軍がやって来たりのブルガリアは非常なる多民族国家ということで、本当に様々な身なりの人達が現れる。中には暴走族風に原色に塗った車やオートバイに乗っている人、箒やバケツを持った現代の労働者メーデー風のグループもある。


国民に絶大な人気があるイケメンの大統領も登場したらしいが、方角が悪く見えず。適当に切り上げて、昼食上へ向かう。
ここで、今回私が旅行の手配を頼んだ会社は随分大きいということを再認識する。大きなレストランを借り切って、バラ祭りのお客全部を集めたバーベキューパーティーだったが、豪華な食事、華やかな民族舞踊、大勢のお客。その大半が日本人だったのは、改めて驚き。
ブルガリアのおまじない?

農村では未だに馬車が交通や動力の主力なのだから仕方が無いけれど、食材が充分とは言えないこの国としては随分豪華なバーベキューだった。途中からは民族舞踊が始まり、賑やかに楽しめた。

この後、カザンラクの北部にあるシプカへ向かう。ロシア軍と共に戦ってトルコに勝利し、ブルガリアが独立を勝ち取る契機となった露土戦争時の激戦地で、戦死したロシア兵を慰霊するために僧院が建てられている。その中で、正教の聖歌隊による合唱を鑑賞。

寺院の外側はロシア風のネギボウズ、内部はロシア正教らしく金ぴかで何とも濃い装飾、やはりクレムリンを思い出す。その厳かな中で聖歌の演奏を神妙に聴く。

この寺院の外には今までには見られなかった土産物屋が、世界共通の形で列をなして並んでいる。が、売っている物はおよそ観光客の興味を惹きそうなものは無かった。寺院に至る道は坂で細いため、沢山ならんだバスで、大混雑だった。

再びバスに乗り込んでプロブディフへ向かう。この近辺トラキア地方は紀元前からトラキア人が住んでいたところだそうだが、肥沃な土地の上に交通の要衝でもあったためギリシャ、ローマ、トルコなどの支配を受け、その遺跡も沢山見られる。ブルガリア第二の都市プロブディフはその中心地。昔の名前はアレキサンダー大王の父にちなんだものというし、町のあちこちに歴史を偲ばせる町名が付いている。時間があればもっとゆっくり訪れる価値のある町だ。
まずはこの町の特徴の一つでもある豪邸巡り。聖処女教会の脇を上っていくと通りに面して、とても個人の家とは思えない豪壮な家屋が並んでいる。現在はほとんどが博物館として公開されている。門前には家の由緒を書いたプレートが貼ってあるものもある。
途中には昔トルコ大使が住んでいたという家が現在レストランになっているものがあり、見学させてもらった。イスラムらしい美しい装飾の目隠し格子、涼しい中庭、岩盤の上に建てられているとのことで、レストランの床の一部には岩盤が露出したままになっている。

この地は陶土も良いのが取れるそうで、それら豪邸の裏通りに一軒、マエストロが一人で営む小さな工房があった。綺麗な色の陶器の中にはブルガリア独特のデザインというものもあり欲しかったが、少々重い。送ってもらうのもためらわれ、皆小さな陶器をそれぞれに購入。

続いて近くにあるローマ時代の円形劇場へ。劇場を見下ろす絶壁のうえには洒落たレストラン。劇場は他の国にあるローマ遺跡と同じく未だに現役で使われており、この日もリハーサルらしきものが行われ、大道具らしきものも設置中だった。
摘んだバラの花びらを干す

宿に戻って、見所多かった今日を総括。畑で採ったバラの花びらを新聞紙に広げると、プ〜ンと良い香り。世界中の香水の安定剤としても使われるとのことだが、なるほどこの香りは、花びらが乾燥し切った三ヵ月後にも強烈な匂いで我が家を癒してくれている。

6月7日(月)今日はいよいよリラの僧院目指して出発。車で走る間に、ブルガリアの様々な様子を見る。

まずは Borovets というスキーリゾート。ここは全くスイスやオーストリアのスキー場と同じような作り。EU加盟による西洋の観光客を当てこんでのことだろう。売店などはまだまだという感じだったが、レストランにはスイスやイタリアの名前がついていて、バーガーやピザの看板が出ていた。

平地に出るとバザーらしいものに遭遇した。観光客相手ではなく純粋に日用品を売っているのだが、派手な女性下着が意外で奇異な感じ。その他には蹄鉄(テイテツ)や鋤(スキ)、鍬(クワ)などの農業用鉄製品が並べられているのが、西洋の市場との大きな差。スピードで行き交うトラックの合間には、やはり馬車がノンビリ通行していた。生きた鶏を売っているのは西洋でも同じだが、鶏の種類が少なく、食生活が豊かでないことを想わせられる。
蹄鉄や鋤、鍬の金具

綺麗に舗装された新しい大通りから、大きな銅像が目印の角を曲がって、リラの僧院へ通じる山道へ入る。リラの僧院を開いた人はヨハネという名だが、勿論ヨルダン川にいたヨハネとは別人。こちらではイワンとロシア風に呼ばれる。
走って行くと、数日前からスベトラーナに予告されて楽しみにしていた「コウノトリのいる村」へ到着。広場に車を停めて見渡すと、なるほど家々の煙突には沢山のコウノトリの巣があり、コウノトリも居る。でも今まで通って来た村では全然見られなかったのが不思議。何か特別にコウノトリを惹きつけるものがあるのだろうか。

リラの修道院は奥深い山の中。トルコによる侵略時、イスラム勢力にやられなかったのは、奥地にあったことが幸いしたとのこと、細い道を進んで行くと、山の上には修道院領を示す十字架が幾つも見える。ブルガリア正教の総本山だとのこと。森林浴の極みのような山の中で、まず食事。修道院へ行く人以外に誰か通るのかしらというほど人里離れた場所だが、人家に毛が生えたようなレストラン。子供もいるが学校はどうしているのやら。ここでは食事の他、色々な果物のジャムや甘露煮を売っている。さっきの陶器でさえ迷ったのに・・・、でも珍しい「青いくるみの実のジャム」と「イチジクの甘露煮」を購入。自家製のように見えたが、他でも同じ物を売っていた、しかももう少し安く・・・。

やっと修道院に着く。僧院の敷地は塀(外陣)に囲まれていて、入り口は小さい。その小さな入り口から写真で見たことのある聖母誕生教会が見える。

中は、期待以上の素晴らしさ。木造4階建ての豪壮な外陣につつまれて聖母誕生教会があるのだが、まずは外陣の探訪。ドイツでも立派な木造建築をいくつか見たが、日本以外にもこんなに立派は木造建築があるのかと、感嘆。階段を上がってみると、廊下の幅の広いこと、自動車だって通れそう。廊下に沿って僧坊が並ぶ。僧坊には非常に安い値段で泊まることが出来ると聞き、好奇心も手伝って来る前には是非泊まってみたいものだと思ったが、文字通りベッドがあるだけの部屋、今日のように寒い日には向いていない感じがする。ガイドブックには明るくて清潔と書いてあったが、トイレや浴室はどうなっているのだろう。

教会を見下ろしたり、記念撮影をしたり、背景の山々を眺めたり、しばし外陣内を歩き回る。山は大きく背景に広がり、ここは修行にはもってこいの環境に思える。

下に下りて歴史博物館へ入る。この修道院に関する古い書物や写真、イコン、祭具などの他、目玉とされる木製の十字架が展示されている。制作に12年かかったとのことだが小さな十字架の表面にギッシリ聖書の場面が彫りこまれ、1500人もの人物像がみられるとのこと。

静かに思えた博物館にいつの間にか修学旅行らしい子供たちが現れ、いずこも同じうるさいので早々に外に出、今度は建物全体と域内を観察。
深い山に囲まれ、外陣に抱かれて、丸屋根の聖母誕生教会が立つ。本当に修行にはもってこいの、俗世を離れた世界だ。修学旅行の連中も域内に散ってしまうと静かなもの。
あちこちに大きな階段、意味ありげな地下室。修行用の小部屋を特別に見せてもらっていると、黒衣の坊さんが一人、板を棒で打ち鳴らしながら歩いている。ミサの開始を知らせているとのこと。

教会の建物はさすが国教会の総本山、中も外も壁面にはフレスコ画が一杯。金の装飾も豪華で、この種の建物に興味津々の私にもちょっと濃すぎる感じ。

14世紀の時計塔裏門教会の建物は19世紀に火災に遭った後再建されたものだそうだが、すぐ隣には火災を免れた14世紀の時計塔が残っている。よく見ると内部には時計の機械のような物が置いてあるのが見えるが、残念ながら動いてはいないようだった。
写真を撮りまくり、バスの待っている裏門へ出る。緑に包まれた裏門周辺には土産物屋が数軒ある。切手の好きな私は郵便局を見つけたが、既に閉店していた。
周りにはレストランやホテルと思しき建物がいくつか。ガイドブックには「しゃれた」レストランと書いてあったが、そんなことはなさそう。一軒は水周りのトラブルで閉鎖中。

私達のホテルは約2kmの距離と書いてあったが、2kmの長さを痛感する距離で、川を挟んで僧院とは反対側にある。窓から見える僧院の景色が素晴らしいが、僧院は内側と外側の印象が極端に違うため、モダンな外観のそれが僧院と理解するのが大変。
格子の嵌った窓口でチェックインの手続きをする。ブルガリアのホテルは受付時にパスポートを預けなければならないが、格子の後ろ側の暗い空間に、年取ったオバチャンが二人座っているだけのここでは、預けるのが少々心配になる。

リラの僧院外観遠景リラの僧院外観遠景夕食にはまだ間があるということで近辺を散策。人里離れたこんな所に子供も一緒に住んでいる人がいるんだ、と覗いてみると、それはホテルオーナーの自宅らしい。まわりは静まり返って、熊でも出てきても助けてくれる人は無し、なんて思うと、都会ッ子?の私たちは、静寂が恐ろしくなってホテルへ引き返してしまった。

綱の外れた牛の側を恐る恐る通ったところでスベトラーナと運転手に遭遇、ここから少し行った所に、リラの僧院を建てたヨハネが最後を迎えた庵があるので行ってみないかと誘われた。皆はホテルで休憩というので、私だけが同行して出発した。
しばらく行くと ZODIAC と書かれたキャンプ場のようなバンガロー群が並んでいる。丸木を強調した、今泊まっている宿より幾分スイスっぽい(つまりは西洋らしい)気がして、次に来る時の参考にと寄ってみる。
食堂らしい場所にはもう暖房が入っている。その角のテーブルで何と日本の女の子が一人、ハガキを書いている。さっき僧院で会った子だ。こんな宿をどうやって探したのと聞くと、ヨーグルト会社のホームページで見つけて、ここまで一人で来たと言う。交通機関の無い僧院からここまでは、電話をして迎えに来てもらったとのこと。マメにこんな宿を探し、一人でやって来るその勇気に感心。
この宿はホテルとは言えない戸建てバンガローで、多分夏には賑わうのだろうが、まだシーズン・インしていないこの時期は閑散としていて部屋も寒々、写真とは随分違う。パンフレットは貰ったが、私のグループでは使えそうも無い。

再び歩き出す。運転手によると車で10分ぐらいの距離だったとのことだが、鬱蒼とした森の中を幾ら歩いてもそれらしき物が見つからない。舗装した真っ直ぐな道なので距離を感じなかったのだろう。普段歩かない運転手がバスで来れば良かったとまず弱音、でもここまで来たのだからと歩き続け、ようやく標識を見つける。でもここから更に山の中を行く、というので、がっかり。
今度は道無き道を岩を乗り越え行く。確かに、邪魔も入らず修行・入滅したというのだから、国道のそばの訳が無い。途中の木の幹や岩の上に微かにある矢印を頼りに、ようやく石の建物に辿り着く。
洞窟の中

入り口は閉まっているので、周りに置いてあるベンチに乗って中を見る。何も無し。裏に廻ると、ヨハネが座禅?をした岩穴があるが中は真っ暗。カメラのストロボで漸く中が見える。所々にお賽銭らしくコインも落ちている。
一応ご挨拶をして、目的を果たしたのだからと帰ることにする。時計を見るともう6時半、多分二時間近く歩いたのだろう、夕食予定の7時に間に合うわけが無い。私もガイドも居なくて、皆がどれほど困っているだろうと心配になって三人で駆け出す。

ナメクジ途中の道は正に森林浴。沢山の木々が鬱蒼と繁っていて気持ちが良いが、慣れない私には何か野獣が出て来はしないか恐ろしい。遅くなって困ったが、二人が誘ってくれなかったら絶対に来られなかった場所だろう、早足で歩きながら礼を言う。途中には長さ15センチ位のナメクジが何匹も横たわっていた。
帰りは案外早く着き、約30分の遅刻。ブルガリア最後の夕食ということで、スベトラーナ心づくしのワインなどが出ていたが、説明するより早く食事は既に始まっていた。

リラの僧院はユネスコの世界遺産で、かつブルガリア正教の総本山でもあるわけだが、一泊する観光客はまだまだ少ないのだろう、近所で唯一マトモらしい私達のホテルも人けが少なく、寒々としていた。受付のオバァサン達は愛想も無く、暗い格子の裏に居る姿、寒いだろうと毛の擦り切れた毛布を運んでくる姿はゲシュタポを連想したが、夕食時には音楽に合わせ踊り始めた。私達の側のドイツ人観光客も踊りだし、結局私たちも踊る羽目になった。ヨーロッパの人達は本当に音楽と踊りが好き。

部屋に入ると風呂の栓が無い。今日は寒いので浴槽に浸かりたいと、ビニール袋を穴に被せて入浴。
次はトイレの紙が足りなくなりそう。元々が黒っぽい紙が粗く巻いてあるので心細い。受付に取りに行くと、前の人に上げてしまったので「もう無い」とのこと。ホテルでトイレットペーパーの備蓄が無いなんて初めて、ありえな〜い。仕方なく相棒が、夕食レストランのトイレまで行って、そちらも残りが少なそうだったけれど取ってきてしまった。

6月8日(火)いよいよブルガリア最後の日。朝食後バスで直接飛行場へ向かう。ソフィアまで約120km、飛行機に間に合うよう、早過ぎぬよう、調整しつつ。
途中高速のサービスエリアのようなところで一休み。アイスクリームが美味しい。考えてみると日本ではブルガリアの代名詞のようなヨーグルトをゆっくり食べる時間が無かった。スベトラーナに聞くとヨーグルトは原料によりヤギ、牛など4種類あり、中でも一番美味しいのは野牛のヨーグルトだそう、それは食べるチャンスが無かった。牛乳自体が美味しいのだろう、アイスもとても美味しかった。途中の道沿いでは殆どの農作業が人力作業だが、スベトラーナの家でも庭に沢山の木を植えてジャムなどを作っているという。

出発前の記念撮影アルプスの山々飛行場へはほとんど時間ピッタリに着いた。ロンドンへ4人、ウィーンへ4人と別々の飛行機に乗るので、搭乗前に記念撮影。私は残っていたお金でずっと買えなかった切手を購入する。
出国には、各ホテルで貰ってパスポートに挟んだままにしてあったホテルの宿泊証明書のようなものが必要。誰か無くしていないかとヒヤヒヤしたが無事。
ロンドンへ向かう飛行機の中には、イギリス人が一杯。私たちがこの後エジンバラからイギリスを縦断すると言ったら様々に入れ智恵、中には「バラ祭り」なんて全然知らない人がいて、ちょっと驚き。日本人はイベント好きだものね。

飛行機の上からはアルプスの山々が良く見えた。
バラ祭りは個人で来ては畑でのバラ摘みがちょっと心配。また何かのグループと来る機会があると嬉しいのだが。  終わり

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