イギリス縦断の旅 8 - 20 June,2004

ブルガリア・バラ祭りに続いてエジンバラからイギリスを縦断しました。まずはブルガリアのソフィアから飛行機で約1時間半、合流するメンバーの待つロンドン・ヒースロー空港到着です。
私たちの乗った飛行機はロンドンへ16:20着、日本からの飛行機は17:15着の予定ですが、構内がややこしいことでは定評のあるヒースロー空港、心配しました。
これからイギリス縦断の旅が始まるので、まず両替、とカウンターへ行ってギョギョギョギョギョッ!!!、レートの余りの高さに仰天、何と1ポンド240円超でした。イギリスは物価が高くてそれでなくても悪戦苦闘なのに、レートも高い・・・、よくこれでお客が来るものだ。
エジンバラへの乗り継ぎ便は、ベストシーズンのこの時期満員でしたので、二便に分かれました。前の便の人たちが搭乗してからゲートに到着した私たちブルガリア組、おしゃべりに夢中になっていて、遅いほうの便に危うく乗り遅れるところでした。機中から見るスコットランド、なるほど緑豊かな大地が広がっていました。
エジンバラの空港で無事、合流。が、何と私のスーツケースが到着していませんでした。こういうことは案外しょっちゅうあるので用心のため、少々重くて参りましたが皆の行程に関係のあるものは全部リュックに押し込んで背負っていましたから問題はありませんが、それでもスーツケースが無いということは大変不便なことですね。

紛失届を出した後、タクシーに分乗してホテルへ。市内までのタクシー乗り場には登録された車だけが並び、雲助タクシーの入り込む余地が無さそうで安心です。

私は旅の第一のポイントは「ホテルの立地」という主義なので、今回のホテルも駅のまん前。すぐ横にはスコットランドの有名な詩人ウォルター・スコットの記念碑が立っています。そういえば私、卒論はスコットだったっけ・・・。場所は良いけれどあまりに繁華街で、大きな車を停めるのは難しそうなところでした。

←High Streetにて

   High Streetにて。 右がJohn Knoxの家→

ロンドンと同じように、間口が狭く上に何階も伸びた宿、それでもエレベーターがあるので問題無しですが、部屋はやはりこの値段でこの部屋?と驚くようなお粗末で、イギリスの物価高をまたまた実感しました。まあでも、寝心地は悪くは無し。


6月09日(水)一日エジンバラ市内観光だけをして翌日湖水地方へ出発、という選択肢もあったけれど、せっかくここまで来たのでスコットランドらしい所も見たいと思い、一日現地の観光バスツアーで郊外へ行ってみることにしました。
日本からはカードの予約だけで不安だったので、前日歩いて事務所に確認に行っておいたその場所へ全員で。メインストリートの事務所前にはバスが何台が駐まっていました。
事務所の辺りは古いエジンバラの町並みが一番色濃く残っている所としてガイドブックにも載っており、すぐ隣は宗教改革で有名なジョン・ノックスの家があります。壁にはこの家の元の持ち主のイニシャルが見えます。
ネス湖、セントアンドリュース、ウィスキー醸造所巡りなど数あるツアーの中から私が選んだのは A Taste of Scotland という、スコットランド民謡で有名なローモンド湖、メル・ギブソン主演のハリウッド映画 Brave Heart でもお馴染みの独立の志士ウィリアム・モリスの遺跡、スコットランド女王メアリーが戴冠式をしたスターリング城を含む一日ツアーです。

バスはまずお目当てのローモンド湖へ。曇っていていまいちの印象、でもスコットランドらしいお天気とも言えるかな。湖一周のクルーズもあるとのことでしたが歩いて周りを散策することにしました。バロッフという小さな町はローモンド湖の周りでも美しいことで知られているとのことで、なるほど観光客らしい人たちが一杯。夏の今はあまり感じることは無いけれど普段は寒い場所なのでしょう、日本では北海道でお馴染みのハマナスが花盛りでした。
次は小さな Trunkey湖へ。スコットランドの伝説で、ウィスキーに対する酷税にあえぐ人たちが、密造を知られぬよう役人が来ると警告に鳴らしていたバグパイプが沈められていて、今でも湖底から音楽が聞こえてくるとか、現在では鱒の養殖が盛んなようです。


↑ハマナスの花盛り

←John Knoxの家




続いてタイモール城、アフレイ湖など、スコットランド独特の森トロサックの中の小さな古城や湖を通過。岸辺に生えている草がゼンマイに似ているので大騒ぎ。湖畔にお城のような建物が見えるのは time sharing hotel つまり期限を区切って所有する(借りる)ホテルだそうです。「私の家よ」なんて言って人を招いてみたいもの? 

お昼はトロサックの森の美しい町アバーフォイルのウールセンターで。羊毛製品のほか、スコットランドの様々な土産品を売っていて、このツアー唯一のお買い物所でした。
食後はメアリー女王が即位したというスターリング城へ。従姉妹エリザベス1世によってロンドン塔で処刑されたスコットランド女王メアリーは、生まれる直前に父王を失い生後8ヶ月でこの城で即位しました。フランス王に嫁いだもののすぐ未亡人になって帰ってきた彼女がエリザベス1世に処刑された裏には、王座を争う以外にカトリックとプロテスタントという現在の英国でも紛争の元になっている要因があったようです。

城はいかにも戦国の要衝の地という感じで高台に建っています。メアリーの父は二度もフランスから妻を迎えたということで、フランス色濃い内部は、スコットランドにもたらされた最初の古典ルネッサンスとして知られているとのことです。
ここは入場料が必要ですが、日本で出発前に British Heritage Pass というイギリス中の史跡・博物館に入れると言う券を購入していましたので、これを使いました。この券はロンドン以外では大いに効力を発揮しましたが、ロンドンに入ると魔法が切れたように全く使えなくなりました。ロンドン以外のほとんどの場所で使えたので重宝しましたが、ひときわ入場料が高いロンドンで効かないとは、ちょっと損した気分になるパスです。


大きな火山岩の上に立つスターリング城からははるかかなたにこれから行く Wallace の碑が見えます。城はごつごつした岩山の上に立つていますが、周りの緑がいかにもスコットランドらしい印象です。
メルギブソン主演の映画 Braveheart に描かれたスコットランドの英雄 William Wallace の記念碑へ。ここに陣を張って侵入してくるイングランド人を見張ったというだけに、碑のある場所は遠くからもよく見える高い丘、足に自信の無い人には車もあるとのことでしたが、なかなか来ないので仕方なく歩き始めました。途中で車に遭遇しましたが、塗装の落ちたショボいワゴン車、でも歩くよりは楽だったでしょう。

頂上に着くと息を切らせた私たちの目の前に、更に塔への入場料金所が。体力と時間の関係でここはパスしました。William Wallace はスコットランド独立運動の象徴的な人物ということで、今も独立志向を捨てきれないスコットランド人には大切にされているのでしょう、立派な碑でした。






↓Fourth Bridge


Wallaceの碑 細部
再びバスに乗って、今度は Fourth Bridge と呼ばれる変わった形の橋です。渡し舟に頼っていた両岸の往来がこの橋のおかげで画期的に変わったという、近代化を象徴するような出来事だったようです。ちょうど見ている最中に電車が通り、手を振ったり写真を撮ったりの騒ぎになりました。

昨日行方不明になった私のスーツケースは、ホテルに戻ってみるとまだ届いていませんでしたが、文句を言った後私が夕食場所の下見に行っている間に来ました。でも、よほど乱暴に扱われたのでしょう、取っ手が一つ取れてしまっていました。取っ手のひとつもダテに付いていないことをこの時発見。移動には問題ありませんでしたが、横の取っ手が取れると、スーツケースを横に寝かせるのが大変なのですね。車に積むために持ち上げるのも。
明日は出発してしまうし、飛行機の飛んでいない場所から航空会社に抗議しても向こうも困るだけなので、後は日本でということで、壊れたまま過ごすことになりました。


6月10日(木)今日は半日でエジンバラ市内観光の後、バスで湖水地方へ。

朝食の時、アルゼンチンから来たと言う女性と相席になり、二人でイギリスの物価高をおおいに嘆きました。アルゼンチンから友達を訪ねてフランスへ来、その後イギリスを旅しているという彼女は、高いと評判のパリの街中よりもイギリスのこんな田舎の都市のほうが何倍も物価が高いと口を尖らせて愚痴り、私も二日間でウンザリよ、と応じ盛り上がってしまいました。昨日の観光バスに乗っていたスコットランド在住のオジサンも、イギリスでは物を買うなと私たちにアドバイスするありさまで、為替レートの差だけでなく住んでいる人たちだって大変なのでしょう。何しろ自動販売機 ( 滅多に無いけれど ) の缶飲料が1ポンド、ということは日本で120円位のものが240円という訳ですから。他の物も相応に「非常に」高いと感じました。

←エジンバラの町並み

ホテルは町の中心、駅の正面にあり、朝食堂の目の前はイギリス独特の重厚なビルが一杯、端の方にはエジンバラ城も見えています。ひとしきり写真を撮り、食事が終わって徒歩で街中へ。まず道の左突き当たりにあるホリールド宮殿へ行きました。
メアリー女王と秘書の不倫を疑った夫が秘書を何度も刺した血糊の跡が見られると言うことですが、全員音声ガイドの使い方が分からず、内部見学は不首尾に終わりました。

外へ出ると、エジンバラが岩盤の上に出来た町であることを証明するように、遠くにまで大きな岩で出来た崖が広がるのが見えます。

さあ、今度は大通りの反対側端にあるエジンバラ城へ。この道をロイヤルマイルと呼ぶのですが、昨日のバス会社を始め、様々な見ものの殆どはここに集中しているので見物には便利です。約1マイルしかないので歩くのも苦になりません。
今回は途中の道が大工事で大回りを余儀なくされましたが、本来は一本道で土産物屋が並んでいます。途中にはスコットランドのプロテスタント化の拠点だったセントジャイルス教会、その正面には宗教改革で有名なジョン・ノックスの像が立つ14〜15世紀の建物や「ジキル博士とハイド氏」のモデルになったブロディという人が住んでいた横丁など、話題には事欠きません。ブロディはギルドという商業組合の長でありながら夜は殺人も辞さない盗賊だったという、実在の人だそうです。

エジンバラ城では夏の夜に行われるミリタリータトゥーという音楽隊の分列行進が有名ですが、季節はずれの6月には無理と諦めていました。ところが城に入って間もなくバグパイプを含めた楽隊の演奏が聞こえてきました。
「来た来た・・・」と訳もわからず見ていると、二つの大きな楽隊が坂を登ってきました。

今日6月10日はエリザベス女王の夫君エジンバラ公フィリップ殿下の誕生日ということで、お祝いの楽団が繰り出したのです。私たちは偶然エジンバラ公のお誕生日にエジンバラに居たわけです。正装した偉そうな人が何人かいたので殿下の姿を探しましたが、ご本人はロンドンだったのでしょう、並んでいるのは知事さんなど地方のお役人のようでした。

イギリスカラーの赤い制服と、スコットランドらしいモスグリーンの制服に身を包んだ二つのグループの楽士たちの演奏の間に煙を立てて祝砲も鳴らされ、エジンバラ城がはるか海を見渡す場所に立っていることも知りました。

この後更に何発もの祝砲が鳴り、その光景は私には「海賊時代」の英国を思わせるものでした。

音楽隊のおかげで皆とはぐれ城内見物はメチャクチャになりましたが、高台からの景色を見たりお決まりの宝物殿へ入ったりして、三々五々ホテルへ戻りました。

湖水地方からの迎えのバスは1時にホテルに来ることになっていましたが、ホテルの前は何しろすごい車の渋滞、それでも30分ほどの遅れでミニバスが到着しました。
私たちはそれぞれ大きなスーツケースを一つづつ持っていますがバスの方ではそれは予想外だったようで、乗せるのにはずいぶん苦労しました。あとで分かったのですが運転手のスティーブは相当いいかげんな人、まあそれだから全員の荷物を平気で積んで走れたのでしょう。真面目な人ならば定員オーバーだと問題になったと思います。ぎゅうぎゅうのバスの助手席に彼女まで乗せていましたから、融通の利かないイギリス人の中の例外的な人でした。

  ←祝砲


Haddrian's Wall からの絶景
バスは途中私がリクエストしておいたハドリアヌスの壁跡に寄りました。最近の古代ローマ時代研究の中でかなり注目されているこの場所、ローマ時代の皇帝ハドリアヌスが築かせたもので、スコットランド境界線の少し下でブリテン島を万里の長城のように横断しています。豊富な発掘物から古代ローマ時代の謎が次々解明されていて、そのために最近のドキュメンタリーなどでもしばしば取り上げられています。

Hadrian's Wall

エジンバラから湖水地方へは列車で行く方法が一般的ですが、この壁を一目見ようとバスを頼んだのですが、いいかげんスティーブが連れて行って呉れたのは、私の期待とはずいぶん違う、連なる壁の一部が残った小さな場所でした。それでも他にも観光客が来ていましたし、壁の両側に広がる美しい緑の原野が印象的でした。

着いた宿は小さなものでした。最盛期で満員だったのか理由は定かではありませんが、一組だけ別の宿になりました。
オーナーは足がちょっと悪い男性と、かなり年の離れたアジア系の奥さん?のカップル、オーナーは卵やベーコンの入った朝食も全部自分で作り、宿の経営の他に各方面への観光バスの運営もやっているというメチャクチャ忙しい人でしたが、やり手そうな印象と同時にスティーブと同じく少々いい加減で、まあそれだから全部がやっていかれるのだろうと思われる人でした。
奥さんが手伝っているとはとても思えない経営でしたが、部屋の中は小花模様のベッドカバーとか白い家具とか、女性好みにしつらえてありました。B&B の拡大版のような宿。
夕食には間がありそうでしたので全員で近くのウィンダミア駅へ行ってみました。駅にはちょうど列車が入っていたので記念撮影。観光客も随分いました。
夕食は近くの宿にあるレストランへ。食後は歩いて湖に行きましたが、湖のそばはずいぶん繁華でした。
この湖水地方とこの後行くコッツウォルズ、どちらもイギリスの田舎と言われる場所ですが、行き交う車のスピードの早いことには驚かされました。道が細いので危ないこと。

6月11日(金)今日は「嵐が丘」や「ジェイン・エア」などの小説で有名なブロンテ姉妹の家を訪ねるバス・ツアー。ホテルの前には何台ものミニバスが並んでおり運転手もたくさん来たのに、私たちのバスには昨日と同じいい加減スティーブが現れ、皆少々がっかり。

ブロンテ姉妹が住んでいたのはイギリスの中でも未開?ともいえるヨークシャーの荒地。湖水地方から随分遠いことは知っていましたがスティーブは道を本当に知っていたのかしらん、いつまで経っても着かず随分心配しました。



ハワースの町並み

牧師館→

途中で市場に寄ったり、様々な町を通り過ぎてやっとブロンテ姉妹の家がある田舎町ハワースへ着きました。周りは荒野ということですが、家の周りは小さな町になっていて姉妹の住居はその町の司教館、姉妹のおかげか町は案外にぎやかでした。
イギリスの博物館・美術館の組織は複雑で、ここでは例の Heritage Pass は通用しませんでした。館内には三姉妹に関する様々な資料とともに、画家だったという弟が描いたたくさんの絵もありました。
庭には三姉妹の像、少し離れたところには姉妹の父の職場であった教会もありました。姉妹はここからかなり離れた寄宿舎制の学校に通っていたとのことで、帰路そこへも寄ることが出来ました。




教会







往路に時間がかかりすぎたのでスティーブは観光場所のひとつスキプトン城を抜かそうとしたのですが、せっかくここまで来たので「絶対」と言って強引に寄りました。
日本では名前も聞いたことが無かったのですが、日本人がたくさん来るからと日本語のパンフレットまであったのには驚きました。
中はイギリス戦国時代を思わせる堅固な造りで、石壁に彫られた紋章が印象的でした。



スキプトン城







この後はブロンテ姉妹が学んだ学校、と言っても小さなもので、現在は普通の人が住む三軒長屋という感じの建物へ寄り、写真をパチパチ。外壁に史跡を表すプレートが掛けられているだけの古い家ですが、周りに植えられた花の綺麗なこと。




プレート

←寄宿舎












いい加減なスティーブに文句タラタラの私たちでしたが、帰りには羊の写真が撮りたいと言って何箇所かで車を停めてもらいました。明日観光するピーターラビットの作者ポッターさんはこの地方独特の羊の保護にも力を注いだとか、その種類かどうかは分かりませんが、放牧してある羊にも様々な種類があるようでした。

この日は夕食後ウィンダミア湖へ行ってみました。私たちが泊まっている場所は駅には近いけれど郊外になるらしく、湖に近付くにつれ結構にぎやかな俗化した繁華街になっていきました。

6月12日(土)今日は終日フリータイム。日本を出発して何日か経つと疲れも出るし、たまには自分の足で歩くのも良いだろうと、私の企画したツアーではたいてい旅の中ごろにフリータイムの日を取るようにしています。せっかくの湖水地方をゆっくり散策したいだろうと思いました。
でもフリーだとどこへ行ったら良いか分からない人もありますので、半分くらいの人は終日観光、残りの人も半日観光に参加しました。

終日観光の私たちはまず湖水めぐり。
田舎とは言っても観光客がたくさん来る湖水地方、両側を小石積みの塀に囲まれた細い道をスティーブの車はもの凄いスピードで走って、Tarn Hows湖に着きました。

湖水地方はポッターさんに代表される自然保護のメッカ、到着した湖のそばには軽ワゴンに乗ったレインジャーが説明やらパンフの販売、監視のために常駐していました。ここでは野生の鴨が遊んでいました。保護されているとはいえ近付くとさすがに親鳥は子供を庇って威嚇する仕草を見せていました。

次はいよいよ、この湖水地方の代名詞とも言えるピーターラビットの作者ベアトリクス・ポターの自宅 Hill Top です。
ここは後から知ったのですがポターさんが力を入れていた National Trust 運動が管理をしているとのことで、国立の博物館のようには入場者の整理がうまくいっていないようで、時間によっては待たされたり、運が悪いと一杯で入れないこともあるとのことです。



Hill Top


Hill Top の庭


元の家

自宅跡なので普通の小さな家がそのまま博物館に転用されています。家族の多かったブロンテ姉妹の家よりだいぶ小さく感じました。中にはピーターラビットやポターさんにちなんだ色々なものが展示されています。
庭には様々な花がジャングルのように植えられ、それがどれも何とも元気良く咲いていました。私にとってはお庭のほうがよほど興味を惹かれました。
出口にお土産物屋さんがあるのは普通の博物館と同じですが、売っているもの多種多様なこと、日本人も多いのでしょう日本語の本もありました。道を隔てた向かい側には、畑の中にポターさんがここへ来る前に住んだ家が見えます。現在は個人の所有なので非公開だそうです。



ワーズワースが通っていた寺子屋
続いて Hawks Head へ。スティーブは湖畔にあるお店の割引券を配っていましたが、それは土産を買うような外国人観光客向けの券ではなく、土地の人用の衣料品の割引券のようでしたね。
私たちは繁華街の近くにあるワーズワースが通ったという小学校へ。まあ寺子屋という感じの一部屋しかない建物でしたが、中には教室が復元されており詩の本屋リーフレットなどが売られていました。英文科出身としては「一応」買いました。


午後ティー

周りにはポター関連のお店や案内所もありましたが、自宅・売店に行って来た後なのでパス。
ここでは時間があったので街中のレストランで「午後ティー」としゃれましたが、普段の食事が貧しいと悪評のイギリスで「午後ティー」は唯一豪華だなと思わせるもので、この時も量が多くて辟易、でもおしゃれなお店でした。
この後湖畔へ行き、船に乗ることになりました。スティーブが船を捜しに言っている間、岸辺にいる鴨と戯れ・・・、なかなか元気の良い鳥たちでした。







お天気が今一だったので「素晴らしい」とまではいきませんでしたが、湖上の景色を堪能し、小さな船着場で船を降りました。この船は湖の何箇所かに立ち寄り、そこでそれぞれ降りる人がいるようでした。
私たちが降りたところは周りに草がジャングルのように生えているだけの何も無い所でしたが、バスが停めてある場所に着く前に、大きな庭のある建物がありました。誰かの家かもしれないと思いましたが、あまりに景色が良いので失礼して、庭でリラックスして記念撮影をしてしまいました。






その後スティーブが皆に内緒、と私に耳打ちし、彼の特別サービスということで湖が見下ろせる丘の上へ行きました。わずかなハイキング客が歩くだけの、観光バスではとても行かれそうも無い景観の良い場所で、湖やはるか向こうの山々を思う存分楽しみました。


続いてストーンサークルへ。イギリスには南部の Stonehenge(ストーンヘンジ) に代表される先史時代の巨石遺物が国中にたくさんありますが、ここ湖水地方にもいくつかあるとのことで、このツアーにも含まれていました。
細い道に車を停めて生垣の中に入っていくと、そこは Stonehenge よりは随分規模が小さいけれど、それなりに観光客も随分来ている遺跡でした。向こうのほうではハンググライダーが飛んでいて、私にはどこの石の遺跡でも上空に飛んでいるのが不思議ですが、多分遺跡の多くが周りに障害物が無い場所にあり飛びやすいのでしょう。上空の空気が特別なんじゃないかと時々は思うのですが。

  ←ストーンサークル

スティーブの特別サービスのおかげで時間を喰い、今日行くはずのワーズワースの家「Dove Cottage」へは行く時間が無くなってしまいました。皆のブーイングの中、ちょっとしょげた感じのスティーブはそれでもスイスイと車を走らせ一路ホテルへ。途中にはポターさんが一番最初に買ったという川の上に架かった小さな家もあったのですが、案内は無し。
宿へ戻ってみると、半日観光の人たちはポターさんの家に寄る時間が無かったと、こちらも不平たらたら、スティーブ以外の運転手も相当いい加減ということが分かりました。もう明日は湖水地方から出発なのでホテルのオーナー兼バスの運行責任者に交渉、でもポターさんの家は管理している National Trust の運営上、時間をこちらが決めて入るのは難しいとのこと、妥協して明日はチェスターへ行く道すがら Dove Cottage にだけは寄ることになりました。

明日は出発ということで宿の周りを散策、B&B と呼ばれるものはどこも可愛く設えられているのですが、ここは特に窓辺や玄関周りの小さな庭が花で美しく飾られているのが目に付きます。



出発前ホテルで





6月13日(日)まずホテルの前で記念撮影の後、またスティーブの車で出発です。日曜の今日はまた彼女が同乗、良いデートコースなのでしょう。
まずワーズワースの家 Dove Cottage へ。細い道に面した小さな家ですが、日本でも有名な詩人ですから、ここでは大勢の日本人観光客と遭遇しました。昔は居酒屋だったという家の中は小さなものですが、庭と花の綺麗なこと、表でも裏庭でも写真を撮りまくりました。

           Dove Cottage →






再びバスに乗って一路チェスターへ。
チェスターはイギリスの中でも中世の町並みがほとんどそのまま残っている、かなり景観が特殊な町で、町全体が塀に囲まれています。その塀のすぐ外側の Blossoms Hotel は昔の建物がそのまま使われているとのことで人気があり、また他にはなかなか適当な宿が無いということで「絶対」ここに宿泊と決めていましたが、予約には随分苦労しました。

最近ではホテルのパンフレット類がたくさん出回っており、ネット検索でもたいていのホテルは地図で詳しく場所も分かるようになりましたが、それでも想像したものと実際に行ってみるのとでは随分な乖離があります。
チェスターの場合も Blossoms Hotel 以外のホテルは駅のそばにいくつかあり地図上では歩いてもたいした距離には見えませんでしたが、実際に行ってみると途中の道は人通りが無く、一人で歩くのがちょっと怖い感じがしました。
塀の中には Grosvenor というホテルがありますが、これは5ツ星ですからねぇ。

チェスターが初めてらしいスティーブは町の外側でちょっと躊躇していましたが、ぐるりと廻るうちにホテルは見つかり、やれやれこれでやっと彼女とゆっくりデートが出来るとばかり、喜んで帰って行きました。

ホテルは見かけも古い感じでしたが従業員がよく訓練されているのがはっきり分かる応対でした。チェスターで一番雰囲気があり、値段も Grosvenor ほどには高くない、ということでこのホテルはかなり人気があるようで、私たちが到着した時には大勢の日本人団体客がロビーにいましたが、彼らは食事だけで泊まらずに出発したようです。
まだ時間が早いので全員で町に繰り出し、昼食の後は自由解散にしました。



              二階建てのアーケード→

チェスターの町は木組みというイギリス中世の建築物がそのまま残されていることで有名です。またその木組みが重厚で二階建て、三階建てなど多層構造になっていて、中心街の店が二階建てのアーケードになっていることでも知られています。二階の部分にも道が付いていて歩けるようになっているのです。
久しぶりの都会?なので、イギリスらしいお土産もあったようです。

町の中心部には大聖堂があり、日本人観光客も多いのでしょう、日本語のパンフもありました。今日は何かイベントがあるとのことで内部では音響設備の設置中でした。

教会を出てしばらく行くと、イベントの一つらしい一団がやって来ました。ボーイ・ガール・スカウトらしいグループが大勢行進してきたのです。彼らは教会前の広場に整列、式典の後、内部に入っていき、一般観光客の教会内部の観光も、しばらく中止になりました。教会の周りには大勢の日本人がスケッチをしていました。




←←大聖堂


チェスターの旧市街は塀で囲まれており、その塀の上を伝って町を一周することが出来ます。スタートとなる町の東門には大きな時計、そこを出発点として一周することにしました。



ロックにさしかかった船
北のほうへ行くと運河が見えます。見下ろすと川の高低差を調節するロックをちょうど船が通過するところでした。
運河クルーズ大好き人間の私、早速近くへ行って見ました。イギリスのクルーズ船は「narrow boat(狭い船)」と呼ばれる通り、ヨーロッパ大陸の運河クルーズ船よりはだいぶ細く出来ており、その分川幅も狭くロックの幅も狭いのですが、することは同じ。ここのロックは手動で、見物していた人たちも押させてもらっていました。
イギリスの船は幅が狭いので、見上げるような橋の上を通っているものもあるようです。

川のすぐそばには線路も走っており、ちょうど列車が来ました。あすは私たちも列車で移動です。


ロックの開閉をお手伝い

塀は幅の広いところも狭いところも、場所によっては消滅して地上に降りるところもありますが、何箇所かには昔の石造りの市門が残っています。中世のころには夜は門が閉められ、外部の人が泊まったりすることも禁止されていたそうです。
町の南側にはさっきの運河よりずっと大きな川が流れています。岩だらけの岸では日曜の今日はたくさんの人が遊んでいます。イベントのお流れか楽団の制服を着た人も見られます。
塀の下に今度は古代ローマ時代の遺跡が見えてきました。イギリスに多い「○○スター、○○チェスター」という町の名前は古代ローマ統治時代の名残、とはコッツウォルズのガイドに聞きましたが、ここチェスターもローマ人が進駐していたとのことで、建物の壁、礎石などが町じゅうに残っています。




土塁の上の歩道










昔の門





一度ホテルに戻ってから、明日の下調べのために駅まで歩いて行ってみました。塀の外側は新市街でスーパーマーケットや大きな車道があってに騒々しいけれどひと気は少なめ、今日が日曜で、しかもイングランドとフランスのサッカーの試合日だということもあるのでしょう。

道沿いのレストランやバーはサッカー一色。大きな風船人形が置いてある店もあります。駅までの道沿いの個人の家でも、庭にテーブルを出したりしてまだ陽のあるうちから大盛り上がりでした。
私たちにとってイギリス国旗といえばユニオンジャックという紺地に赤や白の米印が入ったものがお馴染みですが、ここでは白地に赤い十字の入った旗ばかり、これは英国、ではなく「イングランド」だけの旗だそうです。英国とはイングランドの他にスコットランドやウェールズ、北アイルランドの連合体のことだとは知っていましたが、この日の試合はフランスに「英国」ではなく「イングランド」が挑むというもので、盛り上がっていました。そういえば何日も前からこの旗があちこちに翻っていました。

遠い国の私たちから見れば全部同じ国に見えますが、そういえばラグビーの試合では「五カ国対戦」というのがフランスの他は全部英国、というので笑ったことがありましたっけ。



↑サッカーで盛り上がる店


←←チェスターのシンボル 大時計




6月14日(月)ホテルのレストランで朝食を摂っていると、相客の中に銀色の鬘を被ったり、膨らんだロングドレスを着たりと中世の衣装に身を包んだカップルがいるのに気が付きました。早速写真を撮らせてもらい、何のため?と訊くと、city crier のコンテストだと言うのです。

実はチェスターには毎日正午に大声で叫んで何かを告知する city crier という名物?があるのですが、昨日到着したのが正午過ぎ、今日は列車の出発が12時前、ということで諦めていたのです。朝食場所には中世の扮装をした人が何人も現れるので時間を訊くと今日の10時からだとのこと、出発の支度をしてから町に繰り出しました。
ラッキーなことに今日は city crier の世界大会だそうで、世界中から、と言っても例の英国連合の他に目立ったのは中世の衣装とは全く関係ない民族衣装に身を包んだアフリカ人が一人でしたが、city crier が集まっているとのことでした。

←中世のカップル       コンテストの張り紙→


会場になっている市庁舎前には舞台が設置され、中世の衣装を着た「客引き」「物売り」も出ていました。
周りには出場者の他に家族や友達でしょうか、それぞれに衣装を着た人たちが屯して本当に中世に還ったような雰囲気です。



↑市庁舎前の広場


←呼び込み          物売り→

コンテストが始まり出場者は舞台の上で鐘 ( 映画の分校のシーンでよく使われるカラ〜ン、カラ〜ンという鐘 ) を鳴らして人の関心を呼び起こし、それから大声で何やら叫んでいます。昔は何か告知することがあったのでしょうが、今は何を言っているのでしょうかね、何だか旧制高校の寮歌大会を思い出しました。女性も出場していました。

思いがけない見ものを見物した後、ホテルに戻りタクシーで駅へ向かいました。ぜひとも一度は列車に乗りたいという希望が出ていたので、チェスターの駅からコッツウォルズの最寄駅バーミンガムまで列車に乗ることにしたのです。



チェスター駅
最初から重い荷物を持ってこないように忠告してありましたが、既にどのスーツケースも相当重くなっていて列車の乗り降りが心配でしたが、幸いなことにチェスターが始発でバーミンガムが終点とのこと、ゆっくり乗り降りができることが分かりました。

チェスターの駅は外見は古いまま内部はモダンに改装されています。電光掲示板もありますが、この日は故障で真っ暗、それが放ったままなのが日本と違うところですね。

窓口でホームを確認し、並んでいる人たちにも確認し、無事列車に乗り込みバーミンガムに着きました。バーミンガムといえば大都市、うっかりしていましたが駅も巨大なものでした。
迎えのバスを頼んでいたのですがそのバスが何処に待っているのやら、駅正面に行ったのですが見つからず、出口がいくつもある駅の中や、商店街に人が一杯の外を探し回るうちに危うくこちらが迷子になるところでした。
結局駅の正面でバスを見つけ、乗り込みました。大型バスですが運転手は思いがけず女性、金髪に色白のお人形のような人でした。

コッツウォルズの可愛い B&B に泊まることは皆の希望でしたが、一軒に2,3室しかない B&B に11人もで泊まるには・・・。探しに探して「近い」という3軒に分宿することになりました。
バスはその3軒に次々に私たちを下ろしていくことになるのですが、バーミンガムの繁華街を抜けコッツウォルズに入ると驚くほど道が狭くなりました。そしてそこを走る車のスピードの速いこと。イギリスをドライブしたというお客さんに時々会うのですが、日本でも恐る恐るの私にはとても運転出来そうもありません。

まずは「ニネベ」という聖書を思い出す名前の B&B に到着、見晴らしの良い広い庭の中にありました。ここで4人が下車、夕食と明日の時間を打ち合わせ、オーナーに挨拶をして出発。B&B の前の道はとても狭くUターンも出来ないので、運転手はどこか他でターンしようと考えたのでしょう、そのまま走り出しましたが行けども行けども大型バスがターン出来るほどの空き地はありません。
たまりかねて適当な ( 不適当な? ) 場所で思い切ってハンドルを切ったら、やはり無理だと言うことが分かり・・・、道を遮断する形でバスが動かなくなってしまいました。細い道なのですが幹線道路なのでしょう、前からも後ろからも車がジャンジャンやってきて、あっという間に大渋滞になってしまいました。バスは周りの土手に喰いこんでしまったのかギアがぼろなのか焦るからか、まるで動かなくなってしまいました。

クレーン車でも呼ばなければと青くなってしまいましたが、同じく大型のトラックに乗った作業員風の男性が助けてくれて、ようやくピンチ脱出、命が縮みました。
次の B&B は二人、こちらは庭は見えませんでしたが家庭的な感じ。
そして最後が私たち5人です。
B&B はドライブ個人旅行で来て泊まるには良いでしょうが、家が小さい分、探すのが大変と感じました。あのスピードを出す車の通る道で知らない家を探すなんて、私にはとても出来ません。私たちの宿も分かりにくい場所でしたが、日本人がたくさん泊まったことがあると聞いて驚きました。
運転手が去って、ようやくホッとしました。明日は小さい車で来ますように。

私たちの B&B は庭に花が一杯、たくさんの犬と猫もいました。ひと休みしたところでオーナーがお茶を誘いに来、庭の一角、バラ棚の下でお茶を楽しみました。ここでの紅茶、一緒に出されたジンジャービスケットがとてもおいしく、お店で見つけて買いました。

バラ棚の下で午後ティー

小さなレストランが多いコッツウォルズで11人もでの食事は予約が大変そうでした。真中の B&B に近いレストランを予約してもらい、ちょっとクラシックな雰囲気の中で全員で食事をしました。
ニネベに泊まった人たちは歩いて帰ったのですが、道が細く通り過ぎる車のスピードが速いので、やはり相当怖い思いをしたようです。

6月15日(火)今日は昨日と同じ会社に車とガイドの手配を頼んで、一日コッツウォルズ観光です。
世界で一番美しい田舎、と言われるコッツウォルズですが、何しろ車のスピードが速く道が狭いので、ノンビリ散策、なんてことは難しいと感じました。また広い地域に集落が分散しているので、いくつかを訪問しようと思うなら移動が大変です。タクシーは数が少ない上に遠くから呼ばなければならないし、バスは一日一便どころか週三便程度、日曜日は完全運休のところがほとんどです。せめて三箇所くらいは見たいと思ったのでバスをチャーターすることにしました。

このバスもロンドン辺りから大型を仕立てて日帰りする観光客が多いので、この地域だけを廻ってくれるバス会社を見つけるのはかなり大変でした。でも良い会社が見つかりました。人数が少なければ、また泊数が多ければ観光を引き受けてくれる B&B もあるようです。



シェークスピアの生家
案じていましたが今日は綺麗な中型バスがやって来ました。三軒の B&B を廻って全員を積み、まずはシェークスピアの町ストラットフォード(Stratford Upon Avon)へ。
ストラットフォードはシェークスピアが生まれた地として有名ですが、コッツウォルズの集落としてはかなり大きい方、町が美しいので私は大好きです。
生家の前の道は歩行者天国、隣には大きな事務所兼資料館のようなものが建っています。


シェークスピアは町の裕福な皮商人の家に生まれたということで、残っている生家は有名作家の誕生地という以外に、あの時代の典型的な商家という意味でも貴重なものだそうです。家族の生活以外に皮商人の商売方法、皮製作過程などの説明もありました。家の裏庭は植物畑になっていて、薬草や皮なめしに使った植物が今も植わっています。
16世紀ごろは家長が絶対的な存在で、他の家族は水もお皿も家長の使った後のものを使ったとか、それなりに家庭を大事にはしていたようですが、現在の家庭のありかたとは随分違ったようです。

ストラットフォードの街中にはシェークスピア本人やその作品に因んだ建物・像などがたくさんありますが、私のお薦めはエイボン川、鮮やかな色とりどりのナローボートが並んでいる場所あり、静かな水面に水鳥が遊ぶ場所ありで、どちらもこの静かで華やかな町に相応しく思われます。



アン・ハザウェイの家
次はシェークスピアの妻アン・ハザウェイの家です。こちらも有名作家の妻の家というだけでなく、典型的な豪農の家という意味で貴重な存在とのことです。
シェークスピアは裕福な皮商人であり市の有力者でもあった父のおかげで若いときから町では有名人だったのですが、10代で、当時としてはかなり珍しい大年増の女性と結婚したことで、大きなスキャンダルを巻き起こしたようです。

そのアンの家は大きな庭に囲まれた茅葺の大邸宅、庭は農園になっていて、特にフランス人の大好きなアーティチョークが元気に育っていたのが印象的でした。


アン・ハザウェイの家

この後モートンというところを通過、ここは北コッツウォルズの交通の要衝で、昔は通行税を取り立てる関所だったそうで、今でも鉄道を始め主要交通路は必ずここを通るようになっているとのことでした。



罪人?
続いてストウ (Stow on the Wold ) 着。広場をたくさんのアンチックの店が囲む小さな集落で、広場の中心には昔罪人を晒したという木の遺物があり、代わる代わる罪人になりました。
この町の Stow Lodge という宿にあるイギリス最古のパブは紀元900年代のものでその昔、王党派が集った有名な場所とのことでした。
食事は広場に面した小さな店でサンドイッチ。


さらし台


キャサリンの家

続いて Ford 、Peter Pan が書かれたマナーハウスがあるという Stanway などを通り Stanton へ。ここはヘンリー8世のたくさんの王妃の中でも最後のキャサリン (Catherin Parr) の領地だったところで、彼女の住んでいた建物があります。
そのすぐそばの古い小学校の脇を通って裏のほうへ入っていくと小さな教会があります。鄙びた田舎町で観光客どころか住人の姿も全く見えない場所に大きな観光バスが一台停まっていたのは、この教会へお参りするためだったらしく、かなり高齢の団体客がちょうど教会から出てきたところでした。
特別特徴のある教会ではありませんが古いもので、内部には紀元500年ごろの壁画が残っていました。また信者が腰掛ける木のベンチの端には、引き連れてきた犬などの首輪を掛ける金属製の輪が付いており、いかにもコッツウォルズの教会だと思われました。

次はコッツウォルズの中でも有名な BroadWay です。ここはさすがに観光客が一杯、メインストリートには土産物屋が軒を並べています。
ここには有名なホテルがありますが、私たちにはあまり関係無さそう、写真だけを撮りました。

メインストリートの外れにある骨董屋の裏庭が綺麗とガイドから教えられ、骨董品に興味がありそうな顔をして中に入りました。こちらの骨董品商は常時店番をしながら店を開けているわけでなく、ベルが鳴ったら鍵を掛けていた扉を開けて客を案内するようになっている店が多く、ここも買う気も無いのにベルを鳴らして店主を呼び出すのは憚られましたが、旅の恥は掻き捨てとばかり鳴らしてしまいました。




















そのまま庭に直行することもできないので義理で店内にも入りましたが、どれほどの資産価値があるのでしょう、曰くありげな骨董品が大きな古い館一杯に展開されていて驚きました。
庭には古い泉もありなるほど美しく整えられており、皆でいっせいに記念撮影。

少々後ろめたい気持ちで店を出ると、すぐ隣が広い牧草地になっています。昔の旅人は商売物の羊を連れて移動することが多かったので、コッツウォルズの集落には必ずこのような牧草地があるとのことで納得しながらしばらく見ていると、向こうのほうに何か動く気配。「ウサギだ」。
ピーターラビットの里・湖水地方で野生のウサギに巡り合えなかった私たちですが、ここで願いが叶いました。

















この後 fish hill(魚の丘) という場所を経由して本日の最終観光場所 Chipping Campden へ向かいます。fish hill という名前は石灰岩で出来たこの丘から何と何万年も前の熱帯魚の化石が見つかることから付けられた名前とか、有史以前の地球は地盤の隆起・沈下のほかに地軸もずれていたと言われていますが、それを実証するようにイギリスのような寒い地域も熱帯魚が住むような暖かい海だったことがあると言うことです。






ウールマーケット




Chipping Campden を始めとするコッツウォルズ地域の豊かな暮らしの元は毛織物、たくさん飼われている羊から取れる羊毛製品の交易からもたらされたもので、町には羊毛成金が建てた様々な豪華な建築物が見られます。ここ Chipping Campden の町外れにある教会 (ガイドは wool church=羊毛教会と紹介しました) は17世紀に火災にあったとかで隣に会った家は廃墟になっていましたが、教会は健在で中は大変豪華なものでした。

教会から町の中心部へ降りていく道沿いには、裕福な商人の町に多い老人ホームが並んでいました。静かで良いような、余りにさびしいような・・・。道沿いにはバラが満開でした。



市の中心には交易の舞台となった屋根付きの市場がありました。コッツウォルズの建造物は「蜂蜜色」と呼ばれる独特の色の、この地域で採れる石が使われていますが、塀や屋根はそれとは違うスレートのような薄い黒っぽい石を重ねて作られています。
屋根は石の重みでたわんでいるのが良く見られますが、この市場の建物は天井の内側が丸見えで、木の骨の上に石が積まれ、その木が重みでたわんでいるのが本当によく見えます。
町の中心になる場所ですので周りには石の紋章や記念碑のようなものが建ってい、この日は周りで野外学習?をしている子供たちも見られました。

周りには土産物屋がたくさん並んでいますが、羊に因んだアクセサリーなどはモダンな感じのものもありました。小さなスーパーがあったので、B&B で出されておいしかった紅茶と同じ物、ジンジャービスケットなども買いました。

時間が余ったので先ほどの教会へまた歩いていきました。建て主の家は焼失したと聞きましたが廃墟の隣には高い塀に囲まれた大きな家がありました。教会の奥へ行くと墓地の向こうに別の建物があり、その周りに羊が放牧されており、人間が来たので少々興奮、喧嘩もしていました。

夕食は町の中心部のレストランで。私たちが入ったのは結構高級そうな場所でしたが、同じ敷地内にあるビール醸造所に付属したバーが隣接しており、出来上がったオジサンたちが騒いでいました。

食後は B&B のオーナーに迎えに来てもらい、二回に分けて送ってもらいました。
二度目の人たちは又してもゆっくり羊の写真を撮りたいとリクエスト、ちょっと暗くなった牧場で目の光った羊の写真を撮りました。

B&B へ戻るとオーナーの Gene がお茶はどう? とお待ちかね。私たちが泊まった日にはイギリス人の老夫婦とアメリカ人の若いカップルが泊まっていましたが、感じの良い人たちで夜のお茶の時間は結構楽しいものだと感じました。特に若い夫婦は自分たちのルーツを尋ねてイタリア旅行をしてきたとかで、全く観光地で無いけれど非常に美しい、とおじいちゃんの出身地を推薦、あちこちへ行っているので旅行の話が弾みましたが、いかんせん一日目一杯見聞して来た私たちには体力が足りず、適当なところで失礼して就寝となりました。あちらも一日歩き回ったし老夫婦は私たちよりよほど高齢だけれど疲れないのかしら。私たちの体力の無さ、または西洋人の本当の実力を思い知らされた気がしました。

6月16日(水) 今日はコッツウォルズを出発する日、昨日のガイドが他の B&B から皆を乗せて、駅に一番近い私たちのところまでやってくることになっていました。同宿の人たちはまだまだ滞在するとのことで、一緒に写真を撮ってお別れ。

私たちの旅は今日これからバース、ストーンヘンジを観光してからロンドンへ行き、ロンドンでは三泊することになっていますが、家庭の事情で三人だけは今日の便で日本へ先に帰ることになり、まず最初に彼女たちを送ってHoneybourne駅へ行くことになりました。


Honey Bourne駅

駅は私たちが滞在していた B&B から近いところにあり、B&B の前の道からは列車が走るところも見えましたが、車万能のコッツウォルズの人たちにはガイドや運転手でも不案内らしく、B&B のオーナーから詳しく聞いて出発です。
駅に着いてみると無人も無人、人家の裏にプラットホームだけがあり、これでは地元の人に聞いていなければとても見つからないだろうと思われました。
列車が遅れたりしても誰も教えてくれないわね、なんて言いながら待つことしばし、列車が無事やって来ました。
実は英語があまり十分とは言えない三人だけのロンドン行きは本当に心配でした。列車は終点がロンドン・パディントンなので絶対に途中で降りないでねと念を押し、パディントン駅からは空港へ直行する列車が出るので駅では絶対に買い物など寄り道はせず、切符を見せて確認してすぐに乗ってねと念を押し、別れました。

さて次は私たち、再びバスに乗ってバースへ向かいます。途中にはチャールズ皇太子が経営する自然栽培の農園がありました。日本と違って英国の王室はかなり積極的に「商売」をしているようで、この農園の産物も健康志向の今日、評判をとっているとのことですが、皇太子は慈善事業だけでなく他にも様々な商業活動が知られています。

が、日本人の悪い癖、寒々とした駅で長い間立っていたのでトイレに行きたくなったとの声、でも田舎道なのでドライブインも見当たりません。困ったな〜と走っていると林の中にホテルらしきものが見えました。小さなホテルでは用も無しに入っていくのはまずいしタダでトイレを貸してもくれないけれど、ここしかトイレはありそうもないし、と言うわけで、土産物屋へ行くフリをするというガイドを先頭に全員でホテルの中に入り無事トイレを使いました。
何も言われませんでしたが、少々後ろめたく早々に出てきましたが、後からよく考えると品の良い高級そうなホテルだったね、というのがガイドと私の感想でした。
周りには林以外何もありませんでしたが、イギリスらしい「ガーデニング」や「ゴルフ」を品良く楽しむ宿のよう、ゆったり旅行にはピッタリという感じでした。







バースの町は私の中でイギリスのベスト3に入る綺麗な街、特に有名なのは三日月状に湾曲した住宅街ですが、ロンドンまでが長丁場なので今回はそれは車窓見学として、ローマ浴場へ直行しました。

古代ローマ人のお風呂好きは有名で、遺跡の中には何処も必ず浴場がありますが、その中でもバースは大規模なもので、後にはその名が英語のお風呂の語源にもなりました。

←古代の温泉内の彫刻

←古代の温泉内のモザイク

                          一番大きな温泉→
沸かすお風呂ではなく、ここは温泉で、古代ローマ時代の大きな建造物の中を今も高温の温泉が豊富に流れています。他のローマ遺跡にあるように温水浴、冷水浴、サウナなど様々な部屋に分かれていて、その各部屋に細々と意匠や施設が配されていて、現在の私たちでも感心するばかりですが、中でも一番圧倒的なのは沢山の彫刻に囲まれた大きな温水プールでしょう。水の色が緑色なので少々不気味ですが、今でも下から泡が吹き出て、表面からは湯気が立つほどの高温の湯が大量に吹き出ているのです。

温泉を囲む建物は来る度に立派になるという印象ですが、遺跡にうまくはめ込んだ現代の建物の中には、遺跡から発掘された古い建物の残骸や当時使われていた品々が上手く飾られていて、立派な博物館になっています。

温泉の建物を出るともう昼をだいぶ過ぎていました。温泉の建物の中にはポンプルームという、昔は汲み出し用の機械室だった所が今では超高級なレストランになっていますが、ここは人気で随分並ぶのでどうしようかと思っているとガイドが、バースならではの店があると案内してくれました。なるほどポンプルームと呼ばれるレストランはイギリスだけでも他にもあるけれど、彼が案内してくれたのはバースで一番古い喫茶店でした。

この店だけで売っているという特製のパンを使ったサンドイッチが売り物で、店内には歴史の古さを証明するように、訪れた様々な有名人の絵 ( まだ写真が無かった時代から!) や写真が飾られていました。味もなかなかのものでしたよ。

バースの町は見所が多く、また高級客の町なのでしゃれたお店も一杯ですが、先を急ぐので今回はパス。町を出ると生垣に囲まれた緑豊かな家々が並んでいます。エイボン川 ( シェークスピア生地を流れるのとは別の川 ) にはイギリス独特のナローボートが浮いています。初めてバースへ来た時、ボートが余りに色鮮やかで驚いたものです。シックが売りもののイギリスとはちょっとかけ離れた、黄色や赤、緑の原色で塗装された小さなボートに、私はベネチアのカーニバルを連想したものです。

家並みを過ぎると今度は一面の平原になります。畑の中の道を進んでいくと途中にはイギリスの軍事基地があり、兵舎らしい建物、通信基地らしい場所も見えました。その平原の真っ只中、走行する私たちの車の前を突然、鹿が横切るというハプニングもありました。

次は世界的に有名な環状巨石の遺跡ストーンヘンジです。ここも来る度に施設が進化、という感じですが、バスの便の悪さだけは少しも変わらないらしく、パッケージの観光バスにでも乗らないと個人旅行ではなかなか来にくい場所です。
日本語のオーディアガイドもあるのですが、そんなものは必要ないくらい、眼だけでしっかり楽しめる印象的な場所、今回は時間の制約が無いので思う存分堪能しました。

ストーンヘンジの周りは見渡す限りの平原、ですがよく見るとあちこちに「マウンド」と呼ばれる盛り土が見られる、先史時代の広大な遺跡地域なのです。遺跡はここの環状巨石だけでなく、ロンドン方面からコッツウォルズ方面からこちらへ来る道すがら、十メートル以上の高さのマウンドも巨石の遺跡もありで、この近くには麦畑に模様が描かれる「ミステリーサークル」も頻出すると聞けば、古代人に関連あると言われるUFOなどを、つい思い出してしまいます。

ストーンサークルを出て今度はロンドンへ向かいます。
ロンドンの宿の値段はパリを抜いてダントツ世界一ではないかと私は確信を持って思いますが、今回3泊もするので宿探しには苦労しました。ロンドンでは時として一泊一人一万円以上出しても隣の話し声が丸聞こえ、なんてことは珍しくありません。立派な大人ですから、いくら泊まるだけといっても、あんまりみすぼらしい宿は困るけれど、同じ宿でも部屋によって条件が極端に違うこともあるし・・・。
考えあぐねている時にメンバーの一人が、随分昔泊まったことがあるという宿を推薦してくれました。
途中のチェスターやコッツウォルズでの宿代に比べればとても安いとは言えない価格でしたが、同じ価格の他の宿がどんな条件か分からない中、大人が満足して推薦してくれるならばと、ここに決めました。

暮れかけたロンドンの町に入り宿へ向かいましたが、運転手もガイドもコッツウォルズ在住の「おのぼりさん」なので、宿を見つけるには随分苦労しました。
ロンドンの町は「通り」の名前さえ言えばどんなタクシー運転手でも一発で目的地へ連れて行ってくれる、これがロンドンタクシーのプライド、と聞いたことがありましたが、いかんせん「よそ者」には入り組んだ道々はかなりの難物のようで目指す道がなかなか見つからず、同じ道を何度も通り最後には運転手とガイドが喧嘩まで始めた頃、やっと目標の Hotel 167 へ着きました。

ここでガイドとはお別れ、これからコッツウォルズへ戻るとのことです。今回のガイドは英国人とイタリア人のハーフで、両方の国でガイドをしたことがあるというかなりのベテランでした。ガイド以外にも様々な職業に就いていたと言って、その感想がいかにもイタリアっぽい軽い明るいものなので笑ってしまいましたが、彼からはイギリスについて様々なことを教えてもらいました。
イギリス中に沢山ある「○○チェスター」という地名はローマ時代の名残とは前に聞きましたが、コッツウォルズには「スローター」という日本語に訳すと「虐殺」と綴りも音も全く同じ地名があり、私はそこでは大虐殺でもあったのかと思っていました。
彼に言わせるとイギリス人は音声に関して鈍感で、古代ローマ人が占領時代に話す言葉 ( つまりラテン語 ) をうまく聞き取ることが出来なかったとのことです。それでイギリス人は聞いた言葉を発音しやすい似たような音に置き換えて使っていたそうで、スローターという地名もラテン語の発音を勝手に変音して呼んだものだそうです。
終戦直後に進駐軍 ( 古い? ) の自宅で働いていた日本人の女中さんが、意味が分からないけれど無手勝流の発音で何とか過ごしていたのと同じことだそうです。それにしても「虐殺」なんて地名の町に住みたくはないですよね。

さてロンドンの Hotel 167、エジンバラの宿と同じく、ここも部屋が上へ上へと重なっているのに今度はエレベーターがありませんので、もう荷物が最高に重くなっていた私たちはフロントにいた若い男性にすべてお任せ、重くてさぞ呆れたことでしょう。
一息入れた後はフロントの兄さんに訊いたレストランで夕食。過去のイギリス旅行では評判どおり食事をおいしいと思ったことはありませんでしたが、今回の旅行では贅沢をしたせいか食事にも十分満足、やはりお金を出せば出すだけのことはあると思い知りましたが、この夕方のシーフードのお店はフレンチ、とってもおしゃれでした。混んでいたのでサービスは悪かったけれど・・・。

ホテルへの帰り道、歩いている道沿いの塀に何やらピーターラビットのプレートが貼ってあるのを発見、そこはポターさんが湖水地方へ引っ越す前に住んでいた場所、つまり彼女の実家があった所のようでした。
そういえば彼女は自然保護など湖水地方での活躍が有名ですが、幼年時代は裕福な家のお嬢様として家に閉じ込められたまま家庭教師を相手に暮らしていたとか、それがここなのでしょう。建て直された現在の建物は幼稚園か小学校という感じで窓ガラスに可愛いらしい動物の切り絵が貼ってありました。

                           ポターさんの実家跡→



6月17日(木)今日は一日全員でロンドン観光、地下鉄の一日券を片手に出発です。私たちの宿があるのはロンドンの西、サウスケンジントンと呼ばれる地域で、私には初めて泊まる場所でしたが、駅には小さなスーパーのようなものがあり、駅前にはトーマスクックを始めとする両替屋が何軒もあり便利でした。ここからまずはバッキンガムへ向かいました。

お目当ての衛兵の交代は夏なので毎日午前11:30から、なのに9:00頃には出発と言うと「早すぎる!!」と不満の声、でも到着してみると交代儀式が良く見える塀際は既に一杯で、私は上手く潜り込みましたが、周りは全員が交代儀式を見に来たおのぼりさんで、誰だって一生に一度か二度のチャンスなのですから必死で、割り込むのも大変でした。


地下鉄駅前


バッキンガム宮殿
最初は諦めて、入場する騎馬兵が見られれば良いわ、というわけであちこち歩き回って写真を撮りました。宮殿の正門の前には大きな大きなビクトリア女王の像、ここは高くなっているのですが、階段状になった見やすい場所にはもう余地はありません、人の空いている場所で写真を撮りました。

11時ごろになると騎馬警官が出てきて、道にはみ出ている人達を整理し始めます。女性の騎馬警官もいてカッコいい、でも良く見ると腰にはしっかり銃が見えます。なんと言ったって君主の宮殿前なのですから。でも女王様は本日不在。

   ←ビクトリア女王像



女性騎馬警官


そうこうするうちに色とりどりの旗が立っている遠くから、騎馬兵の行進が見えてきました。真っ赤なんて、考えてみれば正気の沙汰とも思えない制服ですが、それが集団で行進する姿の美しいこと。騎馬警官の制止にも拘わらず群集が大きく揺れます。
交代要員はどうも宮殿の内部から出てくるらしく、外が騎馬兵の出現で騒いでいるうちに、塀の中からは掛け声や音楽が聞こえてきました。しばらくすると正門が開いてバンドが中から出てきました。正門のすぐ脇まで潜り込んでいた私は出てくる音楽兵の表情もじっくり見ることが出来ましたが、意外なことに全然「ハンサム」でない人もいました。王宮勤務の衛兵達は国中からイケメンで長身の人を選ぶと聞いていたのに、「太ったブタのような」しかも顔が日本人のような人もいました。

ここで私が一番驚いたこと、それは世界中から集まった観光客が「全員漏れなく」日本製のカメラ・デジカメ・ビデオカメラを持っていたことでした。
昔ドイツで酔っ払った人から「日本人はドイツのカメラ独占市場を奪った」と絡まれて恐ろしい思いをしたこと、豪雪のサンクトペテルブルグで中国人が発売されたばかりのサイバーショットを持っていて驚いたことなどを思い出しますが、カメラ会社のジャパニーズ・セールスマンを本当に尊敬しました。

衛兵見物で半日潰してしまいましたが、群集の解散後はウェストミンスター寺院と国会議事堂・ビッグベンへ。ウェストミンスター寺院では持参の「ヘリテージパス」が全く利かず、しかも入場料が高くて参りました。地方では水戸黄門の印籠の如く、どこでも無料または大幅割引だったパス、ロンドンで使えたのはたった一箇所ロンドン塔の割引だけでした。ロンドンには別の割引券がありますが。

ウェストミンスター寺院は歴代イギリス王の戴冠式が行われる場所で、式の時に王が座る椅子も置かれていますが、椅子の下にあった大きな石はスコットランドへ返したとかで無くなっていました。またスコットランドのメアリー女王はじめ大勢の有名な王の墓所ともなっています。中は案外すいていました。6月はイギリス観光のピークなのに、ちょっと不思議、でもおかげで文人のお墓などはゆっくり見られました。



歌で有名なロンドン塔


次はロンドン塔、と言っても城砦なのですが、ここに送られた後処刑された王が何人もあり、Bloody Tower(血染めの塔)があったりシンボルが「カラス」という聞くだに禍々しい場所、でも何部屋も使い優雅に暮らしたトーマス・モアなどもいたということです。
王冠などの他、武器展示室などもありましたが、処刑・拷問の印象が強く、疲れてもきたので、ここで解散となりました。



ロンドン塔出口で

6月18日(金)今日は完全フリーの一日で、殆どの人はまず大英博物館へ行きました。バス路線図を見たら駅から博物館近くまでバスが直行しているとのことで二階バスに乗りました。すぐに着いてしまいがっかり。

大英博物館は入場無料ですが、内部に大きな図書館が新設されたことやご時世で修復など諸々にお金がかかるということで、募金箱がかなり目に付くところに置かれており、タダで入るのは結構度胸が要るようになりました。
内部の案内図なども買ったほうが良いものが手に入る・・・、全体的にショボクなりました。


でも、発掘された大きな石棺などは触ってOKところか、見学の子供達がよじ登っていました。目玉の一つ「ロゼッタストーン」は私が初めて来たときには丸出しで展示してあって子供は触っていましたが、さすがに貴重な遺物が摩滅するのを恐れたのでしょう、上にガラスが設置されました。
館内は撮影OKです。

新しく出来た図書館の周りは休憩用の広場になっており、土産物屋 ( Museum Shop なんて気取って呼びますが ) も充実、エジプト関係グッズの充実度は世界一でしょう。私はこの後すぐにエジプトへ行くことになっているので止めようかと思ったのですが、綺麗な本を何冊も買ってしまいました。

                             よじ登って実習→

次は6月ならではの場所、バラが「超」美しいというリージェントパークへ向かいました。
日本にいる時、私は都会に緑が少ないなんてあまり思わないのですが ( だって日比谷公園だって明治神宮だって新宿御苑だって広いじゃ〜ん )、ヨーロッパの公園の広さには圧倒されます。
リージェントパークも、バラ園を囲む公園の広いこと。上天気だったのであちこちで人々が球技に興じていました。日本の大学生らしいグループがサッカーボールで遊んでいるそばでは女子高生が先生に引率されて野球に良く似たゲームをしていました。ベースがあり、ボールを打って走るのですが、バットが野球とは全然違うもの、何と言うスポーツなのでしょう。

リージェントパーク内のクイーンメアリー公園、というのがバラ園の名前です。これまた広いこと広いこと、バラだけでも数え切れない種類のものが列になったり輪になったりして植えられていましたが、他にも様々な花々が美しく植えられていました。

また動物も沢山いました。バラの間にはリスが走り回っていましたが、人間を見ても逃げたりせず、却って立ち止まって向かってくる、これも緊張しているということなのでしょうが、私は噛みつかれるかと思いました。

池には水鳥、土手にも鳥が沢山いました。

6月19日(土)いよいよ今日は帰国の日。飛行機は午後なので午前中はフリー、フロントで蚤の市の場所を聞いて行った人もありましたが、私はケンジントンパークへ行ってみました。
ハイドパークやダイアナさんが住んでいたケンジントン宮殿もあるこの公園は私達の泊まっている場所から程近いとのこと、お天気も良かったので歩いて行きました。

昨日のリージェントパークと同じく、恐ろしいほどの広さですが土曜日の今日は家族連れでかなり賑わっていました。大きな池の傍にはレストハウス、水鳥の浮かぶ池の周りはアスファルトで固められていますが、乳母車や簡易椅子などが持ち出され、人々が三々五々日光浴をしていました。


ビクトリア女王像
植え込みや芝生の広場を抜けるとまた別の大きな池が現れます。白鳥や鴨のような鳥が泳いでいる向こうにある建物は、婚約が決まって以来ダイアナさんが住んでいたケンジントン宮殿です。前にはまたビクトリア女王の大きな彫像、宮殿は公開されているとのことで道も賑わっていましたが、そんなにゆっくりは出来ない私達、それを横目で見ながら帰路につきました。


ケンジントン宮殿遠景

荷物が多くて空港まで電車ではとても行かれないのでタクシーを頼みました。ロンドン名物の黒い箱型を頼んでおいたのですが、来たのは普通のバンで、全員がっかりしました。箱型のタクシーは流しが多く、呼び出すハイヤーにはあまり使われていないようです。箱型のタクシーは後部座席が広く荷物が沢山乗りそうに見えますが、印象ほど荷物は乗らないのでマ、いいか。

チェックイン時には皆それぞれ勝手に座席をリクエスト、OKだったのかどうか、ペアにはなっていましたが座席はばらばらでした。
ヒースロー空港は忙しい空港とは知っていましたが、離陸に備えて滑走路の手前には沢山の飛行機が待機していました。世界中のロゴを付けた大型機が、機首を揃えて待っているその前を一機一機離陸していきます。どれほどの技量か、離着陸の様子を見ればパイロット同志には良く分かると聞きましたが、他社の国際線の機長が見守る中を離陸するのはきっと、随分緊張する瞬間なのでしょうね。
お天気が良いので飛び立つと下界がそれは良く見えました。


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