| 9月25日:成田から夜行便で出発。大きな飛行機が満員で驚きました。ちょうど春になるオーストラリアへ花を見に行く人が多いのですね。今まで関心を持っていなかった、旅行業者としての自分を反省 |
| 私たちの来訪の趣旨を告げると、担当者が午後なら会えるとのこと、予約。
さっき歩いているときに見た可愛いバスに乗りたいということで、観光局へ。二両編成のバスで市内観光。東海岸の大都市群とは随分離れているので、造幣局まで、殆ど一つの国と言えるほどの官庁が揃っている。 約束の時間に「Women's Policy Office」を訪問、オーストラリアでも女性の労働条件は良いとは言えず、その改良に努力している、と活動についての話を伺う。途中、連れの一人、建築家の木村さんが興味を持って研究している「collective house(弱者が弱点を補うべく共同生活をしている場所)」に話が及び、パースにもあるとのことで連絡先の電話番号を教えてもらう。 |
9月27日:オーストラリア名物、雄大な景色のピナクルズ一日観光に参加。遠いので、観光時間より移動時間の方が長い。
| 途中まず出くわしたのが、鶏を運ぶトラック。前からジャンジャン毛が降ってくる。沿道にはカンガルーなど野生動物の遺骸がゴロゴロしている。沢山いるらしい。夜行性なので、夜、車に轢かれるとのこと。
途中、綺麗な海岸線で昼食。インド洋。周りには初めて見る野生の草花が一杯。が、目的地に着かない内に昼食、帰りは何時ごろになるのか心配になる。 |
| やって来ましたピナクルズ。元は海中にあったという平らな地面が侵食されて出来た奇観。シェークスピアの顔だとか、教会、亀など色々な形になぞらえてあるが、風化でどんどん形が変わっていくらしい。
見渡す限りの砂漠の中で、先日行方不明になって一晩夜明かしをした日本人がいるらしい・・・。それは大変、とガイドにへばり付く。ここは、小型バスの方が中まで入れて有利。 |
色鮮やかな花々
9月28日:この日も遠距離観光。大陸横断鉄道の最初の駅が見えそう・・・。まずはヨークという開拓時代の町へ。イギリスからの移民が多いので、開拓時代のアメリカと全く同じ風景が見られる。
| 今日の目的地は Wave Rock と呼ばれる奇岩。雨水によって削られたとのこと、年数の長さが分かろうと言うもの。ガイドはここで生まれ育ち働いていると言う。砂漠の中の小さな町、観光客を除いて一生に出会う人間の数は私たちとどれほど違うのだろうか。
その後はアボリジニーの洞窟へ。壁に微かに彩色の後が見られる。 この日のバス、まさかとは思うが帰り道を間違えて迷った? 地図を見たり、「あ、この道だ」なんて助手と囁きあったり、到着は凄く遅れた。パースの駅の反対側には開拓時代を彷彿させるコロニアル・スタイルの素敵なホテルもあったが、行く時間無し。 |
9月29日:二日間の長距離観光の途中にも何度もあちこち電話を掛けて、やっと「collective
house」を見学出来ることになった。
車社会なので案じていたが意外と便利な鉄道。頻繁に出る電車に乗って約20分で港町フリーマントルへ。貿易会社OL時代にいつも荷送りしていた懐かしい名前だ。
駅まで車で迎えに来てもらって初めて「collective
house」へ。ここも花が一杯。
| 広い敷地に戸建てが数十軒。案内してくれた人は若くて、とても弱者には見えないが、仕事が少なくて収入が非常に少ないとのこと。ちょっと見られないオンボロ車に乗っていた。そういう弱者も居るらしい。失業率は高いとのこと。
他には、シングルマザー、老人、身障者なども居て、力仕事や庭仕事などは共同で作業をするとのこと。でも個別の庭もあり、日本から考えたら羨ましいような住宅事情だ。 パースには他にも「collective house」が数箇所あるとのことで、オンボロ車で案内してもらった。アパート形式のものもあったが、一ヶ所は新しいとかで、羨ましくなるようなステキな住宅群、やはり空き待ちが沢山居るとのこと。 |
午後は大陸横断鉄道に乗るためにパースに来た私たちのために西オーストラリアのBPWが歓迎会を開いてくれるとのこと、一度パースへ戻って、電車を乗り換えて反対方向のJoondalupへ。こちらの電車も頻繁に出るが超新しいらしくピカピカでひと気が少ない。
Joondalupの町自体、出来てわずか10年程とか。人口がパースに集中しないように、大学まで含めてすべての施設が街中に作られているとのこと。人口は少ないらしいが広大な町だ。
出発前何度もメールのやり取りをしていたDoreenの自宅は、大きい!凄い!
真近に見えるのはインド洋。プールサイドの庭にテントの屋根を張ったパーティー会場には既に沢山の人がいて、メンバーのダンナたちがバーベキューの手伝いに余念が無い。西オーストラリアのメンバーだけでなく、大陸横断鉄道に乗る各国のメンバーも。
Doreenの仕事場は、豪壮な自宅の玄関近くの一角、IT完備だがご主人は別の会社なので、一人で仕事をしているみたい。室内装飾の豪華さに感心していたら、他のメンバーが自分のオフィスも見て、と案内してくれた。同じく自宅兼オフィスだが、目の前は大きなゴルフ場。日本だったら「億」の単位の豪邸。デザイン事務所でご主人と従業員二人の計四人、複数の写真をIT合成処理したという大きな横長の写真(広大なオーストラリアにピッタリ)が何枚も壁に掛けられていた。
彼女の娘はちょうど日本へ修学旅行中。日本の大企業の仲介で沢山の姉妹都市が結ばれ、出会ったメンバーの大半が日本語の単語を口にする。日本への関心、日本語熱にビックリした。
帰路はパースに住んでいるというメンバーにホテルまで送ってもらい、夜遅く合流した残り三名と、いよいよ明日はインディアンパシフィック乗車。大型タクシー(こちらでは「マキシ」と呼ばれる、日本のワゴン車)を頼む。
9月30日:朝、パース東駅へ向かう。
インディアンパシフィック乗車体験記は様々なホームページで紹介されているけれど、ここではもっと実質的なことを
・東駅は観光地図には殆ど載っていないけれど、タクシーで中央駅から10分以内。乗る人が多いのと、仕事がゆっくりなので、出発の30分くらい前には行くこと。
・チェックインカウンターは駅正面を入って左手。当日券売り場も一緒。予約券には色々な種類があるので、列に並ぶ前に確認すること。簡単なコピーでも座席番号が入っていればそのままでOK。予約がしてあれば並ばないで済むキップが多い。
・座席は一等のツイン、一等のシングル、二等、椅子席などがある。一等には四人部屋もある。私はシングルでも良かったのだが、シングルはシャワー・トイレが共用なのが難。当日売りもあるようだが、シーズンによっては満員とのこと、今回も一等ツインは満員だった。
・キップ売り場の右側が大きな荷物のチェックイン。自分の行く先を告げて預け、クレームタグ(受け取り)をもらう。車内へは手荷物だけを持ち込む。
・これで手続きは全部終了。後は乗るだけ。プラットフォームでしばし撮影会。
・駅には両替所・両替機などは無い。小さな売店がある。
| 車内ではクラス毎に車掌がいて、面倒を見てくれる。
・乗るとまず、食事の時間を訊きに来る。 ・・食堂車は全員が二回に分けて入るスペースになっているので、前・後どちらにするかを決める。 ・・乗車後すぐに食事になるような気がするが、「前」の方が時間的に余裕があると感じた。前・後は色分けした食券のようなもので区別するが、見せることは無かった。 |
| ・次に、車掌は室内の説明をする。 ・・私たちはツインの一等車。室内に付いているトイレ・シャワーの使い方。洗面台もトイレも壁面に収納されていて、使用時に出す。 ・・トイレは停車時に使わないこと、の他、使用「前」にも水を流す。うまく出来ているものだと感心するが、私にはちょっと抵抗あり。 ・・シャワーも付いているが、カーテンをしないとトイレがびしょ濡れになってしまう。試してみたがシャワーはとても快適。但しトイレとシャワー全部が畳1/3強くらいのスペースに入っているという狭さなので、太っているとキツイ。オーストラリア人や、沢山見られた英国系(イギリス、アメリカ、カナダ)の人たちは私たちよりよほど大柄なので、大変だろうと思われる。 ・・その向かいが二段ベッドで昼間はソファになっている。私は他の国でも寝台車に何度か乗ったが、ここが一番狭く感じた。二階は端に手すりも無いので、落ちないか心配。かなり高齢者が多い他国の乗客はどうしたのだろうと気になった。落ちるような間抜けは居ないのかな〜。 ・・室内には、歯ブラシ、石鹸などの入ったアメニティセット、綺麗な行程表などがあるが、夫婦連れを意識しているらしくアメニティセット以外は一つしか無いので、もう一人分もらいに行く。そんな人は少ないらしく驚かれた。 |
| ・食堂車は約50席(X2)、つまり一等車の定員は約100人ということ。専門のコックさんが乗り込んでいるとかで、食事は豪華。前菜、主菜、デザートそれぞれにチョイスあり。周りの景色を楽しみ、同席の人たちとの会話を楽しみながら時間が過ぎていく。
・食後、ラウンジで寛いでいると突然ワインを配り始めた。Welcome drinkだという。ラウンジには小さな売店もあるが、商売っ気の無いこと、葉書だってほんの数枚しかない。CDは沿線の説明をする車内放送と同じとのこと。私は数少ない葉書と集めているピンバッジを購入。友達に手紙を、と思ったが、揺れる車内で書いたら、恥ずかしいようなミミズ字。 |
|
西部劇に出てくるような荒涼たる町の中に24時間作業の金鉱の灯りが異様にまぶしい。高台から金鉱の採掘現場を見下ろせる場所もあり、眼下にはトラックが沢山作業をしていた。金の含有量は1とか2パーセントというものだとか、運んでいるほとんどは岩石だが、それでも採算が合うということらしい。
・砂漠の真中の駅だが、数日に一回しか通らない列車に敬意を表して?売店が開いていた。金鉱の写真葉書を買う。 ・歩いて観光した人もあったらしく、駅前に三々五々人が集まってくる。 |
| 10月1日:食事の時間の大分前に担当のSidが紅茶とクッキーを持って起こしに来る。
・朝食も何種類かから選ぶ。 ・列車は世界最長の直線距離を走っているらしいが、それにしては揺れる。相変わらず手紙を書くのは難しい。お茶を飲んだり、クッキーを食べたりしていると、「超」砂漠のまん真中の町 Cook に着く。 ・かつては栄えた町であった Cook 、今はこの Indian Pacific にすべての物資の補給を頼っている、人口数人の町。草が一本も生えていないゴルフコースがあるとのことだが、そんなものは見えなかった。ますます寂れていくのだろう。駅を囲んで土産物屋と廃校、新しい建物は列車乗務員の休憩所だ。夜だけでなく昼だって寂しいだろう。よくこんなところに住んでいられるものだと、精神力の強さに感心する。 |
| ・午後には通称「犬屋敷」のそばを通る。線路沿いとはいえ一軒家。ドーベルマンでも飼わなければ恐ろしくて住んでいられないだろう。それにしても何して暮らしているのやら。
・この日は夕食時、野生のカンガルーが沿線に跳ね回っているのを多数目撃。 ・明日はメルボルン行きの列車に乗り換えなので少々早起きになるらしい。 |
| ・車内は同じようで微妙に違う。乗車者に呉れるアメニティキットが再び置いてある。一つ足りない、とまた言いに行く。
・皆の話では食事は Indian Pacific の方がおいしいとのこと。私はなんでもおいしいので・・・。 ・食事時間は Indian Pacific のことを思い出して「早番」にして正解。メルボルンには夜着いたが、ゆっくり降りる仕度が出来た。 ・列車は何の挨拶も無く大幅に遅れて到着。駅には会議に参加する BPW のメンバーが沢山迎えに来てくれていたが、荷物がなかなか出てこない。出てきたら今度は乗客全員がわれ先に取り合って大混雑。手荷物があっては荷物に近づくことも出来ない。乗車時にもらった引換証を提示することも無し。これでは盗られても分からない、用心用心。 |
| 10月3日:会議の正式オープニングは明日ということで、今日は一日メルボルン市内観光。
・パースでばら撒いたので持参の名刺が足りなくなりそう、名刺の補充もせねばと中心部へ。 ・結局日本と同じく kinko's を見つけて、持参の名刺のコピーを作る。安い。 ・市の中心部は歩いて充分回れる。セントポール寺院、アボリジニー(原住民)の作品展示館など。造幣局跡にある金の博物館が興味深かった。 ・私たちの宿舎 Holiday Inn はヤラ河の岸にあり、対岸は最近開発されたオーストラリア版「お台場」。夕食はそこで行列の出来る店、シーフード料理。 ・レストラン街の岸辺には大きな柱状のものが沢山立っており、一時間毎にそこから大きな火柱が立つ。遠くから見るぶんには綺麗だろうが、食事をしている方に取っては熱くてびっくり。 ・この日は、目の前で食い逃げの逮捕劇という見ものもあった。 |
| 10月4日:午前中は会議会場内の偵察。様々な国の物品も売っている。こういう国の人たちは何人くらいで来ているのだろう。事前に何の打ち合わせも無かった日本と較べてしまう。
・午後は開会式。オーストラリア独特のアボリジニーの踊りで始まる。が、文明社会にどっぷり浸かって、先祖の文化を見世物にするような、こういう出し物には抵抗を覚える。普段は私たちと同じ生活をしているのだし、それは白人による迫害、土着伝統の軽視の結果なのだから。 ・続いて、議員さんの挨拶。ジョークあり、ヤジありで面白い。 ・オーストラリア会長は、何と9人の子持ちで、しかも大学教授だとか。一見普通のオバサンに見えるところがすばらしい。 ・基調演説はオーストラリアでの大手化粧品販売会社の社長さん。こちらも普通の主婦からの出発と言う。こういう話こそ、若い人たちにも聞いて欲しいと思った。 ・式後はレセプション。大勢の人が来ていることを知った。 |
| ・まずは開拓時代、船でやっと辿り着いた人が多数遭難した悲劇の場所
Lock Ard Gorge へ。南極側から打ち寄せる激しい波。子供も連れて、こんなにまでして遠くへ辿り着いて定住した人々、同じ島国でも鎖国までした日本と、「そと」に対する考え方の違いを痛感する。
・続いて「12使徒」と呼ばれる海岸線の岩の奇観。波が激しいために一日中霧に包まれて、なるほど神秘的。陸の崖上にはヘビや大トカゲがウヨウヨ。 ・帰路の海岸線は宮崎の「鬼の洗濯板」状の連続。反対側は切り立った崖だが、海は案外遠浅らしく、昔の船は着岸がさぞ大変だっただろうと思う。自然のほとんどが手つかずで、広大に残っている。 |
| ・行く先は Phillip Island 。夜になってフィリップ島の波打ち際に上がってくる小さなペンギンを見に行く、メルボルン観光の目玉。
・途中でコアラの保護区に寄る。まだまだ明るいせいか、それとも元々怠け者なのか、コアラはまだ完全にお目覚めではなかった。沿道には予期せぬカンガルーの大群も。 ・途中の町で軽く夕食。いよいよペンギンの浜辺へ。 ・午後7時ちょうど、波が引いた後にスックと立ち上がる小さなペンギンのグループ。トコトコ歩いてこちらの方へ。あちらの波頭にもペンギンのグループが。あちらにも。一時間ほどの間に、幅200メートルほどの浜辺に三々五々グループが上がってくる。歩くのが遅いペンギンを狙ってか、かもめの大群が憎らしい。 ・見物を終えてバスに戻る道すがらも、叢のあちこちにペンギンが、歩いていたり立ち止まったり。大勢の見物人をどんな気持ちで見ているのやら。 ・バス停に戻ると、隣にはドイツ人観光客の超大型バス。中は三段ベッド? |
| 10月8日:インターネットで調べた「collective house」らしい場所へタクシーで。沢山のスタッフが働いている、一種の「エコロジー実験農場」のような所で、教育もしているとかで、学生が沢山見学に来ていた。日本からも沢山の見学者が来ると聞いて、不勉強を反省。 ・が、農地の一角に「collective house」予定地はあるが、ここが主体になっている訳ではないとのことで、実際にやっている人たちの電話番号を教えてもらう。 ・が、これがなかなか繋がらない。最初は不審そうな声。もう止めてしまった人もいた。何とか明日の約束を取り付け、市電で帰路に。 |
| ・メルボルンの市内、市庁舎の前で、大デモ。何だ?
・昼食は、ペンギンツアーの折に遭遇した、日本のメンバーの友達だというポーランド女性達と「テンプラ」会食。一人は日本にも来た事があるとのことで、箸使いも上手。もう一人はてんぷらは無理ということで、焼き魚。 あちらはあまり英語が上手とは言えないので、会話には相当苦労。ま、人のことばかり言えないか。 ・夜は日本から行ったメンバーだけで会食。まともな日本料理屋は一軒しか無いので、急に申し込んだら大きな個室は取れず。広間は凄い混雑。マネージャーは日本人ではないが、日本語がすごく上手。 |
| ・「collective house」は、昨日見た農園の土地を高く買いたい人が現れてただ今苦戦中。経済弱者ばかりで、政府の援助もあまり期待できないので、財政的な面で苦労が多いようだ。
まず使える土地の中に、希望を出し合った家の案を置いてみて、土地の大きさや経済状況に応じて大きくしたり小さくしたりしている段階だが、計画に余りに時間がかかりすぎて、諦めて別の場所に定住してしまった人もあるという。 ・「collective house」よりもっと協力度を強めた「intensive house」というのにも案内された。一軒の大きな家の中に何人もの人が家計を共有して住んでいるものだが、やはり幼児のいるシングルマザーと、低収入の人々が多いよう。 |
10月10日:頼んでおいたマキシタクシーでメルボルンの空港へ。 スマニアタ島へ向かう。
| ・乗るのは小さな飛行機。遅れて着いた Devonport
空港にはドライバー兼ガイドの Peter Benson が待っていた。
・まず町じゅうの建物の壁に絵が描いてあると言う町 Sheffield へ。 ・元は何も無い町だったらしいが、地元に住む画家の壁画で観光地になったとか、私の住んでいる町にも教えてあげよう。 ・絵の題材は、その建物の昔の姿や、タスマニアの歴史、自然など。 ・町からは Cradle Mountain がよく見える。 ・町は西部劇の舞台のよう、小さな土産物屋が自動車博物館を兼ねていたりする。私たちが土産選びに時間がかかること、歩くのが遅いので、飛行機の遅れを取り戻せないとガイドが心配している。 |
| ・次は Marakoopa という鍾乳洞。近辺には他にも沢山鍾乳洞があるとのことで、ここは私有とのこと。ガイド付きで見て回る。
・どこの鍾乳洞も同じだが、形によって色々な名前がついている。音響の良いホール状の場所で、私たちの仲間が日本の歌を唄って、一緒に観光していた大勢の人たちも感動。 ・最後の場所でガイドが灯りを消すと、真っ暗な天井にギッシリの「土ホタル」。夜空の星をギュッと一箇所に集めたように、黒い地にキラキラ光っている。余りの美しさにビックリ、感動。 |
・続いて野生動物園へ。オーストラリア本土で、様々な動物園を見てきたが、ここが一番良かった。
・園内にはコアラ、ウォンバット、カンガルー、孔雀などの他、タスマニアにしか居ないタスマニアン・デビルがいる、様々な動物に触れる、というのが売り。
・まずはコアラ。夜行性だが、ここでは時差ぼけ?にさせてあるとかで、ちょうど観光客が来る時間が食事時間に調整してあり、係員がユーカリの葉を振ると沢山のコアラがノロノロと木から下りてくる。他の動物園ではうるさかったけれど、ここは自由に触らせてくれる。園内には孔雀や大きな鳥、カンガルーなどが放し飼いになっている。
・次は人気急上昇中のウォンバット。おとなしいのでみんなが抱きたがった。重い。そして毛皮は意外と油っぽい。
・私たちのガイドは若い兄さん。肩から掛けているバッグの中からはタスマニアン・デビルの赤ちゃんがミルクを求めて時々顔を出す。
・そのタスマニアン・デビルはツキノワグマのように首の下に白い輪がついた、黒い犬ほどの大きさの動物。耳の中が真っ赤なのが獰猛さを象徴しているよう。動くものには非常に敏感に反応するとかで、ガイドが出した動物の皮に唸り声を挙げて全員で飛びつくさまは、ちょっと怖い。が、絶滅寸前なのだそう、誰にやられるのだろう。
・この動物園の入り口には全く流行っていないスナックあり。アボリジニーだという女性オーナーは、原住民の交流会で北海道に行ったことがあるとのこと、様々な分野で交流が行われていることに感嘆する。
・この日は飛行機が遅れたため、予定していた手工芸センター訪問は中止して、宿泊地の
Launceston へ向かう。
・夕食前に夕暮れの市内を観光。パースの時と同じく、終業時間の早いこと。開いているのはレストランぐらい。
・商店街を通り抜けると、官庁街。大きな教会が沢山建っていて、ここが英国領だったことを思い出させる。
・クラブ風の素敵なレストランで食事。外は寒い。南極に近いのだもの。
10月11日:まずは Launceston 郊外の「個人所有の渓谷」へ。開拓時代のアメリカと同じく、オーストラリアにも「オーストラリアン・ドリーム」というか、想像を越えるお金持ちになった人が沢山いて、ここの所有者もその一人。園内はハイキングも一日がかりとのこと。
・Launceston の町は岡山県池田市と姉妹都市だとかで、リフトの係りの人は日本語が達者。でもよく訊いてみたら、「ゆっくり」とか「じっとして」とか、必要な言葉だけで、会話は全然ダメだそう。
・リフトの下には孔雀が何羽も放し飼いになっている。ヨーロッパの王宮の雰囲気。石楠花も満開だった。
・次は Seahorse つまりタツノオトシゴの水族館へ。タツノオトシゴは漢方のカルシウム源として世界中で乱獲されているとかで、やはり絶滅危惧種とのこと。沢山の水槽の中で、成長段階毎に飼育されている。曲がった尻尾の先が何かに絡み付いていないと心配らしく、絡み合った細い幼虫?が水の中でゆらゆらする光景は結構不気味。
・しばらく走ると、美しい草原の中に何やらスイスっぽい風景が。これもオーストラリアン・ドリーム、無一文でスイスからやって来て、スーパーマーケットの経営で財を築いた人が、広大な敷地を買い占め、スイス風の建物だけを許可している一区画とのこと。グリンデルワルドと呼ばれている。
・Tamar川沿いをドライブ。浅瀬には数え切れない種類の水鳥。保護区になっているとのこと。周りの家々の庭先には、桜・藤・木蓮・レンギョウを始め日本の春に見られる花々が、日本よりずっと勢い良く咲き乱れている。
・次は Estate つまり大農園訪問。豪農だが、まさに西部開拓史を思わせる、建物、家具調度品の数々。
・北半球から来たので建物を南向きに建ててしまったなどというエピソードは面白かった。
・お金が溜まると子息をヨーロッパに送ることが夢だったとかで、イタリアで建築を学んだ息子が素晴らしい建物を、古い木造の家に付けて建てている。中の立派なこと。エリザベス女王が訪問された時の食器が展示されていた。
・敷地内には蒐集されたクラシックカーのコレクション、オーストラリアでも有数のバラ園などもあった。
| ・次は、Ross という歴史的な町のウールセンターへ。古くから地域の中心だったところで、官庁のほか、刑務所跡なども街中に残っている。
・羊のお迎えでセンターに入ると、中は羊毛のサンプルと製品が一杯。 ・日本の毛織物メーカーと提携しているとかで、Ross の町の遺物、古い石橋の脇で日本の社長が記念撮影した写真が飾られていた。どこにでも日本人が進出しているので、驚き。 ・夕方タスマニア最大の都市ホバート着。閉店間際の商店街へ駆け込む。 |
| 10月12日:土曜日には港の一画に有名な市が立つので、まずブラブラ見物。物凄い人出。生鮮食料品から土産物、正体不明のものまで、様々な店も並ぶ。
・私は手紡ぎのウールの帽子とマフラーを購入。 ・野性的な色の花々も売っている。 |
| ・簡単な昼食後、いよいよタスマニアのハイライト、ポートアーサーへ。
・ドライバーは大サービス。予定外の道を通って景色の良い所でパチリ。 ・ポートアーサーはイギリスから囚人が送られてきた初期の流刑地跡。静かな入り江に建つ石造りの廃墟を初めて見たときには、はるかここまで来てしまった囚人達の絶望感をしみじみ感じたものだった。 ・強盗や殺人犯に混じって、政治犯が多かったとのことだが、主義のためとはいえ、こんな遠くに送られては、後悔もあったろうと思われる。 |
・入場券売り場の近くには、沢山の写真が貼ってある。
・夏の夜にはゴーストツアーというのが催されるが、敷地内を巡っている間に撮影された怪奇写真?、心霊写真?集だ。写真に怪しい影が写っていたり、毛が逆立っているものもある。
・入場券と一緒にトランプのカードを一枚渡される。出口近くにあるポートアーサーの歴史博物館で、トランプの番号を自分の犯罪暦と照らし合わせることになる。前世は泥棒だったり、殺人犯だったり。
・囚人たちが最初に来たときには建物は何も無く、周りから木を切り出して、自分たちの監獄も自分達で作ったとか。この場所が選ばれたのは、周りが海で、半島なので背後も警備しやすかったからとのこと。
・同じく自分達で作ったという教会、今は天井が落ちてしまっているが、ひときわ哀れを誘う。犯罪を犯しても、生まれたときからのキリスト教徒なのね。
・廃墟の教会のすぐ前に、小さな小さな教会があった。古いものらしいが、中には数年前このポートアーサーで起きた銃乱射事件の被害者達の慰霊碑があり、私たちが訪問しているときにも、お参りに来ている人が居た。
・敷地内には、管理職や医師、後には同居が許された女性たちの家などもある。南極近くとはいえ、明るい光に照らされて花々が美しく咲いている。
・この後は一路ホバートの空港へ。小さな空港だが、タスマニア土産、オーストラリア土産は充分ある。名物Leatherwoodの蜂蜜を購入。
・シドニーの空港、乗り換えは大変だった。
・国内線から国際線だが、全く別のターミナルだとは誰も言わず、標識も矢印すら出ていない。滅多に居ない空港の人に訊くと、あっち、こっちと要領を得ず、結局最後はタクシーに乗った。10ドル以上払う距離!
・免税もやり方がはっきりせず、アングロサクソン系の、不親切に頭に来る最後の一幕。
・10月13日朝、無事成田着。
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