| 二日目:7月8日私は今回、明日からニューヨーク州北部の Finger
Lakes 地域へ行くお客さんのご案内のために、やって来ました。
それでフリータイムの今日第一の仕事は、日本から予約しておいた列車の切符の請け出し。ちょっと距離があったのですが、探訪も兼ねて、歩いて Pennsylvania Station へ行きました。 Pennsylvania Station 、通称ペン駅は、ニューヨークに二つある大きな駅の一つで、沢山の長距離列車の発着駅になっています。新しく出来たビルの中に組み込まれてしまったため、もう一つの中央駅(グランドセントラル)のヨーロッパ風の豪壮な外観には及ぶべくもありませんが、列車の行き先を見ていれば、フロリダを始めとする有名な地域の都市名が一杯、あ〜行きたくなってしまいます。 切符の発券器は、超簡単。日本からインターネット経由で予約してありましたが、その時に登録したクレジットカードを差し込むと、すぐに確認画面が出、二度ほどボタンを押すだけで切符が出てきます。予約時と違うカードを使うことも可能です。全部で7人分の往復、普通の大人とシニア(62歳以上)、往復でない人もありましたので、操作を何度も繰り返しました。 横を見ると、窓口は「群集」と言える位の人、予約は本当に便利です。 その後、ずっと前から、ニューヨーク発ハドソン河を北上するホテルバージ(船をホテルにして数日間移動するクルーズ旅行)を探していた私は、ペン駅にも観光局があったことを思い出し、行ってみました。 ここは小さな出張所で、期待したような資料はありませんでした。が、質問している私の視界の端に、サッと動く人の影・・・、帰ろうとする私を1人の男性が呼び止めました。 日本語勉強中、知人について日本語会話を勉強していると言う男性は、随分上手でしたが、フリー会話をする相手を探していたらしく、次から次へと話題を持ち出し、「まだ他に用事があるから」と私が切り出すスキを見つけたのは、何と一時間以上経ってから、立ちっぱなしだったので、彼と別れて外へ出たらクタクタでした。お陰でフリータイムの行程もメチャメチャ。 |
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外は暑く、私はこの日だけで真っ赤に日焼けしてしまいました。
今日の最初の予定はエリス島でしたので、とにかく南へ向かって歩き始めました。道を間違えたのか、中々地下鉄の入り口が見つからず、もうタクシーにしようかと思った頃、「NYPD」の印を付けた小さな車が目に入りました。 アメリカの車の大きさに圧倒されていた私には、昔のミゼットの前半分だけを切り取ったようなその姿が印象的、そして「NYPD」とはニューヨーク警察のことなのですね。 私の夫はアメリカ全州の州都訪問が夢で、中でも警察のロゴを集めるのが趣味ですから、この小さな車は良い土産話になるだろうと写真を撮ることにしました。 車の置いてあるところは警察の出張所風。そこにいた警官に写真を撮りたいと言うと、何のためだ、と勿論訊かれましたが、夫の趣味、と言うと、呆れた顔でOK。ついでに彼の写真も一枚。アメリカ人らしく、ちゃんと気取りました。 |
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カメラを仕舞って建物の角を曲がると、何やらビルの中らしからぬたたずまい。中には馬小屋がありました。ここは騎馬警官の駐屯所だったのです。
これは珍しい、こんな都会のど真ん中に、と中を覗いていると人が出てきました。小屋の写真をとらせて欲しいと言いましたら、待てと言って、わざわざ馬を一頭、ブースから出して連れてきてくれました。写真を撮った後には、鼻面を撫ぜてやってくれと言われ、思わぬ所でオウマさんと交歓会になりました。 |
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| 今回、自由の女神の中には入れませんでした。中には以前に入ったので、理由も聞かずに真っ直ぐオーディオガイドの所に行きました。
アメリカの独立を祝ってフランスから贈られた自由の女神像ですが、ここに建てられるまでには、当然のことながら様々な歴史があり、今回はオーディオガイドを借りたお陰で、設置されているプレート以上の詳しい説明を聞くことが出来ました。 女神像の土台の周りには、制作に関係した人々の像が並んでいます。 女神像の原型を制作したのはフランス・アルザス出身の彫刻家バルトルディー、冬のコルマールに彼の生家を訪ねた時にも、制作・移送にまつわる諸々が展示されていたのを思い出しました。原型はパリのセーヌ河に置かれています。 彼のほかにも、拡大した像の骨組みはエッフェルが制作したり、資金集めにはジャーナリストのピューリッツァが奔走など、両国挙げての大事業だったことが偲ばれます。 このように建造に直接関わった人達について以外にも、アメリカ独立のシンボルとしての女神の、スタイルや衣装、表情、立地に込められた意味など、女神の様々な来歴を聞くことが出来、オーディオガイドは思いがけない収穫でした。 |
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そのような感慨を胸に島から眺めるニューヨークの高層ビル群、独立のシンボルである静かな島から現代文明の最先端を見るのですから、アメリカの人々にとって、ひとしお愛しいものがあるのではないでしょうか。
エリス島行きのフェリーは20分毎に来ます。それ以外の船の発着は無いということで、切符のチェックはありませんが、半券は必ず最後まで所持しているように切符に書いてあります。 エリス島は移民の国アメリカの玄関とも言うところ、大きな施設ですが、考えようによっては、こんな小さな島からアメリカ全土へ人々が広がっていったというのも大変なことです。 旧大陸から移民して来る人たちは、まずエリス島に上陸し、ここで、現在の私たちが外国へ入国すると同じような検査を受けます。 と言っても、多種多様な国から全財産を持って家族全員で来ているのですから、荷物の管理、お金、伝染病、身元引受人、言語と、その処理は大変な手間だったと思われます。 写真を見ると、皆すごい格好です。風呂敷や柳行李のような物に入れられた大量の荷物が、検査を経て、よく本人の手元に渡ったものだと感心します。勿論、沢山の不正事件もありました。展示されているお金の種類だって大変なものです。そのころから為替交換レートってあったんですね。 伝染病に対する警戒も大変なものだったようで、なかでも眼病(トラコーマ)が恐れられていたようです。駐在している医師は、僅か数秒で病気を見分け、該当者を隔離したとの事ですが、建国間もない国に、そのような大勢の移民を整理しながら受け入れるシステムがよくあったものだと、驚きました。 先に移住している人たちが迎えに来た、というケースが多いようですが、すでに外国と音信がスムーズに交わされていたこと、迎えに来る交通手段など、私は島の外のことにも興味を抱きました。毎日押し寄せる新移民を迎え入れるために、このような施設を陸から離れた孤島に集中して作ったこと、医療施設や収容施設が作られていたことなどを見るにつけ、初期のアメリカ人の危機管理能力、事務処理能力に感心もしました。 オーディオガイドは滑らかな日本語で詳しく説明されますが、建物が広いのと説明事項が多いので時間が長くなり、私はクタクタになってしまいました。エリス島のフェリー乗り場にはニュージャージーからのフェリーも来ていました。乗り場からは自由の女神の横像が見えます。当時、移住してきた人たちには、新天地のシンボルとして勇気を与える存在であったことは勿論でしょうが、きりりとした清潔な姿に、現在でも刺激を受ける人は多いのではないかと感じました。 |
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| 午前中は国連へ行ってみました。今日は土曜なので会議は休みですが、土産物屋は開いているのです。
が、厳重なボディチェックを通って店に行っても、目当てのアメリカ地図付きのテーブルマットは見当たらず。土産物にも流行があるのでしょうか、店内の様相が前回来た時とすっかり変わっていました。 仕方なく、宿のオーナーに聞いた「国連ブランド」のチョコと、郵便局で記念切手を買って外へ出ました。 |
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宿への復路、宝石店街を通りましたが、ここは休みのためゴーストタウン状態。外国の繁華街は週末はゴーストタウン状態の所が多いけれど、ニューヨークでもそうなのですね。やはり新教の国、ということでしょう。
途中の露店でお目当てのテーブルマットは手に入ったので、土産物一切合財を手に、セントラルパークが見える道を通って宿へ戻ることにしました。街中には観光局の小さなブースがあちこちに出ていて、おのぼりさんが不自由しないように、よく配慮されています。 日本の夏は涼しかったけれど、ニューヨークは暑くて、公園の池の周りには人が沢山いました。強い日差しが当って、涼んでいると言うよりは日向ぼっこに見えました。公園の入り口には何故か、ボリビアの独立の英雄の大きな立像、何かの記念日なのでしょうか、花が一杯飾ってありました。 向かいのホテルの前では、何やらカッコイイ兄さんが、CMの撮影でしょうか、車の上で喚いているところを撮影していました。外タレに弱い私には誰だか分かりませんでしたが、ちょっと素敵な人でした。 |
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宿に戻る途中、先日とは違う道をまたまた封鎖して、今度はフリーマーケットが開かれていました。 アメリカの蚤の市にはロクな物が無いので(よく、こんなものを出すねと思います)道を素通りしましたが、ここにも警官がパトロール、でも彼もとても楽しそうなのが良いですね。 ブロードウェイから5分も掛からない場所です。東京の何処ならこんなことが出来るかしらと思いながら、一度宿へ戻りました。 午後からはミュージカル。先日小耳に挟んだ「ジプシー」を見ることにしました。切符は案外簡単に買えたのですが、座席は超満員でした。以前ニューヨークでは別のミュージカルを見たことがあるのですが、その時の劇場より大分小さく感じました。同じ道には沢山の劇場があり、そのどれもが盛況とは、あんまり興味のない私にはちょっと驚異ですが。 ジプシーは有名なミュージカル女優ジプシーローズの母親の物語、娘を強引に売り出し、最後には娘に捨てられる様が描かれていますが、最初には、おしゃまを絵に描いたような、沢山の子役が出てきます。この辺りは言葉もよく聞き取れませんでした。 ママは登場から大拍手で迎えられます。ちょっと歌舞伎のように大向こうから声も掛かります。そんなことが自然に感じられる、割に小さい劇場でしたが、日本のように値段が高くないのが良いですね。観ている人が気取っていないのも。 終わって外に出てみると、隣の劇場との間の広場が、人で埋め尽くされて、犬・ネコの里親募集運動が繰り広げられていました。これまた、日本とはずいぶん違う雰囲気で、「私を養子にして」と書いたゼッケンを着けた大きな犬が歩き回っていたり、自分の犬や猫を連れてきてご対面させていたり、資金調達のために笑ってしまうような下らない物(高い)を売っていたり、芋の子状態で実に明るいので感心しました。 劇場からの帰り道、騎馬警官に沢山会いました。みんな親切。大都会ニューヨークの「ど真ん中」に「馬糞」(右写真の右下)が落ちている図、私は好きです。 今回の旅、ニューヨークの街中も案外田舎っぽい、というのが発見でした。 |
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