チベット 2007.02.13〜20

憧れのチベットへ行ってきました。
人間の転生に非常に興味のある私は、この科学万能の現代に唯一、特定の人物の生まれ変わりを肯定するチベット仏教に異常な関心を持ってきました。その中でも生き仏として最高の地位にあるダライラマが、発見され先代の生まれ変わりと認定される過程、期待に違わぬ人物に成長した不思議は、無宗教だけれどミステリアスな話が大好きな私には堪えられないネタであり続けました。

←発見当時のダライラマ法王(ホームページから借用) 

また随分昔のことですがNHKでかつて放映されたポタラ宮殿の内部の、またまたミステリアスな様子・・・、いつかは行ってみたいと思っていましたが、現在のチベットは私の大の苦手な中国、半ば諦めていました。

チベットの首都ラサまで高山病に配慮した青蔵鉄道が開通し、それを利用したチベット旅行の売り出しにポタラ宮殿の写真が使われていたのを目にしたのは神様(イヤ、生き仏様)のお導きでしょうか、中国であることを忘れて、行きたいッ!と飛びついてしまいました。

高山病の危険に加え、中国独特の食事、トイレなど予想以上の障害物旅行でしたが、ポタラ宮殿を目にした、あの感激は一生忘れることは無いでしょう。


2月13日(火)成田を出た飛行機はまず広州に到着。今日はここで一泊です。

広州の飛行場は近代的、でもこれではどこの国の空港か判らないワ。世界中が同じような空港になって最近は少々がっかりの私です。宿は空港のすぐ傍、綺麗なホテルだけれど、ガイドさんの言葉が印象的、「建物は素晴らしいけれど、使ってるのが中国人ですので、あまり期待しないように」。
飲茶の夕食。


2月14日(水)中国のお正月が近いので、空港はごった返しています。日本と違って売店に果物が多いのが印象的、広い国土の中ですが、オーストラリアのように植物移動禁止、なんてことはないのでしょう。「今話題の」不二家製品のまがい物もありました。



広州空港のコンビニ、果物が山積み
 
空港の中央には、とてもおしゃれなカフェもありましたが、私たちは、一目で昨夜の残り物と判るお弁当持参、ごった返している構内で食べた人もいました。

9:00 広州発の飛行機でまず西安へ向かいます。西安では乗り換えの人も多いけれど私たちは座ったまま、と言われ、その前にトイレへ、と行きましたが、何としたことでしょう、水は出るけれど流れないトイレ、飛行機の中なのに・・・あ〜やっぱり中国だ。
西安では沢山の人が降りました。故郷へ帰るのでしょう、物凄い荷物を持って降りると、代わりにまた物凄い荷物を持った人が乗ってきました。


西寧着陸直前の風景


西寧空港は砂漠の真ん中


でも空港は超近代的


人家の屋根が水平なのがエジプトみたい

13:25 西寧着。既に高度2250m。すぐに昼食レストランへ向かいます。町にはイスラムの人も多いとかで、町並みは何となく砂漠っぽい感じ、でもこんな奥地にまでイスラムが進出していることにびっくり。
昼食後、まずタール寺へ。西寧は文化的にはチベットの一部と言えるところ、クンブムと呼ばれるこの街はチベット仏教最大のゲルグ派の始祖ツォンカバの出身地で、この寺もゲルグ派6大寺院のひとつ、ダライラマやパンチェンラマも滞在して勉強したことがある、広大なものです。またこのタール寺(クンブム寺)は、現在の14世ダライ・ラマ発見の大きな鍵となったお寺とのこと、ここから東へ「歩いて」二日の距離にあるタクツェルという農村が彼の生地とのことですが、彼が中国政府と対立している現在は、訪問には許可が必要とのことです。



タール寺入り口


郵便局、銀行など


有名な八仏塔


長寿殿


輝いているのは小金瓦殿


象・猿・兎・小鳥

寺域内には沢山の塔頭があり、その幾つかを巡りました。内部は撮影が禁止となっていましたが、何処から何処までが内部だか判らないところが多く、戸惑いました。長寿殿という寺にはツォンカバ師の生母が水垢離の後に休んだ石というのがあり、大きな菩提樹にも何かいわれがあるようでした。

小高い丘の上からは寺域が一目で見渡せます。傍には中国少数民族結合の象徴とかで象・猿・兎・小鳥が一体になった像がありました。
大経堂、ツォンカバ師の生地などを通った後に、有名なバター彫刻がありました。触ることは出来ませんが、硬いのでしょね、彫刻できるなんて。新年には取り替えるということで、年末のこの日には全体が下向きになって鮮やかな色彩もホコリ一杯という、少々しょぼい様子でした。
Assembly Hall と書かれた大経堂の脇には、チベット仏教独特の「マニ車」(=一度廻すと百回お経を唱えたことになる)が沢山並んでいました。



マニ車が一杯


マニ車


漢時代の城壁

寺を出て町へ戻る時には、道沿いに高い厚い土壁が見られましたが、漢時代の城壁だそうです。

西寧は回族、つまりイスラム人が沢山住んでいるところでもあります。バスで走っているとイスラム独特の白いキャップを被った人が一杯で、先日行ったばかりのイランを思い出しました。



白いキャップを被った回族の人たち



イスラム寺院・東閑清真大寺



ホールの装飾は中国風



西寧駅
そんな地域の真ん中にあるのがイスラム寺院・東閑清真大寺。建物はイスラム寺院そのものの、装飾が殆ど無い簡素なものですが、内部の一角、皆でお祈りをするホールのような場所には中国風の豪華な装飾が施されていました。
広場には白いキャップを被った男性が数人、イスラム風の服装で先祖代々のイスラム教を信じ、しかも中国語を話す、というその矛盾を興味深く思いました。
どこも興味深い場所ばかりで、スケジュールがどんどん遅れてしまい、予定に入っていた土産物屋、列車に乗る前に入浴というのはすべて中止、夕食の後は直接駅へ向かいました。

西寧の駅は大きく近代的で、行く先なども電光掲示板で示されていましたが、やはり利用するのが中国人達なので、ごった返している様はまさに中国でした。
こんな中でも構内に入るにはセキュリティチェックがあり、ブースを通った荷物が無くならないか心配しました。
私達の乗る列車は全席指定席のはずなのに、駅構内には乗車のずっと前から長蛇の列、年末の帰省客が多いためか皆の荷物が凄い。

駅員なのか警官、軍人なのか区別がつかない人によるかなり厳しい検札を経て列車に乗車。
私達が乗る一等寝台は4人部屋。部屋まで行ってみると、ベッド下の収納場所にスーツケースが入らないで大混乱。最新型の列車だというのに、最新型の真ん中が膨らんだスーツケースの厚さより、ベッドが低いのです。他の部屋へ入れてもらうなどやりくりしましたが、コレには不自由しました。

20:07 青蔵鉄道 が出発。



車内で。同室の人と添乗員さん
ベッドの上には日本の普通の厚ぼったい掛け布団が置いてありました。がさばって邪魔、上段のベッドは昼間もたたまないので、布団置き場になりました。梯子が付いていなくて、小さな足置きで弾みをつけて登るので、二階ベッドは結構大変でした。カーテンも無いので着替えが丸見え。スリッパはついていました。
窓際の小さなテーブルにはポットに入ったお湯が置いてありましたが、お茶やコーヒーなどの食材は無し、コップも必要です。

また、何が映るのか壁掛けテレビがありました。


テレビ

列車は高山仕様ということで、外の気圧の影響を受けないような気密室になっているとのことですが、それはどうでしょう。各ベッドに吸入用の送風口が付いていて、それを利用した人も随分いましたから。
私にとっての「超」重要課題トイレは、車両がまだ新しいせいか、とても綺麗でした。飛行機のトイレと同じように空気圧で吸引するようになっているそうですが、脇には水道がついていて、周りが汚れたときには水を流してからフラッシュするようでした。この水道が出しっぱなしになっていることがあり、トイレが水浸しだったこともあるようです。やはりトイレには靴で行かないと。
トイレの向かいが洗面所で、横長のそのスタイルに、私はスキー民宿の洗面所を思い出しました。

夜は10時ごろに消灯、真っ暗な窓の外に星が大きくとても綺麗でした。



吸入用の空気送風口




  ↑空気吸入用のチューブ
        まだ綺麗なトイレ。真ん中上方が水道。ホースが欲しい。→

2月15日(木)
私達の朝食は、お弁当が各室に配られました。昼と夕食は食堂車へ行って食べました。テーブル毎に出る大皿の料理を取り分けて食べる、普通の中華料理です。ビール、ジュースなども数本は無料で置いてありましたが、追加する人もありました。アルコールは高山病には良くないと聞いていましたが、あんまり影響は無かったようです。



朝食のお弁当



昼・夕食は同じような感じ



ビールとオレンジジュース

窓の外はとても寒く、ほとんど雪景色でしたが、こんな中に野生の動物が沢山見られ、小さな華奢な動物が雪の地面に座っているのを見たのには驚きました。

ラサに近づくと野生ではない、飼われているヤクや羊も見られるようになりましたが、「飼っている」のと「野生」も違いは何か、よく判りません。

大雪原の中にはポツンと一軒家が建っていたり、トラックが一台で走っているのなどが見えました。事故の時にはどうするのか心配になりましたが、この鉄道が出来るまではバスがあのように走っていたんだそうです。


電柱とヤクの群れ







羊も毛深そう



ただ一台で行くトラック



一軒家



地中の熱で凍土を溶かす鉄杭

中国の年末なので列車の乗客の多くは帰省客で、皆もの凄い荷物を持っていました。

駅の周りには全く人家が見えなかったけれど、駅には軍人らしい女性の姿があり、まだまだ偏狭の地では自由な旅行は出来ないと感じました。

この列車が走る地域はチベット仏教の文化圏、独特の色の僧衣を着たチベット僧らしい人も荷物が一杯、誰か迎えに来ていました。

自然を満喫できるとはいえ27時間の旅は私には案外退屈でした。食事がしっかり付いているのでオヤツもあまり減りませんでした。


広大な大雪原


夕焼け
夜の10時半にラサ着。新しい駅なので驚くほど近代的。青蔵鉄道開通を祝う看板が派手に掲げられていました。チベット専門のガイドさんが出迎えてくれて、バスでホテルへ。

途中、ライトアップされたポタラ宮殿が見え、感激。

着いたのは、これまた信じられないくらい近代的なホテル、中国侵攻以来チベット色は段々薄れているとは聞いていましたが、中国色も薄い建物で少々がっかりでした。でもチベット、中国色丸出しでは私には耐えられないかも・・・。


2月16日(金)今日はラサ市内観光で、まず入場が午前中だけらしいポタラ宮殿へ。
ラサ市の西中心の山の上、高さ117mに聳え立つのがポタラ宮殿、周りには五体投地をしている人がチラホラ見えます。道路に面した広場奥の門の脇には、世界遺産を示す石碑が置かれています。門の中には更に広場があり、ここから見るポタラ宮殿はまさに絶壁、これからここを登っていくのかと思うと不安になります。



はるかに見上げるポタラ宮殿



世界遺産のしるし



真下から見上げる



途中から見下ろす町並み




←白宮殿への入り口
            その内部↑

登り坂は石積み階段のほか、地面がむき出しの場所もありました。ゆっくりのガイドさんについて登っていくと、案外ラクチン、息は切れましたが、えっもうお終い?という感じで白宮殿の入り口に辿り着きました。この後も階段は多く、結構大変でしたが。
ポタラ宮殿は外側から見ても判るように白宮殿と紅宮殿に分かれており、見学はまず政治の場とダライラマのプライベート部分が置かれていた白宮殿からとなります。この辺りの入り口はドアではなく厚い幕が使われているところが多くありました。
その幕を潜って更に登ると、周りを二階建てに囲まれたちょっとした広場へ出ます。この広場の角には公衆トイレがありました。世界で一番穴が深い恐ろしいトイレと聞いて、落ちたらどうなるのだろうと思っていたのですが、せいぜい2階分くらいの深さで、な〜んだ、という感じでした。仕切り、囲いは無し。


白宮殿入り口前の広場



世界一深い?トイレ



白宮殿建物の入り口

この広場の先にまた幕で囲われた、部屋へ登る階段があり、ここからが白宮殿、写真撮影は禁止ですので、印象的だった物は写真をパンフレットから借用しました。本物はもう少し煤けて、周りも暗い感じでした。

ダライラマのインド亡命後、ポタラ宮殿は中国文化大革命の嵐に襲われ一部は破壊されましたが、近年は修復が進み、中国は博物館にしようとしているとのことですが、それにしては見学できる部屋は少ない感じです。中国と敵対しているダライラマについては徹底的な排斥が行われており、写真の販売、所持は厳禁、観光客のガイドブックに載っている写真もページごと破られた例があるそうです。チベット僧の迫害も相当なもので、沢山の僧が投獄、亡命に追いやられているとか、ポタラ宮殿も至る所に監視カメラが仕掛けてあり、観光客と接触すると後で係員が罰せられると聞いては、見学中も緊張してしまいました。

内部は黄金を基調にした鮮やかな色彩で彩られていましたが、こんなにゴテゴテでは眠れないのではないかしらん、しかも昼なお暗い室内は、どこかにお化けが隠れていそう、4歳からこんな場所で暮らしていたとは気の毒な気がしました。ラサは高地なので寒いかと思いきや、高度が高いと太陽にも近いので案外暑いとかで、夏はノルブリンカ離宮へ行くのをダライラマは楽しみにしていたと言いますが、この閉塞感からの解放も嬉しかったのではないでしょうか。


どこも金で飾られている

廊下→






「Seven Years in Tibet」にも出てくる、
豪華なダライラマ謁見の間


←13世ダライラマの廟
上の網状になった所にミイラが安置されている
何度も読み返した「Seven Years in Tibet」に出てくるダライラマの勉強部屋なども見学しましたが、暗くて狭いので驚きました。「活き仏」と認定されたために辿らなければならなくなった、この狭く、重苦しく、暗く、暑く、空気の薄い部屋での友達も無い勉強生活、遊んでいるのが見えると気の毒なので、みながポタラ宮殿から見えないように遊んだということですが、「Seven Years in Tibet」の著者ハラーとの交流が、どれほどの息抜きになったか思いやられます。そして全チベット人民とチベット仏教を背負った現在の亡命生活、王子に生まれたわけでもないのに、何という波乱の人生でしょう。


白宮殿を出ると一度屋上のようなところに出ます。ポタラ宮殿の建物の屋根はほとんど黄金で覆われています。それらを見てから紅宮殿へ。そこには歴代のダライラマ廟があります。それにしても、チベットはあんなに沢山の黄金や宝石をどうやって手に入れたのでしょう、歴代ダライラマの廟はそれぞれ数百キロの黄金と大量の宝石で飾られていました。

混雑時には入場から退場までの時間制限があるということですが、すいていたのでゆっくり見学出来ました。外に出るとチベット人らしい家族連れが町を見下ろしていましたが、中国政府の圧制が伝えられる中、チベットの人たちに平安あれと心から思いました。
真上にポタラ宮殿を見ながら階段を降り、すぐ傍にある土産物屋で一休み。お店ではチベットの名産品として宝石や曼荼羅などが売られていました。





街角のマニ車


沢山の曼荼羅
高山病で午前中の観光をパスした人と合流のため、一度ホテルへ帰りました。私達が泊まったホテルは新しい清潔、近代的なホテルでしたが、民族色を強調して、ポーターさんはチベット風の衣装を着ていました。またロビーにはお正月の飾りが美しくしつらえてありました。

このホテルには診療所があり、高山病で苦しくなった人たちは簡単な診察後に「高原康」という薬を貰いました。

苦しい時には3錠、予防には1錠ということで、私もこの翌日には飲みました。効いたかどうかは定かではありません。


高山病の薬


ロビー



近代的なロビーに正月飾り





午後は昼食レストラン経由、ラサ郊外にあるセラ寺へ。昼食レストランの中にもお正月飾りがしてありました。チベットのビールも出ましたが、気圧の低い場所では泡の具合はどうなのでしょう、飲まなかったので判りませんが。高山病にアルコールは良くないのかと思っていましたが、今回の旅では「飲む・吸う」人が案外元気でした。


立体曼荼羅。ポタラ宮殿にもありました



←↑正月飾り→





ビール→
ポタラ宮殿は高いので、バスで移動する際には、いつも見えていました。また、車中からはチベットの典型的な家として殆どが窓という感じの家々も紹介されましたが、随分近代的でした。最近のものでしょう。

セラ寺はチベット仏教の大僧院で、日本の河口海や多田等観も滞在した所ですが、年末のこの日は大半の坊さんが帰郷しているらしく、閑散としていました。
大集会堂の前にはチベット独特の色鮮やかな幟が建っていました。


大集会堂


色鮮やかな幟


曼荼羅

大集会堂の隣セラ・チェ学堂では、母親らしい人が小さな子供を抱えて五体投地の練習中?建物は黄金の屋根飾りや極彩色の扉など豪華なものでしたが、坊さんが少ないのは年末のせいだけではなく、宗教弾圧が厳しいために亡命してしまった僧が多いのも一因のようです。このセラ寺を含めチベットの大部分の大きな寺は、ダライラマの亡命先インドに再建され、そこにはセラ寺だけで3,000人もの僧が居るということです。未だに残っている人たちはどういう人たちなのでしょうね。私達を見るとにっこり笑って通り過ぎていきました。


五体投地の練習中?











↑兵隊さんまでがいました
屋根の上には五色のお経→

次はジョカン寺。横浜の中華街のような商店街の間を通って行きますが、売っているものがコワイ、生肉を露店で・・・。

明日がチベットでは大晦日ということでジョカン寺の中には入れませんでした。寺の前では大勢の人が五体投地、専用の布団のようなものを敷いて、手には下駄のようなものを履いて、ダイナミックにやっていました。

ジョカン寺を囲む商店街外・八角街は凄い人出でした。寺を囲んで時計回りの道には大小の店がひしめいていて、ラサの土産も沢山売っていました。値段は同じものでも様々。




   ↓生肉を売る露店


2月17日(土)今日はダライラマの夏の離宮ノルブリンカ見学。どれほど離れているのかと思ったら、ポタラ宮殿からたった4kmという近さ、「Seven Years in Tibet」によると、ここへ移動するのにも大行列を仕立てて大変な騒動とのことですが、ポタラ宮殿から行列が全部出きれないうちに先頭が着いてしまうのではないかしらん。
平地にある分、暑さが少なく、そして広々としている分、居心地は良いでしょう、何しろポタラ宮殿には「庭」と言えるものが無いのですから。



ノルブリンカ内の通路
現ダライラマはノルブリンカでは比較的自由な生活を楽しんだらしく、「Seven Years in Tibet」によると、映画を見るために門を壊して発電機を積んだトラックを入れたりしたこともあるようです。その壊して拡張された門はどれかなぁなんて思いましたが、不明。
中国政府との対立が顕著になった時期には、中国政府がダライラマを観劇に招待したのを、それを利用して拉致されると心配したチベット人がノルブリンカを囲んで一触即発のこともあったようです。ダライラマの観劇用の館がありました。


観劇用の館
左の写真は1954年に完成し、現ダライラマ14世が実際に住んだ館。

西欧文化に非常に興味を持っていたダライラマの意向を反映して、インドから様々な「文明の利器」が持ち込まれていたそうです。

右はダライラマの勉強部屋、周りは池に囲まれています。

ダライラマは1959年にここ、ノルブリンカからインドに亡命しました。
次は西蔵博物館。入り口は例のごとく綺麗な幕。中にはチベットの歴史遺物の他、民族衣装や祭りの道具など文化的な展示物が置かれていました。

昨日は年末のため予定していたジョカン寺に入れなかったため、代わりとして功徳林寺という18世紀の寺へ。

その後、高度4990mにあるヤムドク湖経由でツェタンへ向かいました。ヤムドク湖到着時、何と私は眠っていたのですねぇ・・・、今回の旅の目玉の一つだったのに見逃してしまいました。ポタラ宮殿で充分満足したからマ、いいか・・・。
この日は大晦日のため、宿泊したツェタンの町では深夜花火が沢山あがりました。


2月18日(日)
終日「王家の谷」と称されるチベット発祥の地を観光。まずは2世紀の王宮ユンブ・ラカンへ。高地の更に高地、こんな場所に王宮を定めたのはどんな酔狂な王様だったのでしょう。見上げただけでも勇気が失せそうな急勾配にはちゃんとお馬ちゃんが待ち構えていて、乗って登山した人もいました。私はテク。
登りきった所には天井が高い見張り小屋のようなお堂のような建物があって、中にラマ僧が数人いました。チベット初代王の宮殿を1982年に復元したものとのことです。お経をあげているようでしたが、何だか山小屋で囲炉裏を囲んでいる山男、という感じ、ちょっと色が黒いけれど、日本人にとても良く似ていると、このとき改めて感じました。外にはチベット独特の経文を書いた五色の旗が強風にはためいていました。なかなか神秘的。
山を降りて次はチベット最古の寺の一つと言われるタントゥク寺。新年なので初参りの人でごった返していましたが、そんな喧騒の中、羊が一頭・・・迷い羊でしょうか。寺の入り口には線香を置く大きな陶器の容器があり、煙でむせ返りそうでした。そういえばラサのジョカン寺の前にもありました。私達が供える線香とは桁違いのダイナミックさ。
中も人が一杯でした。文化大革命で破壊されたのを修理中ということですが、ポタラ宮殿を開放的にした感じでした。

昼食後はチベット歴代の王が眠る蔵王墓へ。21基あったらしい内17基が見つかっているとのことですが、どれが誰の墓なのか定かではなく、中国から嫁いで来た文成公主や、何人かの王墓などが推定されているだけです。またまた登るのが大変、山頂からの景色は最高ですが風も強く、参りました。





途中の景色


途中の人家
今日は新年なのでレストランも綺麗に飾り立てられています。
夕食は宮廷料理とかで、何とヤクの肉。ヤクの本物の頭蓋骨がお皿の真ん中に乗っていてギョ〜ッ!肉は硬くて「私には」あんまりおいしくはありませんでした。


2月19日(月)ツェタンからバスで約2時間かけてラサの空港へ向かいました。ラサの空港も近代的ですが、周りの商店街はまだ発展途上、チベット最後なので地ビールなどを探しましたが、たいしたものはありませんでした。
空港近くの食堂(とてもレストランとは言えない)での昼食は、濃いスープで様々な具を煮た一種の鍋物。チベットでの食事はマアあまり口には合いませんでした。

14:45 ラサ発 重慶経由で 18:25 広州着、空気が濃く暖かく感じました。この辺りの人たちとチベットの人たちでは、人生の緊張度が随分違うのだろうなと感じました。
ステキなホテル。折角の広州だからと外出した人もありましたが、私は海鮮料理の夕食後は部屋で休みました。

2月20日(火)
08:15 広州発 13:20 成田着。一生に一度の旅? でもラサはもう一度いいかな・・・。

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