イラン 2007.01.08 〜 15

画像に触ると説明が出ますtouch pictures for explanation

みんなの反対を無視してイランへ行ってきました。核開発、アメリカとの対立など、どんな恐ろしい所かと戦々恐々の出発でしたが、案に相違して平和な治安のよい、物資も豊富な国でした。韓国の高校生200人もが二週間のホームステイに出掛けるのに遭遇し、案外日本人は視野が狭く臆病なのではないかと感じました。

イランへ出掛けるにはビザが必要です。パスポートが10年有効となった現在、イランのビザも10年間付いて廻るので、それが嫌でイランへは行かない人もあるようです。ビザ代自体は7,750円でした。
何でもある国ですが、必需品はトイレットペーパー!!!、また女性は頭を覆う布が必要です。

訪問地は

テヘラン・サーダバート宮殿 
テヘラン・ガラスの博物館 
テヘラン・宝石博物館 
テヘラン・絨毯博物館 
シラーズ・エラムガーデン 
アリー・エブネ・ハムゼ廟 
ペルセポリス   
ヤズド・風葬所
ヤズド・ゾロアスター寺院
ヤズド
ヤズド・ジャーメモスク
キャラバンサライ
イスファファン
イスファファン・アルメニア教会
イスファファン・ジャーメモスク
イスファファン・ハシュト・ベヘシュト宮殿
イスファファン・ハージュー橋
イスファファン・イマーム広場
テヘラン
テヘラン・国立考古学博物館
というおのぼりさんコースです。

1月8日(月)
出発は定刻15:30。成田では各銀行の両替レートなどを比べて時間を潰す。同じ日のレートなのに成田でも随分違うのが不思議、この日のドルは一番安いのが三井住友銀行の121.40円、高いのは121.80円だった。イランでは米ドルが有効とのこと、アメリカとは断交状態でクレジットカードの決済も不可能というのに、不思議・・・。

出発丁度二時間前から受付開始。日本人にはイラン航空特製の綺麗なガイドブックが渡される。却ってイランが、日本でガイドブックも流通していない遠い国に思えてショック。
ゲートには乗客がほんのチラホラ、乗ってみたら内部はそれこそガラガラで、多分50人足らず、びっくり。経由地の韓国・仁川空港からは大勢乗ってくるとのことでしたが、これでは採算が合わんだろうと他人事ながら心配。月曜日発は韓国・仁川経由、木曜日発は北京経由、週二便の運行。
機内ではスカーフが必要と書いてあったので早速スカーフを着用。予想以上に鬱陶しい。
離陸すると間もなく、機内ではイラン人のおじさんたちが席を立って井戸端会議。井戸端会議は日本では女性の専売特許だが、外国では男の方が多いような気がする。
機内誌の表紙は英語だが中身は98%がアラビア文字で、せっかく絨毯特集があったが読めず。広告は何故か医療関係が多く、中でも植毛や入れ歯の広告では、傷跡がばっちり写った写真が満載で見るに耐えない。
仁川までの機内では軽食が出る。ごく普通のメニューでチーズはフランス製、コーラやファンタ、7−UP、日本茶も出るがアルコールは無し。

機内の運行ルート画面では、日本の地名としてイワキや前橋が表示され、日本とイランの関係が思われる。昔はイランの豊富なエネルギーに惹かれて日本から積極的にイラン人にビザ無しで来日を促したらしいが、怪しい人が沢山来てしまった事やアメリカとの関係もあって、現在は定期便が来ている事も不思議と思われる関係になってしまった。地図に記された成田の位置が大きくずれている。

仁川空港に着陸するとショックで酸素マスクが落下。
乗っていたイラン人の殆どは日本語が上手、その彼らに、飛行機の中はスカーフ要らないよ、と言われた。

仁川空港にはまだクリスマスの装飾が残っていた。韓国には「正月飾り」というのは無いのかも。
ロビーには韓国伝統工芸を短時間で体験出来るコーナーがあり、ボランティアが待機している。工芸品も飾られているコーナーには閲覧用の参考本も置かれており、日本にも欲しいコーナーだと思った。折り紙くらいどうでしょう。

韓国も私の苦手なトイレの国。空港は大丈夫だが、今度は押し間違えそうなトイレを発見。
水を流すには左上のボタンを押す。が、便器本体に大きな赤い矢印、これは非常ベルなのだけれど、つい押してしまいそうになった。

仁川からは予告どおり200人(以上?)の韓国高校生が乗ってきて、機内は一気に満員の大混雑。聞けばイランで二週間ホームステイするとのこと。大人の私が知人全員から警告をもらった日本との違いに驚く。イラン情勢を韓国ではどのように報道しているのだろう。

A toilet at Inchon Airport.The red arrow is for emergency
910,000Ris bills

札束!100ドル分
仁川離陸後、主食が出る。これもごく普通の食事でビーフまたはチキンを選ぶ。テヘラン空港へ着陸直前にはスナックが出た。プラスチックの箱にデニッシュ、ジュース、ピーナッツ、チョコが入っていた。

日本時間の朝4:40に着陸、5時間半の時差があるので現地時間では23時10分、外気は2℃。韓国の高校生も女性は一斉にスカーフを着用。
入国カードは不要になったらしい。

イスラムの風習を尊重するよう求める掲示板→
a sign board asking to respect Islamic customs
a sign of women's toilet 両替は米ドルから。一ドルが9,100レアルという超インフレ両替で50ドルもあれば充分と言われたが、次はいつ来るか分からないので買い物するだろうと100ドル取り替えた。ホメイニ師が描かれた一万レアル札91枚という「札束」になってしまった。(左上写真)
レートは公定らしいが、街中では高い安い様々らしい。
イスラム教は現在お祭りとか。空港はメッカ帰りと迎えの人で深夜にも拘らず大混雑。ガソリンが安いので車がとても多い、フランスのプジョーと韓国のプライドがほとんど、潰れたり汚れたりしている。

空港からホテルへ向かう道筋、まずアザディタワーを通過。シーア派のお祭りということで、テント型のネオンが美しい。
ホテルに着いたのはもうアシタ。入り口にはイスラム文化を尊重してヘジャブ(フカーフ)をして欲しいと書いてある。他の部分は凄く自由だったが、これはイラン人にも守られていた。派手なスカーフも多かったけれど。
一人参加の私、ホテルでの同室は台湾出身の林さん。高級ホテルらしいが、爆弾水道と、ちょっと怪しいトイレ、水の出方が心細い。
←ロビーのトイレには可愛いマーク。

1月9日(火)テヘラン
朝食は一部イラン風だが、まあ普通。アラブ国らしく甘い菓子パンのようなものが沢山出ている。

ホテルを出てまずは市郊外にある、王族の夏の離宮サーダバート宮殿へ。この後もつくづく感じたが、イランは並木道が美しい国。途中の庭園ではやはり、イラン男性お得意の井戸端会議、帰りに見ても全く作業が進んでいない感じだった。



左:宮殿内の並木道
上:パーレビー王朝の前、ガジャール王朝の宮殿


上:遠くには高い山々が見える。

宮殿の敷地内には沢山の建物が建っているが、まずは緑の宮殿と呼ばれるパーレビー王朝時代の建物へ。内部は一面の鏡モザイク張り、細かく切ったガラスが貼り付けてあって、輝いて見える。これはペルシャの得意技らしく、この後で行った色々なところで使われていた。

Sadabard Palace

緑の宮殿、外側が緑色


内部は鏡モザイク張り
full of mirror mosaic

光が乱反射して綺麗
bed room luxurious dining room

輝きすぎてとても眠れそうも無い寝室、超細工物のキャビネット、世界中の贅沢を集めた食堂・・・革命が起こるわけだ。他の場所でもっと凄いものも見たが。



白い宮殿前


右は「雪だるま」。イランの人気タレントの像らしい

次は「白い宮殿」と呼ばれる建物。革命で追放されたパーレビー国王夫妻が住んでいた場所というが、何の変哲も無い質素な建物・・・入れなかったので内部は分からないが。建物の前には革命時に倒された国王の像の残骸。現在は足だけが残っているが、それだけでもどれほど大きかったかが判る。

市内へ戻ってまずは「ガラスの博物館」へ。建物は85年ほど前のガジャール王朝時代の高官の迎賓館だったところとか、近代的な中にもとても品の良い落ち着いた佇まい、中にはガラスと陶器が飾られている。ガラスはいつ頃から作られていたのだろう、ビーズを繋げた「窓ガラス」などは随分古いもののようだし、シルクロードを通って古代日本の正倉院へ伝えられたというカットグラスと全く同じものもあった。
陶器の方は祭祀に使われるものが多いようだが、棟方志功を思わせる、アジアを強く感じさせる力強いデザインが多かった。青いトルコ石色の上薬のかかったものもあった。

antique windowpane

窓ガラス。筒状のガラスを棒に通して使う。


小さな瓶が一杯で、どれも美しい


博物館内の馬蹄形の階段


乳白色のガラスが綺麗


涙を入れるビンだそうな


モンゴル風の絵柄


↑名前にSの付く物を7つ入れる祭祀用の器

ここで初めて絵葉書を買ったが、大変リーゾナブル。とても綺麗な写真が16枚も入って値段は2ドル。今度の旅では絵葉書の美しさと共に値段の安さがとても印象的だった。写真はきちんとピントが合っていて印刷もとても綺麗。


食事の後は「テヘラン・宝石博物館」へ。銀行の金庫がそのまま博物館になっているが「超」厳重な警戒で、お金とパスポート以外の持ち込みは厳禁、展示物に余り近づくとベルが鳴り閉め込まれてしまうそうな。勿論写真も不可。



世界一大きいダイヤモンド


ルビーのブローチ


地球儀・陸はルビー、海はエメラルド
人の背丈ほどもある


蝋燭立て

なるほど、こんな贅沢がこの世にあったかというほどの豪華宝飾品の数々、世界一大きいダイヤなどは序の口で、全面宝石で覆われた巨大地球儀、重そうな王冠沢山、宝石で覆われた椅子、ブローチに蝋燭立てまで宝石で作られているうえに、未使用の宝石がお皿の上に色別に積んである!!! 山盛り。
ここは写真が撮れないので絵葉書は高い、と言っても50枚セットで5ドル、ばら売りは無い。カタログは1ドル、やはり安い。

次は絨毯博物館。通常中近東で絨毯屋と言うと「押し売り」が相場だが、絨毯博物館というここは商売無し。外観は織機(はたおりき)の枠をイメージした造り、入り口のホールで織っているところが見られ、内部は様々なペルシャ絨毯の展示。同じペルシャ絨毯でも地方色があるということで、作成された場所、品質の決め手である細かさ、時代などが解説されている。幾何学模様は遊牧民に特有のものだと言う。

carpet museum in the shape of loom
↑機織機を模した外観の博物館外観
dry fruits shop

ナッツと乾燥果物を売っている

かなり前のものなのだろう、アメリカに関するデザインの絨毯もある。世界中の有名人と建物、という模様では日本人と日本建築・・・どちらもとても日本とは思えなかったが。

絨毯博物館の近くの公園では小さな市が開かれていた。乾燥フルーツのお店を冷やかした。

今日は夜遅い便でシラーズへ移動だが時間が余ったので、ガイドから劇場へ行かないかとの誘い。
革命後イランは宗教色が強まり、女性がスカーフを着用しなければならなくなったのを始めとして結構締め付けが厳しくなったが、急先鋒のホメイニ師が亡くなってかなり経った今、ようやく演劇・舞踊の類が復活し始めているとのこと。

musical pamphlet

ちょっと意味不明、妖しい劇場の看板


空港ビルへの入り口・女性用

朝方行ったサーダバート宮殿のすぐ傍に、間口は小さいが思いがけないモダンな劇場がある。中は人の熱気で溢れかえるよう、この種の娯楽に皆飢えていたのだろう。
イランへ行く前にはスカーフも服も黒っぽく体全体を隠さなければいけないかと思っていたが、ここに来ている人は外で出合った人たちより更に服装が自由、色とりどりのスカーフが美しく、態度も溌剌としている。

ただ出し物は未だに保守から抜け切れていないか規制が厳しいのか、モラナという聖人の生涯を歌劇にしたもので、トルコのメブラーナを思わせる神がかった踊りが印象的。既にこういう分野で有名になっている人もいるらしく、花束を抱えたファンらしい人が沢山いた。



ボディチェック入り口・女性用
waterpipe

水たばこ
祭りの期間だからか、道路はネオンで美しく飾り立てられている。沢山の車の間を縫って空港へ。

イランでは空港への入り口が男女別々、ボディチェックはもっと先なので、入り口が別々なのは理由不明。

夕食は空港にある大衆食堂風の場所で。区切られた一角で「水たばこ」を楽しんでいる人がいるので写真を一枚撮らせてもらった。イランでもちょっと鋭い方の顔。


イラン航空のシンボル:聖鳥ホマ
Iranian toilet? シラーズ到着は夜中。ホテルには、珍しくトイレが二種類ある。
手前は普通の洋式便器、通称トルコトイレと呼ばれる向こう側の便器は、日本と同じようにしゃがんで使う。どうもこれがイランの標準トイレらしい。
壁際にある金属のホースで水を流すのだが、イランの人は紙を使わないのではないか・・・。
洋式トイレも紙が無いのが多かったが一応ペーパーホルダーは付いていた。トルコ式はそもそもペーパーホルダーが無かったから。日本から必携
扉を開けっ放しで用を足しているところも見てしまった。トイレに関しては随分おおらかだと感じたが、インドのように不潔ではない。田舎トイレも随分あって参ったが、イスラムは割りと綺麗好きという印象を受けた。
水量が少なくてヒヤヒヤした。トイレはかなり問題。

1月10日(水)

シラーズは普通にはペルセポリスなどの遺跡観光の基地と捉えられているようだが、美しい庭園の街。まず140年前のガジャール王朝風建築の建物があるエラムガーデンへ。春にはバラ園として有名らしいが季節はずれなので花はほとんど無い。バラと言えばブルガリアが有名だが、中近東はバラの生育に適しているのだろう、トルコもバラが特産、そしてここイランもバラ水などを売っている。近いから当然か・・・。

Bagh-E-Cram バルコニーの付いた宮殿、前に池があって、その先が緑、というのがガジャールの特徴的な建築洋式とか。宮殿の正面にはイランの歴史・伝説に基づいたタイル画が見える。
ここは糸杉も有名で素晴らしい並木道がある。その先の山の上にはシラーズ大学が遠望できる。

次はアリー・エブネ・ハムゼ廟。内部全体が鏡モザイクで眩い。

Ali Ebn Hamze Shrine

外側は割りと地味


門内の墓石
mirror mosaic

内部は総・鏡モザイク


ガラスがギッシリ
tomb

ハムゼ師のお墓、網目からお賽銭をこじ入れる


女性はカーテンのような布を被る


拝む時に頭をつける石、数珠とコーランの台
ハムゼという人は9世紀の聖人。
門を入ると石が敷き詰めてあるが、殆どが墓石。それを踏んで建物に入る。
カーテンのような大きな布を持ったオバサンが待っていて、女性はそれを被る。よく洗濯してあるらしく、ちょっと色褪せた細かい模様の普通の布。
外壁は地味な感じのモザイクタイルのモスクだが、入ってみると内部は鏡モザイクで埋め尽くされていて壮観。


右が布を貸してくれるオバサン。自分も被っている
その真ん中にハムゼ師の棺がある。壁に負けないくらいのキンキラ金の網に囲われているが、その隙間から皆が賽銭をこじ入れるという。
写真を撮りまくっていた私達も座って説明を聞く。イランのコーランはペルシャ語だが、お祈りの部分だけはアラビア語、木の台はコーランを置くもの、イスラム教にもお数珠がある。ピンクがかった石はモフルと呼ばれ、自然のシンボルとして礼拝の時にはこれに頭をつけて祈る。本来はイラクのカルバラで取れる聖なる石だが、普通に使われるのは素焼き、色々な形をしていてコインのように模様が浮き彫りになっている。大事なものらしいが沢山あるせいか、乱暴に山積みになっていたり、公園に置き忘れてあったり、あんまり大切にはされていない感じ。

しばらく車で走ってペルセポリスへ。シーズンオフとて駐車場には我々のバスのみ。真冬だが、今日は暖かく観光には絶好でラッキー。
Persepolis

ペルセポリス遠景


階段は10センチ程のピッチで上りやすい


王の道・遠くまで真っ直ぐ

ここは紀元前のペルシャ・アケメネス朝、ダリウス大王の新年の宮殿だった場所。新年の宴のためだけに作られたらしいが広大な敷地内に沢山の巨石が並んでいる。入り口から遠くへ真っ直ぐに伸びる「王の道」が印象的、バビロニアなどへ続いていたという。
正面入り口の特徴ある石々は、どこかで見た気がすると思ったら、ルーブルや大英博物館にもあった。
人面、有翼、獣の足の巨大な石像だ。人面が老人なのは「知恵」を表すという。



↑遺跡の正面・正面奥から王の道を望む→


大きな柱頭飾り
正月に宴が貼られた場所は大きな広場。謁見の間へ昇る階段の壁には「当時の全世界」から貢物を持ってはせ参じた23の国王がそれぞれに特徴を持って描かれている。一番遠い国はエチオピア、どうやって来たのだろう。


羊の貢物・トルコ人


駱駝の貢物・パルティア人


ワイン・アルメニア人

中心宮殿へ昇る階段の壁には数え切れないほどの人像が彫られており、これは全部ペルシャ人。階段には足が上がって登っている様子が描かれていて面白い。下りもあった。
下段真ん中の写真の下半分が黒光しているのは、28年前まではここまで土に埋まっていたからという。このレリーフは最上段に王が大きく描かれており、28人の人々が支えている。
遺跡の修復は現在も行われており、通りかかった時もグループで修理方法を研究している姿が見られた。
入り口の標識の最下段には魚の骨を包んで捨てる絵が描かれていた。魚はあまり見かけなかったが何故だ。

観光客が少ない今日はお目当ての土産物屋が閉まっていて、葉書も買えなかったのが残念。他の場所では殆ど買えない。



階段を昇っている


28年前までは下半分が地中に埋もれていた


修復中


はるか遠くに見える王墓。山の中腹にある。


↑イラン人ファミリーの旅行者・標識→


クセルクスTの宮殿からはるか
王墓(上の写真)を望む
遺跡のはるか遠くの山腹には岩を掘って作られた王墓が二つ見える。山の裏にもう一つ、ここには合計三基あるとのこと。

続いて、すぐ近くにある王墓群ナグシェ・ロスタムへ。
大きな山の岩壁にダリウスT、U、クセルクスなど、アケメネス歴代の4王の墓が並んでいる。岩壁に掘り込まれているところがちょっとエジプトのアブシンベル神殿を思わせる。ペルセポリスの遺跡からはるかに見た王墓と同じ造りで、高いところにあるので昔は木の階段が付いていたらしい。
Naghsh-E-Rostam

ナグシェ・ロスタムの、右ダリウスU墓


墓は紀元前アケメネス朝だが、レリーフは3世紀〜のササン朝のもの。
上はペルシャ・シャプール王とローマ・ワレリアヌス皇帝の戦い


3世紀のレリーフ・王とゾロアスター教女神の結婚式


四つある王墓の一番右端はクセルクス王の墓。

上段の真ん中の写真で王墓の形は、一番上段の図=左・王、右・聖火台、真ん中・ゾロアスター神、二段目=ペルセポリスと同じく王を支える28人の人像、三段目はペルセポリス宮殿を表している。
アケメネス朝は世界最古の宗教といわれるゾロアスター教が国教で、「火」「水」「空気」を汚す火葬、土葬、水葬はダメのため庶民は風葬だが、王だけは墓があったそうだ。

この王墓群の敷地内にはゾロアスター教の拝火神殿とされる2500年前のオリジナル建造物があるが、これが本当に拝火神殿だったかどうかは確認されていないらしい。

王墓の岩山もそうだが、もうこの辺りから木が殆ど無く、遠く近く険しい岩山が見える。  

昼食のあと暫くして、またまた広い並木道の先に見えるのは今度は最初のペルシャ王・アケメネス朝のキュロスU大王(紀元前550〜)の墓。言葉に表せないくらい巨大で、私の今回の旅で一番の感動。飛鳥の石舞台を思わせる素朴で偉大な石積み。



並木道の果て、山々に囲まれた広大な平原に
一つ立つ、キュロスUの墓
Tomb of Kyros U


灌漑設備のある私邸跡
この付近が初期のアケメネス朝の都があった地域で、当時は人口5,6万人、墓の周りにも沢山の建物があったらしい。

車で少し行くと見渡す限りの平地に謁見の間、控えの間が付いた宮殿、プライベートな館、展望台などが散在する。
東の宮殿とされる場所には有名な天使の彫像、天使に羽根があるのはゾロアスター教が起源なのだそう、角も生えている。頭上にはキュロス大王の魂とされるマンガの吹き出しのような物が乗っているが、上を向いて立つ三本のデザインは何故か魚だそう。→

私邸とされる場所には灌漑設備、遠くには展望台も。
Zoroastrian Angel

砂漠というか不毛の地というか、人も緑も見えない道々の途中、集落へ入る場所には検問所がある。治安が良いとは言え、7つもの国と陸地で国境を接するイランなので仕方が無いだろう。でも毎回名簿を厳重にチェックされたパキスタンなどに比べ、積荷の重量や中身が重視されるチェックは、この国が随分平安であることを印象づける。

夕方、砂漠都市ヤズドに到着。

1月11日(木)

Koran 海外のホテルの中にはベッドの傍に聖書や仏典が置いてある所が多いが、イランのホテルはコーラン。ちょっと悪いけれど開いて写真を撮らせて戴きました。←

ベッド脇の棚には可愛い袋に入った「モフル」→

天井にはお祈りの方向を示す矢印がどこのホテルでも付いていた。(下・左)
direction of Mecca
direction of Mecca

メッカを指す矢印が天井に
今日の観光の最初は「沈黙の塔」ゾロアスター教の墓場!

世界最古と言われる宗教ゾロアスター教では、聖なる火・水・空気を汚してはいけないとて、風葬が行われていた。
鳥達に食べさせるために高い山の頂に遺体を置く場所を作っていた、その場所を見学する。
ゾロアスター教徒は現在でもイランに3万人ほどおり、その大半がヤズドの町に住んでいるとのことで、風葬の場所も50年ほど前までは使われていたという。

現在は風葬は禁止になって、土葬とのこと。

盛んに使われていた時代には男性用と女性用の風葬所があったそうで、左の高い山が男性用、右と下左の低い山(同じ山)が女性用だった。信者の人口が減るにつれ、片側が閉鎖になり、最後は低い山だけだったという。
一帯は塀で囲われており、墓守もいる。鍵を開けてもらって中へ入ると、広い所に日干しレンガで造った建物が一杯。(下中央写真)


男性用風葬所
→右の建物が一番新しく、下左の建物は古くてほとんど崩れかけているが、死者を運んできた家族が滞在する宿舎とのこと、4家族が滞在できるようになっており、中には調理施設もあった。

女性用でもかなり急な坂を登って日干しレンガの囲いの中に入ると、中央に大きな穴が開いている。
その中に死体を並べ、大体一週間くらいで骨になるので、待機していた遺族がそれを持って帰る。
風葬というと何だか野蛮な気がしたが、すべて墓の係員がやってくれるので、遺族は日本の火葬と同じとのこと。


女性用風葬所


宿舎跡


墓域全景


風葬用の穴

山の上からは遠くにヤズドの町が見える。
降りていくと「ガナート」と呼ばれる貯水施設がある。
人が立っているのは入り口で、奥に見える円錐形のが貯水槽のカバー、両側に立っているのは空気抜きの煙突で「風の塔」と呼ばれ、ヤズド市内にも沢山見られた。
砂漠の真ん中の町なのでガナートは非常に大事、そして水が蒸れないように空気抜きも大切ということだ。

さて帰ろうかという頃、墓地域の鍵を持っていたオジサンがロバを連れて近づいて来た。
一緒に写真を撮るため。有料。


ガナート

次はゾロアスター寺院。正面のシンボルは様々なことを表している。一番下の三段の羽根は良い行い、良い話、良い考えというゾロアスター教の3つの教え、黄色い大きな輪は輪廻、小さな輪は神との約束、尻尾は悪い行い等々。
建物は新しいが内部には紀元470年から燃え続けている火。こんな神聖なものを写して良いのかしらン。

Zoroastrian Temple

ゾロアスター寺院
Zoroastrian Symbol

ゾロアスター教のシンボル
sacred fire

聖なる火

ヤズドの町は石の無い砂漠の真ん中なので、殆どが日干し煉瓦製。崩れそうな建物に本当に人が住んでいるのか? あちこちに風の塔が見られる。
途中通ったアミールチャクマーグ広場は15世紀に建てられた複合施設ということで、周りをモスクや病院などが囲んでいる。珍しかったのは「ナフル」と呼ばれる8.5mもある巨大な竹カゴのような物で、祭りの日には布や鏡で飾り、廻される日本のお御輿のような物という。



日干し煉瓦の建物と風の塔


真ん中のカゴのような物がナフル
Jame Mosque

イランで最も高いミナレット

車を降りて入ったジャーメモスクの外観は美しいタイル張り。塔はイランで一番高いらしい。15世紀頃のものというが、高いところまでタイルがぎっしりで表面は滑らか、どうやって積んだのだろう。余りに細かくてじっくり見る気を無くしそうだが、このタイルの模様も変遷があって、幾何学模様だったのが唐草模様に変わるのが、このモスクが建てられた400年ほど前のことらしい。



これは木彫り
このヤズドの町は「ヤズド焼」という焼き物が名物とのこと、そんなことは知らなかったがデザインが可愛くて小鉢を購入、4つで値段は1.5ドル、バチが当りそうだ。
街を出るとまたまた砂漠。反対車線ははるかに離れた場所を走っている。途中にはまた検問所が。


ナインの街
砂漠の中に銀色に光るモスク、昼食は絨毯の産地として有名なナイン。ここではヤズド焼の食器が出た。

食事の後はまたまた砂漠の中を走行、途中にはバルアバードというサファービ朝時代のキャラバンサライ、旅する商人隊が泊まった場所だ。

現在は使われていないので廃墟だが、昔の商人の中にはお宝を埋めて隠した人もあったということで、エジプトと同じく盗掘の跡があった。

幹線路に沿った立地を活かして近年、宿やレストランにしようという計画が持ち上がっているとのこと。屋上に上ると行き交うトラックのかなたに険しい山々が霞んで見える。


ヤズド焼

昔はもう少し人口が多かったということだが、建物の周りにはガナート、それを囲むようにして小さな集落がある。
墓地らしい墓石もあった。水の少ない地域なので、墓石の端に穴が穿ってあり水が溜まるようになっている。小鳥用だそうな。
建物の幾つかは放牧する家畜の収納場所ということで、この日も遊牧民なのか、少年が羊を連れて歩いていた。



キャラバン・サライの建物と、手前がガナート。


羊飼いの少年


周りはずっとこんな景色

砂漠の中を長時間走り、夕方ようやくイスファファン着。紀元前のパルティア朝、続くササン朝、400年前のサファービ朝と長くイランの首都だった場所で大都会、イランでは少ないスリ、カッパライなどが見られるので要注意と言われた。
色々な買い物もここで出来るが、通貨単位は「リアル」だけでなく、同じ札を使って10倍の「トマン」という単位が使われることもあり、騙されないよう注意があった。やっぱり大都会だ・・・。

この街には珍しく大きな川があり、美しい橋がいくつも架かって、それぞれ有名。夕食後には「橋の下!」にある喫茶店へお茶を飲みに行った。

橋はライトアップされていて、歩行者天国になっている。

信号を守る自動車がゼロという感じの道路を横断するのは恐ろしく、現地の人に隠れるようにして渡ったが、街中は夜でも全く危険を感じない、来る前の印象とは大違いだ。

ここもシーア派のお祭りなのか、町中が電飾で美しい。川にはスイス・レマン湖のような噴水が上がっており、それが様々な色に変わって、これも美しい。

喫茶店とはお茶の他、水タバコも売る店で、店の中は薄暗く、「濃い」男性が呼び込んでいるのでちょっと怖いが、水タバコは可愛い男の子が店番していた。イランはお茶の産地だからか、何かにつけお茶が出てくる。コーヒーはとても高価で、インスタントも高かったのが不思議。人々は甘党で、紅茶も日本的感覚からすると砂糖を入れ過ぎ、角砂糖や氷砂糖を口に含んで飲む人も多い。



お茶屋の少年


←水タバコ ↑吸うと、ここのはリンゴ風味。

1月12日(金)

イスラムでは今日が休日。お店の殆どが午前中は休み。
昨夜通ったスイー・オーセ橋、橋の名前の由来33のアーチが美しい。33はラッキーナンバーだとか。昨夜のお茶屋・チャイハーネーの椅子が見える。橋の上は常時歩行者天国だが、昨夜の賑わいは何処へやら、閑散としている。橋の脇は手すりの無い回廊で、ちょっと危険。禁酒国なので酔っ払って落ちることなんて無いのだ。橋を通って対岸へ。バスに乗って郊外へ。



朝は閑散としているチャイハーネー


閑散とした橋の上


手すりの無い橋の上
Minar Jonban ←最初は「揺れるミナレットの塔」ミナール・ジョンバン。700年前モンゴル支配時代の建物で、片方の塔を揺らすともう一方の塔も同時に揺れるということで有名。
毎正時に係員が右側の塔に登り揺らす。反対側の塔には鐘が付いていて、なるほど目で見ても分かるほどの揺れで鐘がなる。ちょっと不思議。
→そのすぐ先には丘の上にササン朝時代の拝火教神殿跡。日干し煉瓦が崩れて殆ど廃墟だが、沢山の人が登っていた。
Zoroastrian relic

再び街の近くへ戻ってきて、行き着いたのは「鳩の小屋」。鳩の糞のリンを肥料として利用するため昔は至る所にあった鳩小屋だが、街が段々近代化するにつれて取り払われてきた、その一つだけを記念として残してあるもの。薄暗い内部には今も鳩が沢山住んでいる。

dovecote for phosphate manure

鳩の小屋


塔の屋上

アルメニア教会。街の中央部から川を隔てた向かい側は昔のアルメニア人居住区。アルメニア人はサファービ朝時代の400年前に商才や勤勉さを見込んで北部から移住させた人たちで、アルメニア正教というキリスト教の一派を信仰している。スペインでもそうだったらしいが、意外なことにイスラムの人たちは、他の宗教を信じる人にイスラムを強要することは無いらしい。(結婚相手は別)
イスラム風のキリスト教建築で、ミフラブもあるがメッカではなくエルサレムを向いて建てられている。教会の内部は正教らしく、クレムリンなどに似た壁面一杯の濃いフレスコ画で埋め尽くされている。私達には知られていない画家の手になるものだが、最後の審判図などは迫力。室内装飾に花模様が多いのはアルメニア風という。
写真を撮りたいと思ったが撮影は禁止、絵葉書も内部では売っていなかったが、教会向かいの写真屋で内部の写真を売っていた。

inside the Armenian church

極彩色のアルメニア教会内部
doom

最後の審判図

庭にはクリスマスの飾りのようなものがあったが、これは「正月飾り」とのこと、でも同じなのだろう。
敷地内にはアルメニア博物館がある。重さ0.7gで14ページの世界最小の聖書、金髪に書かれた聖句、レンブラントが描いたアブラハム像など、結構見ものが多い。アブラハムは三大宗教イスラム、ユダヤ、キリスト教の共通の祖だって、知っていましたか?
博物館の正面には二人の人物像、片方はアルメニアのアルファベットを作った人、もう一人は16世紀に印刷機を発明した人とのこと。
この地区はイスラムではないのでガイドブックにはスカーフをしていない人を見かけるかもと書いてあったが、殆どの人はスカーフをしていた。写真を撮ろうとすると喜んで微笑む。



アルメニア版グーテンベルク→

中心地へ戻ってイスファファンで一番古いジャーメモスクへ。入り口付近はバザールになっていて、初めてここで、女性達が羽織っている長着を売っている店を見た。同じように見えるが、黒地に模様が入っていたり、透けていたりレース状だったり、藍染のような模様の入った薄色もあり、とてもおしゃれ。内側には真っ赤な服などを着ている人もあり、一概に「抑圧された女性」という表現は当らないと感じた。中東らしい香辛料店もバザール内には一杯。



女性用衣料品店


香辛料店


ジャーメモスク

モスクの内部はいかにも古く、イヴァンと呼ばれる開口部が4つあるササン朝イラン様式という建て方とのこと。中庭には四角い台がある。演台、舞台として使われる他、カーバ神殿に模してメッカへ巡礼する時の予行演習の場所としても使われるとのこと。





↑演台
石に彫った文字→

広場の奥にはチムール時代の「冬のモスク」があり、ここは窓の無い屋内、一面にカーペットが敷き詰められ今日は寒いので暖房が入れられていた。他に人がいなかったので靴を脱ぎ、座って礼拝のまね事、良いのかな〜。



冬のモスク
次は17世紀後半サファービ朝時代に建てられた宮殿ハシュト・ベヘシュト
八天宮という意味の宮殿は現在は木立に囲まれた公園になっているが昔のハーレムで、美しく彩色された部屋が沢山ある。
外部は動物を模ったタイルで飾られている。
Hasht Behesht Palace

ハシュト・ベヘシュト宮殿


動物のモザイクが有名

このハーレムの隣は王の母によって建てられた、神学校と高級商人が泊まるキャラバンサライ。王の母は神学校の財源確保の為にキャラバンサライを建てたとのことだが、先ほどのハーレムは床が荷馬車の高さにかさ上げされており、商人達からワイロやプレゼントが貰いやすく出来ているとのこと。そしてそのキャラバンサライが現在イスファファン一(イラン一)の高級ホテル、アッバシホテルだという。なるほど豪華〜。

この日は最後に絨毯屋に寄って解散。
夕方市内を散策したが、何しろ信号が少なく、車は自己主張が激しいので、道を渡るのが命がけ、ジロジロ見られたが治安は全く問題なしだった。



神学校のモスク
Abbasi Hotel

アッバシホテル

1月13日(土)
今日はイスラムに取っては平日。17世紀に建てられたハージュー橋へ。スイー・オーセ橋と同じく二層になっており、中央には王が夏に宴を張ったという風通しの良さそうなテラス。
橋自体は川の水量を調整する水門の役をしており、上流側は水がスムーズに流れるよう三角になっている。

Khaju bridge

王が宴を張ったテラス


二階建て


上流側

橋は上下段とも歩行可能だが下段は水門の一部のよう、ちょっと暗い。外壁はモザイクが美しい。橋のたもとにはライオン?像、跨ると幸運があるという。

under the bridge

橋の下段
mosaic on the bridge

モザイクが美しい
happy lion
川の上流には水鳥がいっぱい。茶色の乾燥したイメージが強いイランだが、豊かな水量は人の心にも大いに潤いを与えているようだ。

反対側の広場にはホメイニ師とハメネイ師の大きな肖像画。イランに来て不思議に思ったのは、偶像崇拝禁止で侵入した国々では像の顔を破壊し続けたイスラムの国なのに、至る所にこの二人の肖像画掲げられていること。他の人の写真などもあちこちにあった。
宗旨変えしたのか。

偶像崇拝?

いよいよ、世界第二の大きさを誇るというイマーム広場へ。なるほど広い。アッバス朝の宗教、政治、経済、娯楽の中心だったということで数々の建物に囲まれている。



噴水の後がイマームモスク


イマームモスクから広場を見る


シェイフ・ロトゥフォッラー

まず女性用のモスクだったというマスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーへ。王族だけが使用したとかで、呼び込むためのミナレットは無い。内部へは曲がりくねった回廊を進むが、その内壁もぎっしりモザイクで埋め尽くされている。



マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーモスク
入り口の両側はバザールへの通路




入り口の上部

中央のドーム内部もモザイクが豪華で感動したが、圧巻は天井の仕掛け。
ある方向に穴が開けてあるらしく、光が扇状に差し込んでくるが、その頂点に当るところに孔雀の上半身が彫られているので、全体が大きな光の尾を引いた孔雀像に見える。これはある方向からしか見えず、他の場所からだと光の尾も見えない、不思議。




↑回廊内部

天井の孔雀→
peacock on the ceiling

次はマスジェデ・イマームという大きなモスクと神学校。このイマーム広場の中心となるモスク。ゾロアスター教の名残として入り口中央に巨大な「水鉢」が置かれている。内部は近日中に行われる大集会の準備中で巨大なテント張りが作業中。
モザイクで飾られたモスクの中央に立って拍手をすると、鳴き龍もビックリの驚くような大きな音の反響、礼拝の声が聞こえやすいようにとのことだが、どの建物にも色々な工夫がしてあって面白い。

Imam Mosque

イマームモスク


ミナレットが美しい


記念撮影中失礼

次は広場で一番の高層建築、アーリー・ガープー宮殿。と言っても4階建て。
ここの建物の上り口では、隅で小声を出すと他のコーナーに聞こえる、というマジック、これも不思議。

広場に面したバルコニーは王族や賓客が広場で行われる競技などを見物した場所。壁面の陶器のモザイク、天井の木製モザイクが素晴らしい。また見下ろす広場の景色も。

wooden mosaic ceiling

木製のモザイク天井


室内のモザイク


注ぎ口が7つの急須

この広場の周りは大規模なバザールになっていて、民芸品から食料品、生活雑貨まで様々な物が売られている。
注ぎ口が7つもある急須、どうやって使うのでしょうね。

イランの民芸品・芸術品として案内されたのは細密画。ラクダの骨に細い細い筆で絵を描くのだが、新聞にも出ている巨匠。私は作品を気に入ったが、巨匠はどうも他にも沢山居るらしい。

次は更紗。こちらもNHKで放映されたとかで、表には日本語の看板、更紗の工房も至る所にある。
またブルーの七宝も名物で、これも巨匠やオリジナル工房が一杯。

miniature master

細密画の巨匠


NHKに出た!
calico master

更紗の巨匠
calico patterns

更紗のパターン

エマームモスクの前では日本人妻に遭遇。
何と何とパッケージ旅行で訪れた時、このモスク前でビビビと来たイラン人と結婚したとのこと、人生に何が起こるか分からない、を地で行くような人だ。
カーペット屋さんをしているご主人の店「空飛ぶ絨毯」でお茶を戴く。

エマーム広場は夜はライトアップされて、とても綺麗。写真は光源不足でブレてしまったが。

Sheik Lotfollah Mosque at night

エマーム広場夜景


エマーム広場夜景

この後、飛行機でテヘランへ向かう。
テヘラン空港はまたまたメッカ帰りの人が多く、真夜中なのに信じられないほどの混雑。何しろガソリン代が1リットル7円くらいとのことなので、お迎えが、ぼろ車だけれど数だけは物凄い。

1月14日(日)
いよいよ最後の日。午前中はフリーなので、街へ出てみる。来る前の噂とはまるで違って街中も危険は感じられない。歩道と車道の間には水が流れている。工事中の資材などが乱雑に置いてあるのはいただけないが、埃っぽいだけで不潔感は無い。間もなく、見違えるような美しい街になるだろう。物資も豊かで立派なスーパーもあり、お酒がノン・アルコールな以外、品数も充分で不自由は無さそう。
アメリカ系のクレジットカードは使えないとのことだが、どこの銀行のだかATMもあった。

grocery shop

雑貨屋
red pomegranates

右はザクロ
non-alcohol beer

ノン・アルコール・ビール
ATM

ATMもある

映画俳優は日本と美男子の定義が違うと感じる「濃い」男性ばかりだが、人気者もいるらしい。書店には仇(かたき)アメリカのクリントンの自伝も並んでいた。
男性の洋服店のディスプレイは独特で、マネキンがズラリと並ぶ様に、本当の人間かとビックリした。女性用の派手な水着もあったが、どこで使うのだろう。話によると、上に長い黒い服を着て泳ぐとのこと、それでは溺れてしまうでしょう。

movie theater

映画館
Clinton's book

クリントンの著作が書店に
men's wear shop

本物と間違えそう、ぎょっとなる紳士服店
ladies' swim wear

どこで着る?女性用水着

ウェディングドレスを売っている店も多かった。家族内では肌の露出もOKなのか、日本よりずっと大胆で派手。そういえば街行く女性達も黒い長着の下は凄く派手。前を通るのが恥ずかしいような強烈な下着屋もあった。しかも店番は全部オ・ト・コ。



ウェディングドレスの店が多い

超派手な下着店


かなり強烈・肉屋


香辛料店

旅行中、しつこい子供の物売りにも遭わず、乞食も一件だけしか見かけなかった。派手さは無いけれど相当豊かな日常だと感じられた。イスラムは互助精神に富むのか、町の至る所に募金箱が立っていた。これに番人も居ないところからも治安の良さが分かる。

Teheran street

テヘランの町並み


街角にもモザイクタイル


募金箱

イラン滞在の最後はテヘラン・国立考古学博物館。主要な展示物は現在日本滞在中で、ちょっと寂しい。けれど名だたる「ペルシャ」の遺物、見ものは充分。ハムラビ法典の書かれた石碑やダリウス大王像と言われる直立像。

archaeological museum

国立考古学博物館
Code of Hammurabi

ハムラビ法典
Darius

頭部の欠けたダリウス大王像

風格ある顔や、ペルセポリスで見た階段を上り下りする人物像もあるが、器などのデザインは案外可愛い。

いよいよ空港へ向かう。テヘランに着いた最初の晩に見たアザディタワーで最後の記念撮影。町を囲む雪山が美しい。成田に着く直前には、これも美しさでは負けない富士山、旅の終わりを実感。

着陸時には往路と同じく衝撃で酸素マスクが落下。

Azadi Tower

アザディタワー
snowy mountains

周りの雪山
Mt Fuji

日本の富士

イランの食材はとても豊富。世界的に有名なキャビアは流石に高すぎて手が出なかったが、店先には果物が溢れていた。ただ料理法が「私」の好みでなかったので、食欲を刺激されることは少なかった。それがイスラムの料理法なのだろう。豚肉はダメなので牛肉、はやはり高いみたい。羊肉が多く出た。鶏肉も少なく、魚はもっと少なかった。野菜は日本とほとんど同じ。毎食出たのが麦入りスープ、麦がそのままで、いつも柔らかい食材が多い日本人にはちょっと不向き。味はハンガリーのグラーシュのようにトマト味。



アーブ・グーシュト
boiled turnip

ゆでた蕪
plentiful fruits

豊富な果物


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