イタリア
14 - 24 March, 2006
友人と三人で早春のイタリアへ行ってきました。訪問先はボローニャ、シエナ、フィレンツェ、ピサ、ルッカ、ローマ、ポンペイ、再びローマです。
写真を押すと説明が出ます。
3月14日(火)
成田発は11:40、でもオーストリア航空はセッカチなのですね、物凄く早くから搭乗案内をしていました。
両替:同じ成田にある銀行でも、両替のレートは随分違います。そんなに沢山両替するわけではありませんが、1円も違うと10万円の両替でも一度の食事代くらいは出ます。隣同士でも平気で違うレートを表示しているので、へーッというところです。
急かされたせいか集合が早かったのでしょう、飛行機は定刻より早く出発しました。座席は2,4,2の配列。
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今回はオーストリア航空利用なのでまずはウィーンへ着陸、外にはまだ雪が積もっていました。帰りには買い物時間が無いのでザッとお店をチェック、でも何もかも高い! 何しろピンバッジが7.20ユーロ(約1000円)、普通は500円よ。ザッハートルテも高かったけれど、話の種に小さいのを一つ。
ボローニャまでの機内、コーヒー、紅茶、水だけがタダで、サンドウィッチやジュースも有料、座席前のポケットにメニューがありました。この先、航空運賃が安くなれば他の航空会社もこうなるらしい。おやつに出たモーツアリト・チョコがおいしかった。
今回の旅、直接フィレンツェ空港へ降りようと思っていたら何と4月まで工事中ということで、一番近いボローニャの空港へ到着。約10年ぶり。小さな空港だけれど次々と飛行機が降りてくる。空港から駅まではシャトルバスも出ているが、今晩のホテルは駅の傍ではないので空港からタクシーを利用。
ボローニャの旧市街はイタリアの古い町の例に漏れず塀に囲まれ、更に道が細く、タクシーは随分回り道。Hotel San Donato は小さいけれど四ツ星、いかにもヨーロッパの古いホテルという感じ。 |
3月15日(水)
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朝食が終わってベランダに出てみると・・・。なるほど、町の真ん中なのでボローニャのシンボル、二本の塔が目の前。その塔の周りはまさに古いイタリアの景色そのまま。並んで立っている二本の塔は、一方が傾いている。
ホテルを出て、まずその塔に登ろうと思ったら、時間は過ぎているのに閉まっていた。もしかしたら危険なので閉鎖になったか・・・、イタリアの古い塔にはありがち、なんて勝手に納得して、塔の横を抜けて街の中心街へ。実は係りが遅刻しただけだったらしい。 |
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ここの街も中心にあるのはマッジョーレ広場。市庁舎、大きな教会、観光局に囲まれている。
ここの観光局は自動車会社のPRセンターの如く、半分は真っ赤なフェラーリ・グッズで占められている。
市庁舎は13世紀、15世紀の建物の合体品。真ん中にあるブロンズ像はボローニャ出身の教皇グレゴリウス13世、16世紀にグレゴリウス暦を定めた人だ。向かって左上には有名な聖母子像があるが、ガイドブックの説明がイマイチ判り難く、あちこち聞きまわった。 |
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大きな教会はサン・ペトロニオ教会。ギリシャ出身だがボローニアを愛し、町の守護聖人になった5世紀の司教さんゆかりの教会だ。建物は正面の上半分は大理石の下地が丸出し。
入り口上部・タンパンの彫刻は古いガイドブックでは他の場所の装飾と説明があり笑ってしまった。これも有名な彫刻家の作品。
ボローニャはヨーロッパ最古の大学があることで有名、中でも医学部はキリスト教国最初の解剖が行われたことで知られ、その教室が公開されている。内部は思いがけない階段教室、よく見えるものね。
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天井まで木造の中にポツンと解剖台がある。壁には医学に貢献した偉人達の彫刻、正面の像は「皮を剥かれている」そうな。
館内には名門医学部へ集った各地からの裕福な人々の紋章が一杯、自己顕示欲も極まれりですが、夜見たら鬼気迫るものがあるのではないか・・・。ちょっと不気味な場所でした。
「地球の歩き方」には載っていないが、ここボローニャにはミケランジェロの彫刻があると聞いて観光案内所で問い合わせ、サン・ドメニコ教会へ。載っている本を持って来なかったので、ミケランジェロの作品がどれだか判らず、お祈りをしながら歩いていた坊さんに声を掛け案内していただく。 |
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ミケランジェロの作品は教会内部のサン・ドメニコ礼拝堂の聖ドメニクスの墓の装飾。向かって右側の燭台を持った天使像が最初の作品、上部の左に聖プロコロ、裏側に聖ペトロニオと三つの彫像がミケランジェロのもの。墓の後ろ側に何やら「聖遺物」らしい不気味なものがあったが、それが聖人の頭部を納めた場所らしい。
昼食の後、サント・ステファノ教会群へ。11〜13世紀に建てられたロマネスク、ビザンチン等さまざまな様式の教会が4つ集中している。
が、教会にも昼休みが!!! 閉まっているので仕方なく一度ホテルへ戻る。
ホテルへの帰り道、今度は斜塔は開いていました。傾きの少ない高い塔は498段で約100mの高さ、低い方は入れない。
スリッパを忘れた人がいるのでどこで買えるのか、家の中でも土足のイタリア人はスリッパを知らないだろうと、説明するのに四苦八苦。でも「お風呂の後で履くもの?」と理解してくれて、COINという小さなヨーカドー、のような店を教えてもらう。スリッパ以外にも下らんものを一杯買ってしまいました。
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2時になったので再びサント・ステファノ教会へ。ボローニャの町は他のイタリアの旧市街と同じく道が入り組んでいて、最初に行った時には地図を見ながら随分遠回りだったが、意外とホテルからは近い。
教会は2時過ぎても全然開かないと思ったら、待っている人と楽しく談笑しているのが扉係りの坊さん。
聖十字架教会から入り、サン・セボルクル(聖なる墓の意味)教会はエルサレムの聖墳墓教会を模した造りで聖ペテロニオの骨が納められた彼の墓。奥は11世紀の古い教会、庭はピラトの中庭と呼ばれ、回廊には古いチャペルも並んでいる。壁の古いモザイクが印象的。 |
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ホテルで荷物をもらって、タクシーでボローニャ駅へ。向こう側のホームだが、エレベーターも無いので、重い荷物を持って階段を上り下りしたが、ホームが低いので線路を渡ってよい場所が一ヶ所設けられていた、しまった。ここではホームにある列車の配置図も逆さで、座席指定特急が来てから大慌て、大汗をかいて乗車。
フィレンツェまで約1時間半、ホテルは駅からすぐでした。
ホテルのすぐ裏は駅名にもなっているサンタ・マリア・ノベラ教会、正面は茶色の石だけれど裏へ廻ると(実はこちらが正面?)トスカナ名物の白黒大理石製という、全く印象が違う驚きの教会だが、この日は時間が遅くパス。結局、滞在中一度も入れなかったのだが・・・。
夕食はシニョリア広場まで遠征。
3月16日(木)フィレンツェの目玉「ウフィッツィ美術館」は日本からも予約出来るということだったが、何しろノンビリ旅行の予定不定なので事前予約はせず、まずは行ってみることにする。
受付に「次の予約は明日の分から」と書いてあるので、明日の一番を予約(一人3ユーロ!)してから、今日はシエナへ行くことにして駅へ。 |
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シエナへは列車でも行けるが、イタリアの小さな町では何といってもバスが便利。フィレンツェ駅向かって左にあるバス・センターからバスで行くことにする。
出発すると30分ほどで右側に小高い山、アッ、モンテリッジョーニだ。何年か前にフィレンツェ近辺だけを旅した時、ゲーテが「トスカナの王冠」と形容した場所ということで行ってみたら、町のこちら側から向こう側の出口が見えてしまうほどの小さな集落で驚いたものだ。「王冠」と称されるように集落を囲む市壁が王冠のようにデコボコしている。中には有名なレストランもあるのだが、多分それも団体などは受け付けられないほど小さいのだろう。先年は観光が短時間で終わってしまったために、バスの運転手に頼んで近くの見所へ案内してもらった。山の麓にはブルグンド族の女王が建てたという古い教会があり、現在は有名なレストランになっている。若い日本人の見習いが二人もいたっけ。その後は再びバスに乗ってエルザの谷という所ヘ行き、豪快な崖の上に立つ由緒ある町を訪れたのも良い思い出、思いがけないおいしいレストランがあった。 |
そんな思い出に浸りながら走ること約2時間、シエナ着。
シエナではまず聖ドミニコ教会でシエナの聖女カトリーヌの「骸骨」とご対面。アヴィニヨンからローマへ戻るよう教皇を説得した聖人だが、骸骨のままとは、日本人にはちょっと理解し難い祭り方。
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シエナにはカトリーヌの生家もあるがパスして、大聖堂へ。トスカナ特産の白と黒の大理石で作られた素晴らしい大聖堂の正面はしかし残念、工事のためシートに覆われている。その代わりか、いつもは大部分がシートで覆われている内部の床が今日は公開されている。フィレンツェに対抗していた金持ち都市シエナは、その富を誇示すべく大聖堂の床を大理石の象嵌絵で埋めており、その絵の覆いが完全に取られるのは一年に一度、8月15日から9月15日だけということなので、まあある意味今日はラッキーか。 |
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次は「世界一美しい」と言う人もいるカンポ広場へ向かうが、途中「キジアーナ音楽院」へ。有名な音楽学校だが何年か前、今上陛下がイタリア訪問された折、美智子皇后陛下がご自身のピアノの先生を訪問されたことで話題になった。その折、シエナの町は名物行事パリオを開催して両陛下を歓迎したのも懐かしい思い出だ。
カンポ広場は開いた扇の形をしており、中央にある市庁舎の方へゆるく低く傾斜している。パリオの当日には広場に砂が蒔かれ、様々な旗を持った人がパレードした後には競馬場に変わる。広場を囲む建物のバルコニーで大勢の人が観戦する様子は中世さながら、一度は体験したい別世界だ。
私たちは市庁舎に隣接するマンジャの塔へ登る。人数(体重?)制限のあるこの塔は入り口に信号が付いていて、緑ならば上がって行ってOKだが、赤の場合は少し待たなければならない。今回は緑。 |
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続いて市庁舎・プブリコ宮殿内の美術館へ。シエナは金持ちだったのでシモーネ・マルティーニ等の有名な画家の手になる沢山の名作があるが、日本の団体旅行ではまず寄らない。他の観光客も余り来ないらしく、職員は不熱心。
途中でピノキオの人形などを買いながらバス停へ。再び同じバスでフィレンツェへ到着。
駅前のサンタ・マリア・ノベラ教会、ミサがあるとかで入れず、結局今回全くご縁がありませんでした。
代わりにと教会付属の薬屋を探したが、工事中とかで結局詳しくは分からず、違う薬局で湿布薬を買う。辞書を見ながら苦心して出してもらったのは何と「サロンパス」。イタリアで湿布薬と言えばすぐ出てくるとの事、HISAMITSU の進出力にびっくり。
3月17日(金)フィレンツェ:ウフィッツィの予約が取れているので、洗礼堂などをノンビリ観光しながら美術館へ。朝早いのでまだすいており、洗礼堂の天国の扉もゆっくり鑑賞できた。中は中で素晴らしいのだが、今日はウフィッツィがメインなのでパス。
ウフィッツィの中庭には、この美術館と縁の深い人物の像が並んでいる。ダヴィンチ、ミケランジェロ、ダンテ等の他、メジチ家の当主達も。普段はゆっくり見ることは出来ないが、予約はいいねぇ。
館内は撮影禁止だが、絵画が並んでいない、中庭に面したロビーだけはOK、ここからはアルノ川にかかるベッキオ橋、中庭の向こうには市庁舎ベッキオ宮殿が見える。
大体見終わったところで丁度レストランに辿り着くようになっている。ここで昼食。割と最近出来たものだが、美術館の屋上に設けられており、すいていてきれい。目の前に大きく市庁舎、まわりもいかにもトスカナの都市という雰囲気。
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食後は宝石店が並ぶベッキオ橋を通って対岸へ。全体の景色も見たいと言うことでタクシーでミケランジェロの丘へ。もう十年ほども前、この丘で催されたファッションショーに通行人役でお客さんと一緒に出演?したのが思い出される。日本のテレビでも放映されたらしい。
また街中へ戻って今度は花の大聖堂へ。塔を見れば登る私たちは早速ドーム入り口へ。登るのは大変だがドームの内部やステンドグラスが真近で見えたり、教会内の人々が信じられないほど小さく見えたりで楽しい。登りきったドームの外側は展望台になっており、フィレンツェの観光名所が一望に見える。 |
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教会内部に降りて一休みの後は、地下へ。イタリアの建物の殆どは地下にあるローマ時代の遺跡の上に建てられたもの、この教会も下に行くと美しいモザイクのある古代の建造物の跡が見られる。天井が低いが土産物屋もあり大繁盛。
お次はサンタクローチェ。ミケランジェロやダンテなどフィレンツェに縁のある有名人の墓が沢山ある由緒ある寺院だが、中心部からちょっと距離があるためか、それとも近くの革製品の店に注目を奪われてか、行く人は少ない。
内部にはジオットの有名な作品もある。
充実した一日、ちょっと疲れてホテルに戻りました。本日もサンタ・マリア・ノベラ教会、入れませんでした。
3月18日(土)ピサ
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今日は私のお勧めピサとルッカへ。フィレンツェ駅でピサ〜ルッカ〜フィレンツェの時刻表と切符を入手。本当はフィレンツェとピサの間にあるダ・ヴィンチ村にも寄りたいところだが、交通の便がイマイチなので今回はパス。
斜塔で知られるピサは青い芝生に白い美しい建物が映えてとても美しい所。駅からバスに乗ると、世界一小さいゴシック建築と言われるスピーナ教会の傍を通る。ピサの町は昔はフィレンツェと繁栄を競い合ったという東洋貿易で裕福だった町のひとつなので、斜塔近辺だけでなく街中にも由緒ある建物が沢山、でもとてもノンビリした雰囲気が何とも言えない。
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小さなアラブ人街 ? を通り抜けると門に着く。お定まりの場所で斜塔を支えるスタイルで写真を撮る人が一杯。去年の秋から斜塔に昇れるようになったので早速申し込み。15ユーロと異様に高い入場料だが、斜塔の維持に使うのだろう。
内部は、入り口付近でちょっと平衡感覚がおかしくなるが、その後は普通の塔と変わらない。快晴とは言えず海までは見えなかったが、真下に寺院の屋根、サッカー場等が見える。ここは時間制限があり、一人だけ長く居ることは出来ない。
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寺院と洗礼堂の入場券売り場が混んでいるのでびっくり、以前デモと間違えた人があるくらい、寺域内には常に人が溢れているのだから仕方が無い。
寺院の中は暗いが、何しろ大金持ちの町の大聖堂なので中は豪華。建物の外側は、東洋貿易の町らしく、一部東洋の影響が見られる独特のピサ式ゴシック。ここは地盤が弱いため、斜塔だけでなく大聖堂も洗礼堂も傾いているのが、そばに行くと良く分かる。
洗礼堂は丸い建物だが小さな尖塔が沢山立っていて、これもピサ式ゴシック建築。内部は音響効果が良いことで知られているが、二階に上がって手を叩いたら注意されてしまった。係員が叩いてくれることもあるのに、知らないのかしら。
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ピサ市民の墓地はキリストさんが処刑されたゴルゴダの丘から船で運んだ土で覆われている。かつては立派なものだったが、第二次大戦で徹底的に破壊され、現在はまさに残骸が残っている。ここにはフレスコ画の下絵に使われるシノーピエという赤い土の絵の具で描いた絵とフレスコ画だけを展示する美術館もあるが、本日は工事中。
駅に戻って昼食、電車に乗ってルッカへ。
ルッカは城壁というよりは土塁にぐるりと取り囲まれた町。ちょっと暗いというか濃い街だ。
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駅からの道を進み土塁の中を通って街中へ。大聖堂の前では骨董市が開かれている。
地図を頼りに迷路のような道を町の中心部にある聖ミケーレ教会へ。さっきの大聖堂もそうだが、ここの教会は上部が衝立のように教会の建物自体からせり出す独特の形をしている。こちらは最上部に聖ミカエルの像が立っており、かなり異様。古くて苔むしている感じ。
次は町の更に奥のサン・フレディアーノ教会。建物の前面がモザイクで出来ている。何年か前に来た時にはモザイクの右下が破損して悲惨な様子だったが、修理されたようだ。売っている絵葉書は破損したままなのが少々笑えるが。 |
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教会の斜め前にはローマ時代の遠景劇場跡に建てられた住宅街、観客席を利用して建てたので、広場を囲んで丸くなっている。
少々疲れた足を引きずってクイニージの塔へ。塔はどうも普通の人家の上に突き出しているらしく、階段は途中までは公共施設のように広い。上がってみると頂上は狭いが大きな木が生えている、ちょっと変わった塔。景色を堪能する。帰りはちょっと道に迷ったが、親切な人が案内所までエスコートしてくれた。案内所はまたまたローマ時代の遺跡を利用した建物。ここにはレンタサイクルもある。町内は平地だし、土塁をサイクリングするのもステキだ。
3月19日(日)午前中に電車に乗ってローマへ向かう。宿に荷物を置いて、まずは地下鉄でコロッセオへ。
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以前は気軽に入れたコロッセオだが、セキュリティチェックなどもあり、入場待ちは長蛇の列、でも根性で並ぶ。
中は現代の球場などとほとんど同じ造り、何千年も前の人の叡智に感心する。内部には以前は沢山の野良猫がいたのだが、猫は現在は外側だけ、数も少ない。
アリーナ部分、本来は板張りで上に土を置いたり、時には水を張ってプールとして使われたこともあるそうだが、木の部分は勿論崩壊して地下構造が丸出しになっている。歌舞伎座の奈落のようなものだったらしい。現在はサンプルとして一部が板張りになっている。
二階に上がったり、外の景色、ハドリアヌスの門やフォロ・ロマーノを眺めてから外へ。 |
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続いてフォロ・ロマーノへ。今日は曇天なので却って歩きやすい。まずはフォロ・ロマーノの全体が見渡せる丘の上へ。遠くにヴィットリオ・エマニュエレ2世記念堂やヴァチカンのドームまでが見える。
下に降り、昔の道を辿りながら昔の建物群を見学。シーザーの墓だの元老院などを見るが、どこも人が一杯。フォロ・ロマーノの最後の部分、高台の上の建物は、ローマ時代のものに継ぎ足して現在は市庁舎として使っている。
そして、その建物の裏側(本当はこちらが正面)が、ミケランジェロ設計で有名なカンピドリオ広場、地面に面白い模様が浮かび上がらせてある。 |
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3月20日(月)ヴァチカン入場の為に並ぶならば、一つ手前の地下鉄の駅が良いとは、そんなに並ぶの ? と信じられない思いで行ってみると、なるほど入り口が何処だか分からないほどの長蛇の列、中には並びながらパンを食べている人もいる。でも開場したら案外あっさりと中に入れた。
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オーディオガイドを借りたりトイレに行ったりの後、お目当ての郵便局へ。ここでしか売っていないヴァチカンの切手を貼って手紙を出す。ここで出せばスタンプもヴァチカン。昔はおつりに貰うコインもヴァチカン独特のものだったが、今回特別変わったコインは無かった。切手は新法王ベネディクトの他、人気のあった前法王のものもまだ売っていた。
さて美術館を見学。ストロボを使わなければ写真撮影も可らしいが、暗くてうまく写らない。大きな松ぼっくりのある広場で一休み。
次は古い地図の並んでいる回廊、天井もなかなかのものだ。美術館の中は床もモザイク。巨大な絵画、天井画などを通り、ようやくシスティナ礼拝堂へ辿り着く。
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内部は撮影禁止、おしゃべりも禁止だが、あまり守られていない。丁度一年前にはここで法王選挙が行われたのだ。有名なミケランジェロの壁画・最後の審判、聖書が題材の天井画の他、両側の壁にもぎっしり絵が描かれている。その中に人が一杯なので、人いきれでクタクタになったのだろう、両脇のベンチで眠っている人もいる。
その後も美術館の中にはお宝が一杯、古今の法王さまが金力と政治力で集めた沢山の美術品の他に、第二次大戦中には爆撃を警戒するイタリア中の美術品を預かってあげて、その大部分を返さなかったという噂もあるのだから、沢山あるわけだ。
夢中で見終わってみれば昼はとっくに過ぎている。カフェテリアで昼食の後、巨大螺旋階段を下りて、大聖堂の方へ向かう。 |
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おっと、途中で衛兵の交代を目撃。寺院にいる派手な衛兵と違ってこちらは非常にシック、さすがはイタリアでしょう。
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大聖堂に入るのは段々厳しくなる。今回は飛行場と同じようなゲートの中を潜るようになっているが、イタリアのこと、動いていない又は係員がいないゲートが多く、沢山並んでいる割には使っていないゲートが多いので、時間がかかる。
やっとゲートを潜って寺院に近づくと、またまた行列、今度は私達も行くドームへ登る列と前法王の墓所へ行く行列、大聖堂だけへ行く人はただ進むだけ。
前法王の墓所も相当混んでいたが、ドームへ登る列は数人ずつしか進まず、時間がかかる。切符窓口まで行くとエレベーターに乗るか階段を登るかを聞かれる、ここは勿論エレベーター。
エレベーターを降りるとドームの内側へ行く通路、まだまだ最頂部ではないのだが教会の床面を見下ろすと、恐ろしいほどの高さで、人が小さく見える。
ドームの頂上への道にはもうエスカレーターは無い。フィレンツェもそうだが、このような円形のドームは力を分散するために外屋根と内屋根の二重構造になっているとか、誰がそんなことを考えついたんでしょうねぇ。 |
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二つの壁の間に階段が設けられているのだが、細く、しかも傾いているので登るのが大変。後ろからは人が来るので渋滞させまいと登り続け、頂上近くでは疲れて息も絶え絶えな人も見られた。
でも登りきった頂上からの景色は素晴らしいの一語。よく絵葉書になっている広場もよく見える。法皇様のお部屋も見える。裏へ廻るとヴァチカン市国の小さな敷地、綺麗に手入れされた庭が箱庭のよう。
再びエスカレーターの階まで降りて、広場に面して立つと沢山の大きな聖人像が見える。 |
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大聖堂のフロアは人が大勢歩いていて、夕方の商店街のよう。写真もストロボOKだが、暗い。油絵のように見えるが、大聖堂の中の絵画は全てモザイク、巨大さに驚く。大理石の彫刻も大きい。昔の法王様のミイラもいくつかガラスのケースに入って置かれている。
入り口を入ってすぐ右にはミケランジェロの名作ピエタ。だれかが悪さをしたとかで、いつの間にかガラスケースに入ってしまい、写真を撮ると光ってしまう。
奥には、寺院のご本尊聖ペトロの座像があるが、足に触ると幸福になれるとかで回りは凄い人だかり、長い年月を経た足は触られてピカピカに輝いている。
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少々疲れた。外に出ると衛兵、さっき見た衛兵に比べ随分派手な服。どちらもスイス人の傭兵で、教養もさることながら長身・ハンサムと外見も大きな選考基準とか。広場には沢山の椅子が並べてある、明日は何か行事があるのかも。広場の真ん中に背の高いオベリスクが立っているが、大聖堂のドームは、これより高いとの事。
ゆっくり見たのでヴァチカンで一日潰れてしまった。この後、明日のポンペイ観光の申し込みに、ローマの街をさまよい歩きました。
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3月21日(火)ホテルが駅の傍なので集合は簡単。今日は観光バスに乗ってナポリ・ポンペイ観光へ。
途中の道は丁度日本の春と同じ、桃の花と菜の花の色の組み合わせが美しい。はるかに見えるのは古代ローマ帝国のアッピア街道。
ナポリ近くにはヴェルサイユを真似て建造されたというカゼルタ宮殿、バスからは殆ど見えない。
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ナポリの港でカプリ島へ行く人とお別れ。今日は青の洞窟に入れるでしょうか。
私たちはそのままポンペイへ向かう。右手にはカプリ島、左手にはヴェスビオ山が見えてくる。溶岩を削って高速道路の壁にしている場所もある、これってヴェスビオの溶岩でしょうか。
ポンペイは好天でも暑くはなく観光には絶好でした。広場から泉、居酒屋、パン屋、娼館、豪邸、浴場などを見物、今と遜色ない文化生活を送っていたらしい昔の人の工夫の数々に感心するばかり。 |
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再びナポリへ戻りカプリ島の人たちと合流、青の洞窟にも入れたそうで皆満足そう。ナポリ名物の洗濯物の傍を通り、簡単な市内観光。艦砲射撃の後が残るヌオヴォ城の近くは工事中、覗いてみたらやはりというか、またまた古代ローマの遺跡が出てきて苦戦している様子だ。駐車場を作ろうにも地下鉄を作ろうにも、掘れば必ず出て来てしまう遺跡に都市整備は遅々として進まないのだそうな。
ヴェスビオ山が遠くに見える海岸で写真ストップの後ローマへ向かう。途中にはモンテカッシノ修道院が山頂に見える。第二次大戦の激戦地で徹底的に破壊されたそうだが、巡礼地でもあるので戦後再建されたとの事、公共バスで行く術はないらしいので、遠景で済ませる。ローマ近く、日没が綺麗だった。 |
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3月22日(水)ローマ最後の日は、市内を廻っている観光バスで観光三昧と決定。まずは歩いて駅近くのサンタマリアマッジョーレ教会へ。
ここはローマの信仰の発祥の地とも言える場所で、ローマの教会の中では由緒深く駅にも近い割には、日本人には知られていない。今日は韓国から大団体が来て、聖遺物を前に礼拝をしていた。
左手のチャペルには、真夏に雪が降るというマリア様のお告げに基づいて建てられた教会の由緒を示す、雪の図が額に入れて飾られている。
教会の前には店開き前のアイスクリーム屋の自動車が停まっていた。その傍に市内巡りの観光バスがいたので、ついウッカリ乗ってしまったが、これは目的のバスとは違い、経路が違うのでちょっと慌てた。
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ローマ市内循環バスは何種類もあり、経路やスケジュールが少しづつ違っている。間違えて乗ったバスはテベレ川沿いの病院やローマ時代の橋の傍を通り、それはそれで良かったのだが、夕方早く終わってしまうとのことで、夜景も見る予定の私たちは一周したところで降りて、二重払いになったが別のバスに乗り換え。
ヴェネチア広場、カンピドリオ広場、マッシモ劇場、シーザー暗殺現場、サンタンジェロ城、サンピエトロ広場は何か行事らしく法王さまの出御を待つ人が一杯、コロッセオ、チェルコマッシモ、カヴール像、ポポロ広場、途中で降りてトレビの泉、スペイン広場、首相府、パンテオン、一度ホテルへ戻って一休みの後、降り出した雨にも負けず、再度バスへ。 |
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ヴァチカンの夜景が感動的でした。
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3月23日(木)ローマ駅からも空港直通電車が出るようになったが、新しく駅に継ぎ足したようなホームなので、入り口から遠いこと、10分以上歩いてやっと到着、まあ階段が無いから良いようなものだけれど。
飛び立った飛行機からはローマ近郊の海岸線がはっきり、海上の潮目までが見える。やがて欧州本土へかかると、オーストリーまでは雪を被った山々、アルプスだ。 |
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3月24日(金)無事に成田着。 |
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