| 二度と行かないと決めていた東南アジアなのに、「アンコールワット」の魅力に惹かれて、ついついお誘いに乗ってしまいました。
その結果は・・・、人々の余りにも悲惨な生活環境が目に焼き付いて、やはり後悔しています。 今回の旅は、カンボジア航空を一機借りきった、ある会社の研修旅行でした。 その「カンボジア航空」というのが随分気になりましたが、私のお客様の中にも行ってみたいという人が多いカンボジア、後学のためにと申し込んだのです。 改めてガイドブックの注意書きを読んでみると、結構怖い国・・・。ポルポトで有名な内戦のお陰で国中のエリートが殺されたことは広く知られていますが、お医者さんもほとんど殺されてしまったため、東南アジアの中でも医療水準は極端な低さ、そしてマラリアをはじめとする恐ろしい病気を媒介する蚊、その他の害虫やバイ菌には事欠かない国、いったん病気になると、現地の病院ではほとんど対処出来ないと書いてあるではありませんか !!! でもまあ、またとないチャンスでもあります。エィッ !!! 虫さされの薬と大量の生水を持って出発。 |
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成田では有力でない航空会社の駐機場はターミナルから遠いと相場が決まっているので、バスで随分行くのかと思ったら案外な近さ。カンボジア航空と大きく書いてあるけれど、ちょっとタイの色合いが濃いようです。
機内は左右三席づつで約40列、つまり240人ほどの人数ですが座席の間隔の狭いこと、座るとひざ頭がほとんど前の席についてしまうので、通路側以外はトイレに行くのが大変、特に窓際の人はドン詰まり状態で身動きもならず、これは悪評。万一事故にでもなったらどうするのかと、ちょっと心配でした。 最初から機内食はカンボジア料理かしらと半分は恐れていたら、意外や「幕の内弁当」でした。乗務員は全員現地の人で、機内放送はおぼつかない日本語、お給仕の人達も決まった話しか通じず。機長さんは西洋人でした。 飛行時間6時間余、到着したプノンペン空港は周りに赤土が丸出しの、でも建物などは立派な空港でした。 私は様子が分からなかったのでカンボジアのビザを日本で取りましたが、現地空港でも取る事が出来るとのこと、空港建物内で最初に行き着く場所がビザオフィスです。そこで書類に記入してお金を払えばOK、他の人が入国審査で並んで滞っている間に取れるので、今の所はこれでも問題無いでしょう。突然規則が変わる、という恐怖はありますが。 入国審査は「最近コンピューターを導入したので時間がかかるのをご諒承下さい」とブースに張り紙がしてありましたが、全くの手作業が行われていること、更にその確認をコンピューターでしているらしいことが、超スローモーな進み具合で分かりました。 |
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まず王宮へ。入場料の他、ビデオ、写真を撮る人は別料金、それでも撮って良いのは庭ばかりで、王宮の中を撮ってはいけない・・・、ヘン。
即位殿と呼ばれる建物には、シアヌーク殿下が幼くして即位した時に使われた椅子がそのまま保存されています。内部は式典などに現在も使われているとのこと。殿下は今どこにと聞くと、ガイドさんは病気療養のため北京と答えたけれど、アンコールのガイドさんはプノンペンの王宮と言ってました。まあ皆、余り関心を持っていないということでしょう。
建物は仏教風と説明がありましたが日本とは随分違い、柱を支えているのは「ガルーダ」という神様の像。インドネシア航空のニックネームもガルーダなので同じ神様らしいけれど、男神と女神があることをはじめて知りました。
即位殿の隣は宝庫。歴代王の遺物、衣装が飾られています。ちょっと中国風? カンボジア女性の色鮮やかな盛装も飾られていますが、面白いことに曜日によって色が違うとのこと。いつ頃から七曜を使うようになったのでしょうか。インドのサリーよりは随分厚手だが、長い布を巻きつけ銀の装飾ベルトで押さえてモンペのようなズボンにするのを、何人かが実際に着せてもらいました。
そんな建物群の中に一つだけフランス風の建物、ナポレオン三世の王妃からの贈り物とか。フランスの植民地だったことは知っていましたが、侵入してくる両隣の強国シャム(タイ)とベトナムの脅威から逃れるために、カンボジアの方からフランスへ接近していったようです。
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広い庭には大きな木が沢山あり、中の一本は「日本ではサイカチと呼ばれている」と説明がありましたが、初めて見るものでした。
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続いて隣にある「銀寺」へ。庭の周りを囲う壁(塀の内側)には壁画が一杯。これは「ラーマーヤナ」を題材にしたもの、ということはヒンズー教? カンボジアの歴代王朝は様々な宗教を信仰してきたとのことで、アンコール遺跡にも様々な様式が知られていますが、どれにも詳しくないので、この後も混乱。 まずは「図書館」と呼ばれる建物へ。ガイドブックの記述に較べると随分規模が小さく感じますが、中には木の葉に書かれた仏典があります。「木の葉」とはいえ、もう何百年も前の物だとのこと、信じられない気持ちで触らせてもらいました。 部屋の中央には聖牛ナンディの像。私達の、敬意を払わぬお参り?は却って失礼かも。 |
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次はプノンペン発祥の地とも言えるワットプノン寺へ。先が細くなった屋根のこの寺はビルマ式だそうです。寺は石段を登った丘の上にあるのですが下の公園には象も見られ、バスを降りる前は期待したのですが・・・、もの凄い勢いで駆け寄る物乞い、物売りに辟易。
カンボジアは長く続いた内戦と放置された地雷、戦後の国内の混乱から、身障者が非常に多い国。私が子供の頃、街頭で物乞いする姿を見かけた日本の傷痍軍人は傷を大きな包帯で包んでいましたが、暑いためかここでは切断された肢や腕がほぼ剥き出しのまま。病気が原因なのか、手や足が信じられない方向に曲がったままの人も多く、それらの人々が、金持ち観光客の到来とばかりにどっと寄ってくるのです。目のやり場に困りながら早々に階段を上ると、その途中にも。 寺に入ってほっとしながら内部を拝観。黄金の仏像を始め沢山の像が安置され、そのそれぞれには様々なお供物が供えられていますが、そのお供物の色鮮やかなこと。寺の内部は仏陀の生涯を描いた壁画で飾られていますが、内部の雰囲気は、私が知っている少々寂れた京都の寺を思い起こさせるものでした。 寺院の裏手に行くと、寺の創始者? ペン夫人の像。極彩色の像にはこれまた極彩色の衣装やアクセサリーが掛けられており、インドのお寺・仏像を思い出させます。 再び降りた下の公園には、今度は物売り。如露の先のような形の「ハス」の実を売っており、食べられるのだそうです。 |
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四面に仏頭を戴いた南大門を通り、中央部のバイヨン寺院へ。
ゴシック建築のように大きな空間を支える工夫がされていないために、寺院内部は狭い空間に分かれており、レリーフで埋まった回廊も狭く、屋根・天井もほとんど落ちています。デコボコの床と階段に気を取られながら進むと、いつの間にやら頂上と思しき場所へ到達、右も左も、目の届く限りの場所に仏頭(観世音菩薩だそうな)が見られる不思議な空間。 周りの象のテラス、ライ王のテラスなどを見学、ギッシリ彫られた壁面の彫刻は見事なまま残されていますが、テラス上は彫刻類がほとんど原型を留めないほどに摩滅?していて悲惨。 写真も沢山撮りましたが、ガイドブックの立派な写真を見てしまった目には、少々見劣りがするかも。 |
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遺跡への参道を辿ると、距離によって塔の数が違って見えるとのこと。その仕掛けの基になっている西塔門を越えると、塀の内部はなだらかな芝生。左右に壊れかかった経蔵。参道は半分がきれいになって歩きやすいが、後の半分は放置されているように見えます。が、綺麗にしてみたら思いがけず水はけが悪く、昔の人の知恵を思い知らされて左半分は直さないことにしたとか、修復は修理か復元かという難しさでしょう。 |
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宿に帰ると「ヤモリ」のお出迎え。超高級ホテルにも居たし、昼間レストランにも沢山いました。 |
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5月7日(金)昨日は日没観光、今朝は日の出を見るということで、早朝アンコ−ルワットへ。懐中電灯が必要な暗さだからさすがに土産物売りは少ないが、観光客は沢山、西塔門の内側にはもう座る場所も少ないくらい。座ってはいけない遺跡の石の破片もあるらしいが、既に座っている人のマネをして散らばっている石の上に座る。こういう時に気になる犬のフン、カンボジアには犬が少なくて、フンも少ない。人間だって生きていくのが大変なのだから飼い犬という余裕は無く、ノラ犬も食糧が少ないので数は少ないとのこと。
生憎お天気がイマイチで、日の出は見えませんでしたが、古代を感じさせる静寂の中で遺跡を眺められたのは良かったと思いました。 ホテルへ戻って朝食。隣がオールドマーケットということで、朝食をそこで食べた、と言う人もありましたが、好奇心旺盛な私も、そこまでの勇気は無し。食後ホテルの向かいの公園を散策。睡蓮が美しい。川の向こう側は農家らしく、牛を使って耕作をしているのが見られます。 |
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今日は昨日の二大遺跡を取り囲むその他の遺跡観光。ほんの数年前までは銃を持ったゲリラが出現することもあったということですが、今は大丈夫のよう。
まずは東洋のモナリザと呼ばれる女神テヴァダーの浮き彫りが美しいバンテアスレイ遺跡へ。ここは彫刻が細かく鮮やかに残っており、巨大なアンコールワットやアンコールトムより私には印象的でした。建物全体が鎖で規制されており、眼目の女神像に近付くことは出来なくなっていました。 例の如く昼休みの後、今度はタ・プローム遺跡へ。ここはアンコール遺跡群が南方独特の樹木に破壊されてきた様子を展示すべく、遺跡が破壊されるままに保存されている場所で、なるほど樹木の力にただ感嘆。 映画の撮影にも使われた場所があり、皆は騒いでいました。 この後、未完成のまま放置されたためにアンコールの建築方法を見て取ることが出来るというタケウ遺跡、王の沐浴のための池(広大!!!!! この時期、水無し)とされるスラスラン遺跡を巡るのですが、それらへ行く途中にも右に左に多数の遺跡があり、西洋人の個人旅行者と思われる人達が三々五々、散策していました。また、こんな奥地にも集落があることに驚かされました。古代を知る人達か? 内戦の時はどうしていたのでしょう。 |
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5月8日(土)午前中はオプショナルでしたが、全員参加でトンレサップ湖へ。これは今回の旅一番の悲惨な体験になりました。 湖への道はシェムリアップの町から30分余のデコボコ。畑と荒地が入り混じった地域を走っていると途中に検問所があります。内戦が終わったとはいえ、人々の移動は未だに厳しく管理されているとのこと。何と言ってもタイやベトナムが陸続きで、しかもこちらの方が圧倒的に国力が弱いのですから、心中穏やかではないでしょう。 道沿いには細い木の枝に椰子の葉を葺いた小さな小屋が沢山並んでいます。雨季と乾季では面積が変わるトンレサップ湖ですから簡単に移築? 出来るようにと、文字通りの簡易住宅ですが、網代壁にペンキで書かれている文字は住所表示だそう、こんな所にも手紙が届くということでしょうか。家を支えている枝の余りの細さに、よくその上で安心して暮らせるものだと感心してしまいます。 所々に井戸が見えますが、これは外国の援助によって掘られたもので、やっと安定した水が確保できると言われていますが、日本人が飲めば即下痢という恐ろしい水、それでも頭などを洗っている人を見かけました。 |
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トンレサップ湖は雨季と乾季では湖の面積が何倍も違うとのこと、私たちが行った5月は乾季の最後で水が一番濃縮されている時期だったのでしょうが、それでも・・・。
写真で見た湖は一応「水色」をしていましたが、現実に見ると、この時期はまるでドブ。岸辺には沢山の掘っ立て小屋が建ち、大人も子供も物売りと物乞い。足元にはゴミが一杯。水辺の地面はぬかるんで黄色くなっています。そんな中に架けられた頼りない板橋を伝って船に乗り込む、この「水郷」で「クルーズ」だというのです。25ドル也。
真っ茶色の水しぶきを浴びながら戯れる子供たちを見て、まず胸が悪くなった所へ、乗った船のスクリューが舞い上げる泥水に、ホント、もう帰りたくなりました。ハンカチで即席マスクをしている人もいます。そんな水の上でボートに様々なものを乗せて売っています、勿論食料品も。しばらく行くと名物らしい「豚小屋」があります。水の上に浮いているのです。ということはフンは?、いや家畜だけでないでしょう、人間だってトイレは水上なのですから。湖面の殆どは赤潮に覆われています。観光客用に公衆トイレもありましたが、トイレの取材が趣味の私も恐れてパス。この湖で養殖? もうカンボジアでは絶対にナマズは食べない!
それでも、個々の人達は船の上で犬や猫を飼っている、自分固有のペットを持てるということは、いくらか生活水準が高いんだそうな!!!
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ほうほうのテイでシェムリアップに戻り昼食。午後はまずオールドマーケットへ行きました。と言っても、私に取ってはホテルの隣。何度か行った同じ店で値切りながら買い物です。
驚いたことに、同じ物の値段が2,3倍どころでない差。象模様の袋付きの可愛い箸セットは、立派な店構えの土産店ではここの六倍、椰子糖という黒砂糖に似たものは、ここでは5個で2ドル、土産物屋では一個3ドル、空港では一個1ドルでした。スカーフやテーブルクロスは、商売するのではと疑うほど沢山買った人もありました。とにかく安い。 食事に行った人がいるとはいえ、鳥インフルエンザが噂される今日、肉が置いてあるところは遠回り、あまりに残酷で正視に堪えないというのもありましたが、臭気が感じられないのがホントに不思議。 この後、安い土産だけでは・・・、と言う人達のために、NGO経営という少々高級な土産物店へ。高級、といっても他国に較べれば安いものですが、絹製品と銀製品が主に売られており、値切りは不可。品物はとても良いもので、皆さん、「自分用」といって買われていました。 |
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再度バスに乗って、最後の観光場所ロリュオス遺跡へ。アンコールより古い遺跡群とのことだが、それなりに傷みも激しい感じ。
まずはロレイへ。もう建物の態をなしていないが、四つの祠堂があり、その壁に彫られた金剛力士像が有名。境内には僧院があり、低くなった所で坊さんたちが水浴び? ヒンズー教だというが、仏教とどこが違うのだろう。 |
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次は聖なる牛を祭ったと言うプリア・コー。こちらも崩壊が甚だしく、聖なる牛も欠けている。
最後はバコン。花に囲まれた広い境内にはしつこい土産物売りもおらず、静かなもの。またまた急勾配の石段を登ると頂上近くには大きな象の像。こんな大きな像をどうやって乗せたのでしょう。 |
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